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『手塚治虫漫画全集』の「言葉狩り」

 前回の記事で触れたが、『藤子・F・不二雄大全集』では出版側の自主規制によるセリフの改変、いわゆる「言葉狩り」がいくつか見受けられる。
 これが気になっているのは私だけでは無いようで、ブログや各所の掲示板ではこの件について指摘する書き込みをよく見かける。

 そんな中でちょっと勘違いしている人が多いのかなと思うのは、手塚作品との比較だ。
 今年出版された復刻版の『新寳島』などと比べて、手塚作品はオリジナルのまま出版されているのに、F全集は自主規制があって残念だと言う意見を見かけるが、復刻版『新寳島』は比較対象としては不適当だと思う。
 たしかに『新寳島』は極力原本そのままに復刻されており、「人喰人種」などの章題も元のままだが、数多く出版されている手塚作品の単行本の中でこのような例はごくわずかで、現在流通している手塚単行本のほとんどは、生前の著者の手によるものも含めて、「差別用語」の部分は改められている。
 そして、現在出版されている手塚作品は『手塚治虫漫画全集』(以下「手塚全集」)を底本とするものがほとんどなので、F全集との比較をするならその対象は手塚全集にすべきだ。


 それでは、手塚全集の「言葉狩り」状況はどうかというと、これがかなりひどい。
 第3期の300巻までは手塚先生の生前に刊行されたので著者の意向が反映された改変と判断できるが、機械的な言葉の置き換えが多く、内心では嫌々改変していたのかなと勘ぐりたくなる。一例を挙げると、『ブッダ』の第2巻では、元は「きちがいの山賊だっ」だった部分が「精神異常者の山賊だっ」と変えられて、不自然なセリフになっている。
 同様な例は『火の鳥』第2巻にもある。近親婚の問題点について述べる場面で、元は「カタワやコケ(低能児)が生まれるおそれがある」だった部分が「身体障害者や精神障害者が生まれるおそれがある」となってしまい、実に不自然だ。
 『火の鳥』の方はセリフ回しに無理がありすぎたせいか、角川書店版で再度「ケダモノと同じでゆがんだ子が生まれるおそれがある」と変更された。手塚全集も、現在はこちらに統一されている。

 機械的な改変で、忘れてはいけないのが『鉄腕アトム』の「赤いネコの巻」だ。サンコミックス版までは「四足教授」だったキャラクターが、手塚全集ではなんと「Y教授」になってしまっている。他にそれらしい名前を付ける事は出来たはずなのに単なるイニシャルにしてしまうあたり、自主規制への作者の精一杯の抵抗が見受けられる。
 こちらも、Y教授ではあんまりだと言う事なのか、手塚全集以降に出たサンデー・コミックス版などでは「猫又教授」とされている。ちなみに、1980年版のアニメでも「根子股教授」と言う名前だった。


 ここまでで挙げた例は、作品の一部のセリフが変えられた程度だが、全編に渡って単語の置き換えが多く、元版とかなり印象が変わった作品もある。
 それは『どろろ』で、この作品では百鬼丸の身体が不完全かつどろろが百姓出身の野盗の子であり、さらに戦国時代を舞台としているため、手塚全集以前に出版されたサンデー・コミックス版では「差別用語」があちこちに出てきたが、手塚全集ではそれらが全て穏当な表現に改められて、「百姓」も「農民」に変えられた。
 これが現代を舞台とする作品であれば改変も理解できるが、戦国時代に「百姓」という言葉を使わなかったり、登場人物全員がわざわざ障害者に配慮した言葉遣いをしているのは不自然だ。どろろや百鬼丸は見下されて蔑まれる立場なのに、そんな配慮がされるわけがない。
 こんな状態なので、『どろろ』を読むのであれば、手塚全集以降に出た単行本はおすすめ出来ない。古いサンデー・コミックス版を読んだ方がいいだろう。現在の版は手塚全集と同じ内容なので、注意が必要だ。カバーの定価が320円以下の時期の版なら大丈夫だろう。
 皮肉な事に、現在オリジナルに近い『どろろ』に触れられるのは、原作の単行本ではなくてアニメ版の方だ。音声カットなしのDVD-BOXやCSの再放送ならば、1クール目は脚本なしで原作から直接アニメが制作されたので、ほぼオリジナルの原作に忠実なセリフが聞ける。DVD-BOXは廉価版が1万円を切る安さなので、おすすめだ。


 他に、セリフの改変が多い手塚作品としては『ブラック・ジャック』も見過ごせない。
 悪い改変の例として、よく「木の芽」のエピソードが槍玉に挙げられるが、私もこれはあんまりだと思う。例によって機械的な言葉の置き換えで、「カタワ」が「病人」に変えられたので、ブラック・ジャックが「カタワということば 二度と使うな」と激高する印象的な場面が「病人ではない!!」となってしまい、これでは台無しだ。セリフ変更後の版を読んで、思わず「え、病人でしょ?」と突っ込みを入れたくなってしまった。
 『ブラック・ジャック』は、医者をテーマにして多くの病気を扱っているだけに、デリケートで気を遣わなければならない表現が多くなったのだろうが、意味合いが全く違ってしまうようなセリフの変更はやめて欲しかった。なお、「木の芽」は手塚全集では第4期刊行の第22巻に収録されており、このセリフ変更は手塚全集よりも少年チャンピオンコミックスの方が先行していた。
 また、すでにご存じの方も多いかと思うが、『ブラック・ジャック』は手塚全集を含めて、全話完全収録した単行本は存在しない。手塚先生の生前に未収録だった話も大半は何らかの形で補完されたが「植物人間」「快楽の座」の2話は未だに封印状態が続いている。この件について触れると長くなるので、興味のある方は「封印作品の謎」を読まれるといいだろう。



 と、ここまでだらだらと「自主規制」の例を書き連ねてきたが、これで手塚作品も自主規制と無縁でない事を分かっていただけたと思う。もちろんここで挙げた例は全体のごく一部で、他にも改変された例はたくさんある。藤子ファン兼手塚ファンの私としては、「手塚作品は規制なしで恵まれている」と誤解されている状況には一言言いたくて、つい長々と書いてしまった。『新寳島』のような完全復刻は、あくまで例外なのだ。
 もっとも、その「例外」で『鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集』という大ボリュームのものが出てきたので、ある程度は手塚作品の方が恵まれているとは言えるかもしれない。
 いずれにしても、F全集の自主規制を全て肯定する気は毛頭ない。前回も書いたとおり、無理のある変更はやめて欲しいし、そもそもなるべく変更がないのが一番だと思う。ファンとして、F全集の今後はあったか〜い目かつ厳しい目で見守っていきたい。



10/13追記

 コメント欄で情報をいただいたので確認したが、残念な事に『鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集』は初出そのままの復刻ではなく、いくつか自主規制されている事が確認できた。少なくとも「アトム赤道を行くの巻」「美土路沼事件の巻」に「差別用語」の改変が存在する。「オリジナル版」と銘打っているだけに、このような改竄行為が行われているのは非常に残念だ。
 なお、今回のエントリではいわゆる「差別用語」を多く使っているが、私自身には差別の意図は全くなく、あくまで作品改変の例として挙げたものであるので、ご理解いただきたい。また、このエントリは最初、実家に帰省中で手元に単行本がない状態で書いたので、一部引用したセリフに不正確な部分があった。その部分は、自宅で単行本を確認して直しておいた。
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コメント
 
 
 
自主規制 (koikesan)
2009-10-11 12:30:20
現物を確認していないのですが、「鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集」ですら、自主規制的なセリフの改変があるようですね。
「アトム赤道をゆく」をサンコミ版などと比較してみると、改変された部分がわかるみたいです。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2009-10-12 01:49:09
10年位前、古本屋(新古書店では無い)で見かけた火の鳥の何巻か、古事記の編集をしているシーンで「コジキ?現代的にルンペンに改題しろ」と言った感じの発言が有った。
その後、別の本を読んだときには「コジキ?文学的に無宿人に改題しろ」と言う発言になっていた。問題が有るとしたらルンペンじゃなくて乞食の方じゃねーのかw
 
 
 
Unknown (Unknown)
2009-10-12 08:13:39
言葉狩りどころか、まるまるページが削除される例もありますよね
火の鳥のカップルが騙されて環境の良くない星を買わされた話の中の、食べる物がなくなったから自分を子供達に食べさせるエピソードとか
 
 
 
お返事です (おおはた)
2009-10-13 00:21:08
>現物を確認していないのですが、「鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集」ですら、自主規制的なセリフの改変があるようですね。

 私もその件については噂を聞きましたので、確認してみました。
 「アトム赤道をゆく」では「きちがい」の部分だけ空白になっていて不自然ですね。これに気が付かなかったのは迂闊でした。「オリジナル版」をして出しているだけに、残念です。この分だと、サンコミックスでは「きちがい」を連発していた「マッド・マシーンの巻」がどうなるか、非常に不安です。




>別の本を読んだときには「コジキ?文学的に無宿人に改題しろ」と言う発言になっていた。問題が有るとしたらルンペンじゃなくて乞食の方じゃねーのかw

 『火の鳥』の「ヤマト編」ですね。これも、角川書店版で変更されたものだと思います。少なくとも、全集の初版では「ルンペン」のままです。この例を見ても、自主規制の判断基準など、さじ加減一つでいくらでも変わってしまう事がよく分かりますね。



>火の鳥のカップルが騙されて環境の良くない星を買わされた話の中の、食べる物がなくなったから自分を子供達に食べさせるエピソードとか

 これは「望郷編」ですが、こちらはちょっと事情が違います。
 やはり、角川書店版でこの場面がカットされたのですが、その後も全集版では元のままで出版されています。「望郷編」と「乱世編」は角川書店版でかなり構成が変わったのですが、これは全集に反映されず、現在も全集版と角川版の2種類が存在する変な状態が続いています。
 「望郷編」は角川版で100ページほど少なくなってしまい、ダイジェスト版のような印象があります。登場人物のうち雌雄同体のノルヴァは、存在自体消されてしまい、可哀想です。
 
 
 
Unknown (すとっぱ)
2009-10-14 02:14:47
>登場人物のうち雌雄同体のノルヴァは、存在自体消されてしまい、可哀想です。

ですよねえ!
あの話は星が崩壊しても最後にノルヴァが子孫を残しているところに救いがあるのに、そこを削ってしまったらただのバッドエンドになってしまう…。
望郷編一番好きな話なのに〜。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2009-10-17 23:48:05
どうして百姓が差別用語になるのかが理解できない
農家は百姓かも知れないけど、百姓(広範な生業をしていたから)は必ずしも農家だったわけじゃないというのに

言葉狩りをしている人達って自分達が抱いている『ネガティブなイメージ』だけでやっているようにしか思えない
ぶっちゃけ、文句をいっている当人達が一番差別意識が強い
 
 
 
Unknown (Unknown)
2009-10-20 19:09:52
最近よくこの手の話を聞くなあ…
言葉の字面そのものよりもそれが発せられた状況、意図に目を向けろよ。
水木しげる先生が「土人」って言葉を「大地とともに暮らす人々」っつう意味で使ってるのなんかいい例だ。
漫画家が精魂込めて練り上げたセリフがこんな言葉狩り連中に蹂躙されるのは耐えられない。
 
 
 
お返事その2 (おおはた)
2009-10-26 00:33:56
>あの話は星が崩壊しても最後にノルヴァが子孫を残しているところに救いがあるのに、そこを削ってしまったらただのバッドエンドになってしまう…。

 同感です。エデン17のように滅ぶ星もあれば、新たな星を求めて旅立つノルヴァの子供たちもいるところが、宇宙の生命の輪廻を描いているのに、それが丸々削られては希望がありません。ついでに言えば、ズダーバンの最期もいささかあっけなくなっていましたね。
 手塚先生の描き換え癖は有名ですが、角川版「望郷編」は、ほぼページを減らしただけであり、なぜ行われたのか疑問です。




>言葉狩りをしている人達って自分達が抱いている『ネガティブなイメージ』だけでやっているようにしか思えない

 実際、そうなんだろうと思います。テレビ番組で農家の人が「自分たち百姓は…」なんて言っている場面は、今でもよく見ますからね。当の本人がネガティブな印象を持っていない言葉まで無くそうとするなど、ばかげています。



>水木しげる先生が「土人」って言葉を「大地とともに暮らす人々」っつう意味で使ってるのなんかいい例だ。

 水木しげる先生のエピソードは有名ですね。ご自身の体験を盛り込んだ『コミック昭和史』などの作品で、水木先生が言うところの「土人」戸の交流が描かれていますが、差別的な印象はまったく受けません。
 現在は、水木先生が「別格」のような扱いになっていますが、これこそおかしな話で、どこの誰が描いた作品であれ、発表当時の常識と作者の考え(故人の場合はこちらは難しいのですが)に照らして作者の選んだ言葉を尊重すべきです。
 
 
 
台詞の変更 (火炎太鼓)
2010-04-24 22:11:06
「木の芽」は、私は改変されたバージョンの方を先に読んでしまっていたので、ネット上で元は「カタワ」だったと知って、驚いた記憶があります。
おおはたさんたちと違って、「病人ではない!」の台詞をすんなりと受け入れてしまっていたので。
 
 
 
改変の仕方 (おおはた)
2010-05-08 21:56:59
>「木の芽」は、私は改変されたバージョンの方を先に読んでしまっていたので、ネット上で元は「カタワ」だったと知って、驚いた記憶があります。

 『ブラック・ジャック』はロングセラー作品ですから、改変後の方を先に読んだ人も多くなっているのでしょうね。
 「木の芽」は、改変時期がはっきりしないので気になっています。1989年前後の版を確認できれば、手塚先生ご自身による物かどうかはっきりするのですが。

>「病人ではない!」の台詞をすんなりと受け入れてしまっていたので。

 そうですか。私は、ここは兄ですら弟の体の異変について、蔑んだ言い方をしている=無意識にせよ差別感情がある、という点に意味のある場面だと思いますので、「カタワ」はまずいにせよ、元のニュアンスを残した改変にしてほしかったと思っています。
 とは言え、それならどう変えるか、となると難しいですね。ちょっと考えてみましたが、なかなか思いつきません。
 
 
 
思い出すままに (ザクラー車)
2012-07-01 21:51:12
 火の鳥の鳳凰編、背景の書き文字まで消されてしまって、我王がなんで怒っているのか分からなくなってますね。
 新選組の「あなたなんか心までめっかちなんだ」「ふんどしかつぎども」今はどう変えられているのでしょう。罪と罰の「パンスケ」、大洪水時代の中の表現などもどんな風に変えられてしまっているのか、気になります。
 黄色魔境の「ゲーリングのきちがいめっ」が「精神異常者め」になり、とうとうただの「ゲーリングめ」という、あってもなくても構わないセリフにされてしまいました。「無くてもいいセリフ」というのは、手塚作品で読んだ覚えは無いんですが。
 「かたわ」という言葉を取り替えたり削ったりすることで、作品を「かたわ」にするという皮肉。そういうことを平気でする連中に言いたい。「この不適切用語該当者どもめ」
 
 
 
空気の底 (ザクラー車)
2012-07-02 20:27:12
 連投で済みません。前回、忘れていました。差別そのものをテーマにした手塚作品もたくさんありますが、短篇集「空気の底」には中身の濃い作品がいくつか入っていますね。大都社版にあった「ながい窖」などは二度と本に載ることは無いかもしれません。
「夜の声」の少女ユリが「乞食のおじさん」に自分の出自を明かすセリフ、いつの頃からか「前科六犯」に変えられてしまっています。ですから乞食のおじさんのリアクション「ギクリ」は質の違うものにすり替えられているし、大会社への採用、社長(=乞食のおじさん)との結婚、破局のセリフ「いいだろう どうせお前は・・・」すべて不自然になっています。でもそれよりはるかに大きな問題は、「前科六犯」に変えること自体だと思います。これ以上くわしく説明するのは遠慮させていただきます(作品を比べてお読みくださいとしか言えません)。
 実は「言葉狩り」こそが、差別意識そのものの現れだという証拠です。
 
 
 
差別語について (おおはた)
2012-07-05 21:35:49
 「ながい窖」はサンミリオンコミックス版の『空気の底』下巻に収録されていますね。それを知って、サンミリオン版を探しました。
 どうも、差別を問題にした作品は、問答無用で封印される向きがありますね。「ながい窖」は、最後まで読めば主人公の森山こと趙の怒りが伝わってくる力作だと思います。この作品が今後も陽の目を見る事がないかと思うと、実に残念です。
 差別問題で思い出しましたが、『勇者ダン』では、ゴールデンコミックス版にはあったアイヌ人差別のセリフが、講談社版全集ではそっくりなくなっていますね。

 『空気の底』の「夜の声」も、サンミリオン版でセリフが旧いものを読みましたが、それまで前科六犯の方しか知らないので、かなり驚きました。

 まだ、私が知らないだけで、他にもこのようにセリフを変えられた作品はたくさんあるのでしょう。
 「「言葉狩り」こそが、差別意識そのものの現れ」と言うのは、まさにその通りだと思います。抗議を恐れて、ここであがったような言葉を「問題がある」と思うこと自体が、差別の気持ちから生まれるものなのだと思います。
 
 
 
また「空気の底」 (ザクラー車)
2012-07-08 01:09:15
 おおはたさん、丁寧なレスをありがとうございます。実物が手元にないので、いい加減な記憶で出版社を間違えたようです。どうもすみませんでした。私の実家に(たぶんまだ)あるのもサンミリオン版だと思います。
「ながい窖」、おっしゃる通りだと思います。たしか最後のコマは天井の額に映った森山(趙)の頭を上から見る構図だったと思います(違うかもしれません)。最初に読んだとき、森山の世界がひっくり返ったショックがもろに伝わってきて、構図のせいで本当にめまいがしたのを覚えています。勝手な解釈かもしれませんが、私にとってはそうでした。
 前回のコメントの最後に舌足らずな、利いた風なことを書いて恥ずかしいのですが、あまり詳しく書くと、このブログにも、またセリフを変えられたとはいえ、まだ出ている作品にも御迷惑がかかることを恐れたからです。でも言いたかったことをもう少しだけ書かせてもらうと、「前科六犯」に変えればいい、似たようなもの、という審査のありかた(その根底にある発想)こそ、前科を持つ人も、別の差別を受けている人も、怒りを向けるべきなんじゃないかと思います。
 
 
 
言葉の重み (おおはた)
2012-07-24 21:03:38
>最後のコマは天井の額に映った森山(趙)の頭を上から見る構図だったと思います

 ご記憶の通りです。よく覚えていらっしゃいますね。

>あまり詳しく書くと、このブログにも、またセリフを変えられたとはいえ、まだ出ている作品にも御迷惑がかかることを恐れたからです。

 お気持ちは、よくわかります。お気遣い、ありがとうございます。
 私も、どこまで書くべきか迷った上で、前回のコメントとなりました。例えば、『火の鳥 鳳凰編』冒頭の、我王に対する差別的セリフ(実際に差別しているのだから当然ですが)などについても触れる事は出来たのですが、あの手の身体欠損を揶揄する言葉は気持ちのいいものではありませんので、やめておきました。

>前科を持つ人も、別の差別を受けている人も、怒りを向けるべきなんじゃないかと思います。

 そうですね。どちらの立場の人に対しても、失礼だと思います。
 それこそ、どうしてもその言葉が必要なら、堂々と変えずにそのままにしてほしいですね。小説だと、少なくとも古典と言われる作品ではそうなっているのに、漫画がそうでないのは、釈然としないところです。
 
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