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講演会だより
これは平成9年7月19日に開催した「起業家フォーラム」の内容をまとめたものです。

基調講演
新しいビジネスは枯れた技術の水平思考から

株式会社コト        
代表取締役 横井 軍平


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■はじめに

 私は、昨年8月まで任天堂株式会社の開発部長を務めておりましたが、8月15日付けをもって退職いたしました。そして9月11日に、企画開発を専門とする現在の「コト」という会社を京都市の真ん中に開設したところです。
 まず、任天堂がどんな会社であったかを最初にお話ししておきたいと思います。
 私は、昭和40年、同志社大学の工学部電気学科を優秀な成績ではないほうで卒業しました。電子工学を勉強すると、当然、半導体メーカーや電機メーカーに就職するのが常ですので、そういうところを転々と歩いて就職を希望しましたが、ことごとく落とされました。しょうがないので、京都に住んでいるから京都の企業でいいやという気持ちで、募集のきていた任天堂という会社へ就職したわけです。
 けれどもその当時の任天堂というのはトランプ、花札しか作っていない会社で、最初に回された部署は、工場内の電気設備のメンテナンスをする部署、つまり工場の電燈や機械の配線などを調べる部署でした。1週間ばかりそれらしい仕事をしていたわけですが、ついには暇でやる仕事がほとんどなくなりました。
 メンテナンスの部署ですから、まわりを見渡しますと、旋盤であるとか、彫刻機とか、すばらしい機械が並んでいます。私はもともと物づくりの好きな若者でしたので、そういう機械を使って、会社の目を盗んで自分のおもちゃを作って遊んでいたわけです。
 その時に突然、社長から呼び出しがありまして、何事かと行ってみたら「横井君、君の作った試作のおもちゃを商品化しろ」という大それた話に発展しました。
 私は、商品開発の経験もありませんし、電気屋ですから、最初に作ったおもちゃというのは、ほとんど機構的なものでした。機械の知識もないまま、見よう見まねで金型図面を引き、その金型図面を持って金型屋さんへ行き金型を作ってもらって、今度はその金型を使って成形する工場まで探して、という具合に部品を調達してきたわけです。そしてそれを工場の中で組み立て、「ウルトラハンド」と名付けて売り出しました。
 なんの他愛もないおもちゃだったのですが、どこがどう間違ったか、この「ウルトラハンド」が140万個売れたわけです。140万個という大ヒットを見て社長が「君は電気設備の点検はいいから、新しい物ばかりつくれ」ということで、そこで初めて任天堂に開発課というものができて、私は初めての開発課員として動き出したわけです。当然、開発課として初めてのスタートですから、開発課員は私一人でした。

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■大ヒットの裏側

 これからお話しするのは「ゲーム・アンド・ウオッチ」という商品のことです。ご覧になると覚えておられる方があるかも知れません。
 京都から東京まで行く新幹線の中が退屈で、退屈しのぎが何かできないかなと考えていた時のことです。私の前の席に座っていたサラリーマン風の人が、ポケットから電卓を引っ張り出して、退屈しのぎにスイッチを押して遊んでいました。それを見て「専用のゲーム機を作れば、この新幹線も退屈でなくなるな」という発想から作った商品が「ゲーム・アンド・ウオッチ」です。
 これは昭和55年に発売すると同時に大ヒットし、全世界で約 5,000万個が売れたわけです。
 後から人に教えられて判ったのですが、この「ゲーム・アンド・ウオッチ」を出した当時というのは、任天堂は大変な負債を抱え、経営が最大のピンチの時であったようです。「ゲーム・アンド・ウオッチ」は、そのピンチを切り抜け、のちにファミコンというものが任天堂から出てくる原動力となったと聞いています。そのファミコンがまた大ヒットして、任天堂は世界に知られるような会社になったわけです。
 「ゲーム・アンド・ウオッチ」は一つのハードに一つのゲームソフトというものですけれども、一つのゲーム機でカセットを替えることによって、いろんなゲームが楽しめるファミコン方式のゲームができないかというところから平成元年に作ったのが「ゲームボーイ」という商品です。これも、売り出してやはり大ヒットしました。

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■売れる商品を生む「枯れた技術」と「水平思考」

 ざっと任天堂時代の話をしたわけですが、いろんな商品を開発する時というのは、最先端技術を振り回して、すごい商品づくりをしようとしたのではありません。非常にありふれたもの、例えば先程の「ゲーム・アンド・ウオッチ」は電卓が基本になっています。かつては40数万円もした電卓が、ポケットに入るような大きさで数千円まで下がったからこそ、この「ゲーム・アンド・ウオッチ」というものが出現したわけです。
 したがって、私のものの考え方というのは、このタイトルにもなっている「技術というのは最先端を使うべきでない」ということです。「儲かる商品づくりには最先端はかえってマイナスになる」。そして「散々使いこなれて、枯れてきた技術を、水平思考、つまりまるっきり違う目的に使うことによって、ヒット商品というものは生まれ出るのではないか」。
 つまり電卓をそのまま垂直思考したのでは、電卓のままですが、そこまでこなれて枯れた電卓技術を水平思考して、ゲームというものに置き換えたからこそ「ゲーム・アンド・ウオッチ」がヒットしたのではないか。「ゲームボーイ」も同じことが言えるわけです。液晶技術が非常に枯れてきた。枯れた原因はやはり液晶テレビに散々使われたことで、値段が非常に安くなってきた。だから、この「ゲームボーイ」が1万円を切るような値段で発売できた。それがヒットにつながったということです。
 技術者というのは、得てして新しい技術に飛びつき、それをなんとか使ってすごいことをやろうとする。私は任天堂時代に、部下には絶対にそれをさせませんでした。私が部下に対して常に言ったのは「すごい商品を作るな。売れる商品を作れ」ということです。特に学校を卒業して、バリバリの新入社員で入ってきた技術者は、学校で習ったすごい技術を使って、すごいことをやろうということに燃えています。ところが、そんなものはとてつもなく高いものになってしまって、およそ営業には結びつかないような商品を作ってしまう。このように枯れた技術を使うというのが私の哲学です。いままでそれをやってきたために、いろんなヒット商品に結びついたのではないかと思います。

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■『コト』の事始め

 次に、私が起業家としてスタートするきっかけになったお話をしたいと思います。何か会社を起こそうとすると、当然、先立つものが必要になってきます。私はサラリーマンですから、そんな大きな金を持っているわけでもない。そういう時に、あるエンジェル、つまり私をバックアップしようという方たちに出会いました。その人たちは、各々がすべてオーナーなのですが、私に「独立して何かやってくれないか」と言ってこられたのです。
 その時、「このまま一生任天堂にいれば食うに困らない。好きなこともできる。けれども、あなた方が私に何かやって欲しいなら、私に一切お金の心配をさせないでくれ」という条件をその人たちにぶつけたところ、何とでもなる程度の金額だったらしく、うまく話がまとまって、「コト」という会社を設立したわけです。
 任天堂というのは、かつては隙間商品を追う会社でした。「ファミコン」しかり「ゲーム・アンド・ウオッチ」しかり「ゲームボーイ」しかり。これらはすべて大手のやらない隙間商品でしたが、あそこまで大きくなると隙間とは言えなくなってしまった。特にテレビゲームなんて、いまや大手が参入してきて、これは隙間ではなくて、私は割れ目商品と言っているんですが、そこまで大きくなってくると、私も開発部長で新しい商品を開発するときに、ものの考え方を変えなければならない時期に遭遇したわけです。どういうことかと言いますと、任天堂は年間4,000億円、5,000億円の売上を上げている。その売上の元になっている商品は、じつは「ファミコン」や「スーパーファミコン」「ゲームボーイ」といった、非常に少ない種類の商品群です。その商品群のどれをとっても、永遠に続くものではありませんから、いずれは段々と落ちていくだろう。その時のために、いまのうちにそれに代わるアイディア、企画をそこへはめこまなければならない。そう考えたときに、仮にファミコンを外して何をそこへ差し込むか。そういう考えに立ったときに、年間1,000億円以上売れないことには、その代わりにはならない。
 年間1,000億円売れる商品のアイディアというのは、そうおいそれと転がっているものではありません。私の頭の中に、これは100億円くらいなら、あるいは500億円くらいなら売れるのだけれどというアイディアは出てきても、それを任天堂の企画に乗せるわけにはいきません。このまま消してしまうのはいかにも惜しい、なんとかアイディアを商品化できないかと思っていました。ちょうどそこへ先ほどのバックアップしようという人の話が入ってきて、私は頭の中にたまったアイディアを片っ端から商品化しようということで、「コト」という会社を動かしだしました。私は非常に幸せな船出ができたと思っています。

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■これからのチャレンジ

 いま漠然とお話しできるもので、非常におもしろい狙いというのが、医療機器分野への進出です。医療機器といっても、レーザーメスを作るというようなものではありません。医療の中にリハビリテーションという、非常に苦痛を伴う医療がありますが、それを遊びの世界で和らげようという考え方で、医科大学教授、医療機器メーカー、コトが三者一緒になって、新しいことにチャレンジしています。
 商品というのはまともに考えてもいいですけれども、裏側からものを見ると、ビジネスチャンスというのは、そこらじゅうに転がっているのではないかと思っています。
 先ほど言った枯れた技術とか、私のいろんな開発商品の背景にあったもの、どういうところからそういうものを考えついたかということや、それらは決して難しいことではないということを、汲み取っていただければ幸いと思います。

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会場とのやりとりの中から
○ Q 横井さんでも失敗した事例があると思うのですが…
●横井  いろんなアイディア、企画を進めていくうえで、どうしても失敗は起こります。開発というのは、いきなり完成までの予算を使って、完成までもっていくということはやりません。最初はものを探るようなことから、始めます。たとえばある商品企画をした場合に、ある問題点があるなら、そこだけを追究するというような仕事をやります。そこがうまくいかなければ、その企画は頭から止めてしまいます。そのときの費用は、ごくわずかです。任天堂時代でも、高くても数十万円で終わっています。
 それがクリアできて、また数十万円かけてもう一つの山をクリアする。それがうまくいけば、すべて他はうまくいくだろうということで、ドーンとスタートするわけですね。完全に試作品ができあがると、ここでもう1回、これが売れるのかどうかを再確認する。売れないと判断した場合、例えば先ほど言ったようにこれは500億円ぐらいの商品規模だからと止めた場合、ここまでの試作にかかったのはおそらく300万円ぐらいだろう。止めたということは、失敗ということになるわけですが、非常にリスクが少ない。300万円でだめだったというような仕事のやり方をしました。

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