頭頸部がんの手術では腫瘍の大きさによっては、広い範囲の切除が必要になります。頭頸部は食事、会話、呼吸といった生活に重要な組織があるため、切除によって大きな欠損を生じた場合、欠損部を修復する必要があります。この欠損部に体の他の部分から皮膚や骨などの組織を移植して修復するのが、再建外科(形成外科)の役割です。移植の方法には有茎組織移植と遊離組織移植がありますが、現在はマイクロサージャリーによる遊離組織移植が主流となっています。マイクロサージャリーとは、移植する組織の栄養血管(動脈・静脈)を移植部位の血管とつなぎ合わせる手術です。通常は手術用顕微鏡を使って行い、マッチ棒程度の太さの血管を、髪の毛ほどの糸でつなぎ合わせる方法です。動脈・静脈それぞれを頭頸部の血管とつなぎ合わせる事で移植組織に血液の流れを再開させ、生きた組織の移植が可能になります。技術的には確立された方法ですが、5%以下程度の頻度で血管が詰まることがあり、再手術が必要な場合があります。頭頸部に吻合に適した血管がない場合や血管吻合自体が無理な場合は、有茎組織移植を選択します。
手術終了時には良好に見えた組織の血流が障害されることがあります。原因はさまざまですが、血管同士をつないだところに血栓(血液の塊)ができる事が最も大きな要因です。図22は静脈血栓のためうっ血に陥った皮弁の状態です。これを放置すると、せっかく移植した組織が壊死してしまいます。
このため一刻も早く血栓を取り除き、血管を再吻合する緊急手術が必要になる事があります。その際に、手や足から静脈の一部を採取することもあります。血管閉塞の可能性は手術後48時間以内が多く、その後時間がたつにつれて詰まる確率は減ってきます。術後1週間経過しても血管が詰まる場合もありますが、可能性は低くなります。通常は血管が詰まる確立は5%以下程度ですが、手術後に血管吻合部を強く圧迫したり、首を大きくひねったりすると、血管が詰まる可能性が高くなります。手術後は2〜3日間は頸部を強く圧迫したり、大きく首をひねったりすることは避けてください。
あらゆる努力にもかかわらず移植手術の結果が思わしくない場合、移植した組織は全部あるいは一部が壊死すること(死んでしまうこと)があります。小さい範囲であれば、軟膏治療などにより追加の手術なしでの治療が可能です。しかし、移植組織の大部分が壊死した場合、再手術が必要になることがあります。
▲ページの先頭に戻る腹直筋は前腹部にある、いわゆる腹筋の一つで、筋肉を栄養する血管が同時に腹部の皮膚も栄養しているため、腹直筋の一部または全部と腹部の皮膚・皮下組織を同時に採取して移植します(図23,24)。腹直筋皮弁は、頭頚部再建に用いられる皮弁のなかでも、採取できる皮膚・皮下脂肪・筋肉の量が比較的大きいという利点があります。栄養血管(深下腹壁動静脈)が長く採取できることも利点となります。したがって、舌がんの手術では舌全摘や亜全摘といった切除される量が多いときに、また上顎がん、中咽頭がん等の幅広い再建にこの皮弁がもちいられます。
皮弁を採取することで、前腹部に傷あとができますが衣服に隠れます。術後に、腹筋力の低下が起こることがあります。また、合併症として腹壁瘢痕ヘルニアといって腸の一部が突出する症状を起こすことがあります。それらを予防するために術後しばらく腹帯の装着を勧められることがあります。
腕は、肘を境に肩に近い方を上腕、手に近い方を前腕といいます。前腕には、親指側を流れる橈骨動脈と小指側を流れる尺骨動脈と2本の血管が存在します(図25,26,27)。前腕皮弁では、前腕部分の親指側を流れる橈骨動脈、静脈とそれによって栄養される皮膚を用います。前腕皮弁は、薄い皮膚を採取し細工がしやすいという特徴を有します。また、血管が長いことや、皮膚への血流も安定しており信頼性の高い皮弁の一つです。
頭頸部再建では、舌半側切除や咽頭の部分切除後などに多く用いられます。
皮弁採取後、前腕部分には太ももなどからの植皮を必要とすることがあり傷あとが目立つ場合があります。図28は皮膚移植をした後の前腕部の状態でやや色素沈着が認められます。また前腕から手の部分は橈骨動脈を犠牲にしても、尺骨動脈の血流で十分に栄養され、指の血流もほとんど問題ありませんが、ごくまれに手や腕に冷感が出現したり手が動かしにくくなったりすることがあります。また、皮弁を採取することで親指と人差し指の周辺がしびれることがあります。
大腿(太もも)の前側やや外側から組織を採取する方法です。図29の青い線が皮弁を採取する予定の部位で、赤い線は大腿動脈とその分枝の走行を示します。皮膚、皮下脂肪とこれを栄養する血管(外側大腿回旋動静脈)だけで採取する事が可能ですが、必要に応じて大腿の筋膜、筋肉の一部を同時に移植する場合もあります(図30)。大腿皮弁は前腕皮弁と腹直筋皮弁の中間くらいの皮下脂肪の厚さがあり、舌がん、中咽頭がんなど中程度の頭頸部の欠損に対して有用な皮弁です。通常採取した部分は縫合閉鎖可能ですが、大きな皮弁を採取した場合は皮膚移植が必要になることがあります。血管の変異が時にあり他の方法に比べてやや難しいとされています。
文字どおり腹腔内臓器である空腸(小腸の一部)をその栄養血管(空腸動静脈)とともに開腹手術で採取し、移植する方法です。
図32,33は腹部の切開創と、空腸採取の様子を示します。腹部の切開創と基本的な適応としては、がん切除後の全周性の消化管粘膜欠損の再建で、同じような口径を有する下咽頭・頚部食道の再建に主に用いられます。代表的な対象疾患としては、進行した下咽頭がん、頚部食道がん、喉頭がんなどが挙げられます。
図34,35は採取した空腸を頸部の欠損に移植して、栄養血管を頸部の血管とつなぎ合わせた様子を示しています。
また、中・下咽頭の粘膜の部分欠損に対しては、パッチ状にした空腸を移植し再建することもあります。病状によっては、そのような移植法で喉頭を温存することが可能な場合もあります。下咽頭部の全周性欠損には皮膚を筒状にした皮弁による再建方法もありますが、空腸は内腔が粘膜で覆われ、下咽頭、頚部食道に近い構造を有しているため、食物の通りがよりスムースになる利点があります。また、遊離空腸は大変血流に富んだ組織であり、上記のような絶えず唾液にさらされる部位の再建でも、他の再建方法に比べ良好な創治癒が得られています。進行下咽頭がんなどに対する咽頭・喉頭・頸部食道摘出(咽喉食摘)術に対する再建法としては、その安全性・確実性から本法が第一選択の手術法とされています。
採取される空腸は十二指腸に近い部分で、20cmほどですが、小腸(空腸と回腸を合わせて)は全長で6mほどあるため、採取による栄養障害などは生じません。一方欠点として、開腹操作を必要とするため患者さんへの侵襲が決して小さくはありません。また、術後合併症として、他の再建方法に比べて発生率が低いものの縫合不全や吻合部狭窄などを生じることもあります。さらに長期的には、開腹操作に伴うイレウス(腸管の癒着などによる腸閉塞)がまれに生じることがあります。また、空腸の採取には、臍より上に10cm足らずですが切開(上腹部切開)が必要であり、上腹部に縦方向の傷あとが残ります。
下腿(膝から下のすねの部分)の外側から、骨・皮膚・皮下脂肪・筋肉の一部を採取して移植する方法です。下腿には太い
図36,37は腓骨とその上にある皮膚を採取するためのデザインと採取する直前の状態です。移植のために比較的長い血管(腓骨動静脈)が採取できること、数箇所で骨を切っても血流が安定しているので顎の骨の形を再現するのに有利であることが利点です。頭頸部では下顎骨や上顎骨の再建によく用いられます。
図38、39は下顎骨を切除した部分に、骨移植をして金属のプレートおよびスクリューで固定した状態を示します。
皮膚を採取した場合、他の部位から皮膚移植が必要になる事が多いのが欠点で、この場合は安静期間が長くなるので高齢者には向いていません。図40は腓骨皮弁採取部に皮膚移植を行った後の瘢痕です。また、静脈瘤やバージャー病(TAO)、閉塞性動脈硬化症(ASO)などの血管性の病気がある場合は腓骨皮弁を使用できません。
肩甲骨の外側の部分とその上の背部皮膚・皮下組織が1対の血管(肩甲回旋動静脈)により養われていることを利用して、これらを同時に採取して欠損部に移植するものです。図41は肩甲骨とその上の皮膚皮下組織を採取するためのデザインです。骨組織と軟部組織を同時に移植できるため、頭頸部領域では1980年台後半から腫瘍切除後の上顎や下顎の再建などに用いられています。この骨皮弁の特徴としては、まず血流が豊富で安定しかつサイズの大きな皮膚・皮下組織(皮弁)を骨とともに採取できるということが挙げられます。また、皮膚・皮下組織部分と骨部分との間に組織的な癒合が少なく両者の位置的自由度が高いという特徴があります。
図42は皮膚・皮下組織と採取した骨の位置関係を示します。さらに骨への栄養血行が2系統あるのでこれを利用すれば血行を十分に温存したまま立体的な骨の再建も可能であることなどが挙げられます。これらは、複雑な顔面形態の再建には大変有用な利点です。しかし、本骨皮弁の採取には患者さんを横向きにする必要があるため、頭頸部領域の再建に利用する際には、手術中の体位変換が必要となるとともに採取にやや煩雑な手技を必要とするため、手術時間の延長につながるという欠点があります。
皮膚の採取部位は、よほど大きな皮膚を採取しない限り縫合して閉鎖することが可能ですが、縫合部に緊張がかかりやすい部位ですので、やや隆起した肥厚性瘢痕となることもあります。また、肩甲骨採取に伴い、肩甲骨と上腕骨をつなぐ筋肉群が切断されるために上肢の外転や挙上制限が生じますが、日常生活に大きな支障をきたすことはまれです。
腸骨は、「
図44は下顎骨を腸骨で再建し、口腔内の欠損を腸骨皮弁の皮膚成分で再建し数年後の状態です。
皮弁採取により、手術後数日より歩行可能となりますが、2〜3週間の痛みは続きます。通常運動障害は起こりませんが、骨を採取したことにより腰骨の左右差は生じます。しかし、衣服に隠れてしまうため目立つことはありません。
▲ページの先頭に戻る最も古典的な組織移植法の一つで、前胸部の乳首の周辺から組織を採取する方法です(図45)。皮膚、皮下脂肪に大胸筋を含めて皮弁を採取します。皮弁を栄養する血管(胸肩峰動静脈)は鎖骨の真ん中辺りを基点にしているので、この部分を軸にして皮弁を頭部の方向にひっくり返して移植します。血管吻合は必要ありませんが軸の部分が固定されているので移植に若干の制限があります。
図46は胸部から採取した皮膚・皮下脂肪・筋肉を鎖骨の高さまで移動したところです。通常採取した部分は縫合閉鎖可能ですが、大きな皮弁を採取した場合は皮膚移植が必要になることがあります。女性では乳房の変形が強く出るのであまり使用しません。
古典的な組織移植法の一つですが、通常は頭頸部再建の第一選択としては使用せず、頸部の皮膚欠損や瘻孔などの治療に用いられます。前胸部で鎖骨に沿って巾約10cm、長さ約20cmの皮膚と皮下脂肪を採取する方法です(図48)。
大胸筋は採取しません。皮弁を栄養する血管は胸骨の端に沿って数本あるので、この部分を幅広く軸にして皮弁を頭部の方向に回転して移植します。血管吻合は必要ありませんが軸の部分が固定され、移植に制限があります。通常採取した部分は植皮術が必要で、図49の茶色の部分は筋肉がむき出しになるので、この部分に皮膚移植を行います。
顔面神経は耳下腺内を通って顔面の表情筋に分布し、顔面表情筋の運動を支配しています(耳下腺と顔面神経の解剖参照)。顔面神経に断裂や欠損を生じた場合、顔面の動的・静的な表情のゆがみ(いわゆる顔面神経麻痺)を生じる事になります。しかし耳下腺部や頬部などに生じた頭頸部がんの外科治療では、顔面神経の合併切除が必要な場合があり神経欠損を生じることがあります。ごく部分的な欠損や短い欠損で、神経末端同士の再吻合が可能であれば明らかな顔面神経麻痺を生じないこともありますが、欠損が大きい場合などは顔面神経再建のために何らかの修復を必要とすることがあります。神経欠損が大きく、顔面神経各枝の中枢と末梢の両断端が確認できる場合は、自家神経移植が第一選択となります。図50は5本の顔面神経のうち②と③が切除されており、この部分に神経移植を行うことを示しています。
自家神経移植とは、患者さん自身の末梢神経を採取し、欠損した神経の間に橋渡しとして間置してつなぎ合わせることで神経再生を導くものです。移植に使用される神経としては、下肢の腓腹神経が多く用いられます。患側の頸部郭清にともなって大耳介神経や頸神経叢を採取することもあります。しかし、これらの神経が原発巣近傍にある場合や、その領域のリンパ節転移を認めるかその疑いがある場合には、通常選択肢とはなりません。腓腹神経採取には下腿外側に2cmほどの横切開を3箇所ほど加えます(図51)。本神経は知覚神経であり、採取により下腿の外果(外くるぶし)から足外側部周辺の知覚鈍麻が生じますが、数ヶ月でその範囲はかなり縮小し、日常生活では特に大きな支障は生じません。
なお、腫瘍の浸潤などで顔面神経の中枢端が吻合に利用できない時は、顔面神経末梢断端と健側顔面神経や患側の舌下神経との間に神経移植を行うこともあります。またこれらの場合には、神経の側部に神経を吻合する(端側吻合)方法も神経再生に有効とされ、近年試みられています。
表情筋の動きの回復までにかかる時間は、神経欠損の部位、移植神経の長さ、患者さんの年齢、術後放射線照射の有無などが影響しますが、通常数ヶ月と考えられます。
また、本項では詳述しませんが、腫瘍切除時に神経修復が不可能で、1年以上麻痺が放置されたいわゆる陳旧性顔面神経麻痺となった場合には、神経血管柄付き筋肉移植による口角の挙上(笑いの表情の回復)、側頭筋移行による動的閉眼などの形成外科的治療法が有効となります。
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