メモ帳の片隅:/7 福島市はローマ、郡山市はミラノ /福島
毎日新聞 2013年10月03日 地方版
福島市を車で走っていた朝方、「そうか、福島はイタリアだったんだ」と思った。スペイン語で散歩を意味する「パセオ通り」を走っていたとき、タイヤを通して感じる石畳のガタガタ感が、昨年まで私が暮らしたローマを思い出させたのだ。別に福島市が遺跡だけが自慢の観光地というのではない。福島の人たちのバラバラ感がよく似ているように思えたのだ。
郡山市に来たこの春、こんな言葉を聞いた。「福島(市)なんて県庁所在地じゃなけりゃ今の3分の1、10万人もいませんよ」「諸説あるけど、会津からできるだけ離せということで、たまたまあの『村』が県庁になっただけだから」。そう言う郡山の広告会社社長は一応、福島市生まれだ。
福島と郡山はローマとミラノの関係に似ている。働き手の2、3割が国や市の公務員で占められるローマは、首都でなければ動く金も人も半分以下。経済が活発な第2都市のミラノ人に「本当の首都はこっちだ」といつも非難されている。
そんなローマ人がミラノ人の言葉を「へん!」と聞き流すように、「産業の中心はこっちだ」と言う郡山の声を福島市民も意に介しているふうにない。「郡山って都会っていうか人が冷たい感じで、福島に帰るとほっとする」。郡山で働く福島人がそう言うのも、ミラノに比べ田舎の味わいがあるローマの人間が「こっちの方が人情がある」と自慢するのに通じる。
福島県には、いわき、会津があるが、この点もナポリ、トリノ、ジェノバと中堅都市が独立独歩のイタリアに近い。一極集中を嫌う都市分散型、もともとバラバラの村がとりあえず一つになった点が同じだとすれば、福島県民もイタリア人っぽいのか。お上などを信用せず、逆境にあっても「俺は俺」「我々は我々」と勝手に生きていくのがイタリア人の強み。いわば個人力だ。とそんなことを考えながら日々、面白い福島人を探しているのだが、少し妄想が過ぎるだろうか。【郡山支局長・藤原章生】