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多くの合唱曲をはじめ県内小中学校の校歌の作曲などを手掛けた岩河三郎さんが死去 |
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訃報です。
多くの合唱曲をはじめ、県内小中学校の校歌の作曲などを手掛けた富山市出身の作曲家、岩河三郎さんが、今年9月に亡くなっていたことが分かりました。
90歳でした。
岩河三郎さんは、大正12年に富山市の旧材木町、現在の室町通りに生まれ、昭和18年、東京音楽学校、現在の東京芸術大学に入学するまで富山で暮らしました。
岩河さん「どうしても音楽がやりたくて、両親が音楽を職業としている男じゃないんですが、東京へ逃げるようにして行ったっていうか」
岩河さんは卒業式で歌われている「巣立ちの歌」や、戦時中に空襲で亡くなった妹を偲ぶ「木琴」など世代を超えて歌い継がれている多くの合唱曲を作曲しました。
また、晩年まで富山市立新庄北小学校や中央小学校など、数多くの県内の小中学校の校歌の作曲も手がけました。
精力的に作曲活動を続けていましたが、今年の春に体調を崩し、誕生日を迎えて間もない9月16日、息を引き取りました。
90歳でした。
KNBは、平成19年、岩河さんの足跡を辿るラジオ特別番組を制作し、これをKNBブックリポートにまとめました。
当時、インタビューした作曲に人生を賭ける岩河さんの思いです。
岩河さん「まじめに書かなきゃダメだ、絶対。ちっちゃいものでも、なんていうんだろうなぁ、ミューズの神がちっちゃい丸でも付けてくれるような、やっぱりそういう作品を書かなきゃいかん、と、常に戒めております」「あと何年、生かさせてもらうか知らんが、自分がきれいだと思った音を素直に書いていきたいと思います」
葬儀などは、故人の遺志で親族のみで済ませたということです。
岩河さんの娘で国立音楽大学非常勤講師の智子さんは、「岩河三郎の音楽が永く皆様の心に響き続けるよう願っております」と話しています。
KNBラジオでは、来月29日(日)午後4時から「合唱と生きる〜作曲家・岩河三郎〜」を再放送します。
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