メモ帳の片隅:/13 記憶がよみがえる街 /福島
毎日新聞 2013年11月14日 地方版
朝7時半、郡山駅から西に延びるさくら通りは高校生であふれ返る。駅前広場から歩いてくる制服たち。男女に分かれ楽しそうに話しながら商店街の脇を上ってくる。ごく時折、初々しい制服の男女が肩の間を10センチほど開け、黙々と歩いている。まだ人生の正午前。彼らの目に何が映っているのだろう。
先日、ある座談会で「○○の街、郡山」というフレーズが話題に上り、私はこんな言葉を口にした。「変わらない街、郡山」
耐震補強や内装、室内のハイテク化はいい。でも、外観は修復にとどめ、できる限り変えない。駅も広場も木々も通りも坂道も、2013年時点でストップモーションをかけたように維持できたらいいのに。
スクラップ・アンド・ビルド。壊しては建て、建てては壊す。戦後のバラックからの脱却、復興を今も強迫観念のように続ける首都東京の悪癖が伝わり、どの街も「再開発」「活性化」に忙しい。駅前は金太郎あめのように歩道と車道が2段式となり、駅構内にあったはずの風情をチェーン店が奪う。1960年代までの日本を知る外国人作家は、80年代から様変わりした街に失望を隠さず、イタリアの作家、ティツィアーノ・テルツァーニのように「この国は何かが間違っている」と数年の滞在でうつ状態になった人もいた。
例えば、新婚旅行に来た人が引退後に訪れ「全く変わっていない」と思わせるのが南欧の街路だ。観光のためだけではない。暮らす人の記憶を大事にしているからだ。何代にもわたり同じ風景に暮らす意味を重んじ、無理な開発を強いた為政者は半世紀が過ぎても非難がやまない。
今の高校生が中年になって郡山に戻り、同じ駅前、坂道を見た感慨はどんなものだろう。かつてのままの額(がく)にぴたっと収まった10代の風景、記憶はどんなふうによみがえるのか。構想段階だが、駅前再開発がささやかれる中、「変わらない街」の希少さ、新しさを考えてもいいのでは。【郡山支局長・藤原章生】