第28戦「車が一台足りません」
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 九月とはいえそう簡単に涼しくなるはずもなく、俺たちは相変わらず肌を焼く空の下、ジャージ姿で集まっている。中学のときとは違い、この高校の体育は男女一緒に行なわれる。試合などは別々にやるのだが、本日のメニューは体育祭の練習だ。俺たちは行進やラジオ体操を一通りやらされた後、体育教師のもとに集められた。
「あー、今から体育祭競技種目の調整をする。みんなちょっと協力してくれ」
「調整?」
「今年は競技の中身をちょっと変えようという話になったんだが、やっぱ全体のバランスがそれなりに整ってた方が見栄えもいいだろ。だからお前らで実験して本番に挑むわけだ」
 だらだらと答える態度は体育教師らしくないが、逆にその非熱血ぶりが人を呼ぶのか生徒の人気はそれなりに悪くない。先生は寝起きですかと訊きたくなるだらけぶりで首をかいた。
「んで、今日はもう時間もないから一種目だけな。障害物競走こと『目指せ! オリンピックバトル』だ」
「オリ……何それ!」
 どこからか上がるツッコミに、先生はあくまでもだらりと答える。
「『目指せ! オリンピックバトル』だ。ほら障害物競走だと言葉が悪いから、山あり谷ありに変更するとかなんとかいう風潮になってるだろ? うちも去年までは山谷だったんだが、やっぱ変えるならオリジナリティあふれる方がいいんじゃないかって、今年から改めたんだ」
「どうせならもっと弾けた名前にすればいいのに。地味に変で面白くねー」
「ほー、谷は教頭先生が考えた名前にケチをつけるのか。後で告げ口しておいてやろ」
 遠目からでも谷がげっと呟くのが見てとれた。ふっ、ツッコミをいれずにはいられない性質の者は大変だな。しかし俺はどちらかといえばツッコミだが時と場所は選ぶ方だ。出る杭は打たれるもの。能あるタカは爪を隠す。谷よ、これからはこの元勇者のように息をひそめているがいい!
「まあ名前が変わったから内容も変えなくちゃってことなんだけどな。ええと、とりあえずやってみたい奴はいるかー」
「はい! 我と長谷川君がやります!」
「なんでだよ!!」
 元気いっぱいに手を挙げたあきらに向かって思わず出たのは俺の裏拳。しまった、元魔王のボケっぷりにはさすがの俺も……ていうかなんでお前が俺の出場権を握ってるんだ。そして何故「はいオッケ」とか言っている体育教師! お前はバイトの兄ちゃんか!
「先生。俺、やるなんて一言も言ってないんですけど」
「まあまあ、とりあえず入ってくれや。どのみち男女混じってた方が実験的にはちょうどいいし。本番の選手数だの配列だのを決めるためにも、男子と女子で順位に差がつく競技かどうか調べないといけないからな。とりあえず今日は男子対女子でいってみよう」
 くそ、なんて雑な仕事ぶりだ。しかしまあいい、俺は昔から体育で苦手な競技などはないのだ。口元は不敵にゆるみ俺は勝利を確信した。見ればあきらも同じように笑っている。ふっ。奴め、ゲームで意気投合したかと思えばこんな勝負を持ちかけるとは、やはりどこまでも魔王のようだな。俺の目はすでにあいつを好敵手と捉えている。恋はしている。だが、手を抜くような俺ではない。勝負を持ちかけられたからには全力で戦うのみ!
「おー、なんか知らんが燃えてるなー二人とも」
「せんせー、あいつらいっつもこうなんですよー」
「そりゃ結構。んじゃ、他に挑戦したいひとー」
 外野がなんだかだらけているが、俺たちには関係ない。俺とあきらはふつふつと浮かぶ情熱に笑みをこぼしながら、ウォーミングアップをはじめた。
「気が早いぞ二人ともー」
「せんせ、ほっといてあげてー」
 外野の声など、聞こえない。


 錆びついたバスケットゴールが生き物のようにたたずんでいる。手前には跳び箱や平均台、そして籠に入った多種のボール。グラウンド上には『目指せ! オリンピックバトル』をはじめるための道具が細々と設置されている。なるほど、今までの障害物競走とは違い、スポーツ関連のアクションを増やしているのか。先生が解説らしき紙を読みあげる。
「えー、まずスタートしたら跳び箱と平均台をクリア。この辺は、まあ普通だな。んでボールがいろいろあるから、テキトーなのを取ってシュート。あっ違うわその前にピンポン? 卓球とかバレーボールとか取って、それぞれドリブルとかこう……ほらあれなんだっけ、ラケットでコンコン球を打ち続けるやつ」
 お前それでも本当に体育教師なのか。
「あれとか、サッカーボールだと蹴ったりして、まあなんとなく好きな方法で球かまいながら走って、んでシュートな。その後はまあ説明なくてもいいだろ。思うがままにやってくれ」
 なんだか余計にややこしくなった気がしないでもないが、まあとりあえずこの手の競技で悩むこともないだろう。ただ目の前に現れた難関を全力でこなすのみ。それは人生にも、勇者としての冒険にも似ているのではないだろうか。山あり谷ありとはよく言ったものだ。まあこれは『目指せ! オリンピックバトル』なのだが。
「んじゃはじめるぞー。はい、第一走者前へー」
 並ぶのは俺とあきら、そしてクラスメイトが二人。だが俺の目にはあきらしか映っていない。あきらにしても同じのはずだ。俺たちは互いに笑みを交わしあった。敵に不足があるものか!
「位置について、よーい」
 甲高いホイッスル。俺とあきらはほとんど同時に前へ向かって駆け出した。ただ走るだけなら俺の勝ちだ。そもそもあきらは平均台が得意ではない! 俺は颯爽と跳び箱を抜け、平均台を一番に終えて目の前にあるボールを掴んだ。革製の楕円形。ラグビーボールか。
「あ、長谷川ーそれだったら蹴ってドリブルな。掴んで走ると速すぎるから」
 今ルール作るのかよ! くそ、楽勝かと思ったのに意外な敵が待っていたか。なにしろちゃんとした球形ではないので蹴るたびに左右にずれて上手く転がってくれない。もたもたしているともう一人の男子に抜かれてしまった。あっ、てめ木原ドッヂボールなんて使いやがって! くそ、ボールの選択を誤ったか!
 木原が一発で通過したバスケットゴールの下にようやく俺も到着する。くそ、早く入れなければあきらに追いつかれてしまう。だが焦りのためかうまくゴールポストに入ってくれない。ちきしょう、落ち着け俺! 落ちついて、左手は添えるだけ……。
 ぱかん、と無駄に明るい音がして俺の頭は体ごと大きく傾いだ。後頭部に熱い痛み。何かが思いきりぶつかったのか。くらくらとする思考でなんとか振り向けば、いかにも失敗した顔でたたずんでいる元魔王。
「ご、ごめんなのだ! わざとじゃないのだー!」
「っせえバカ! 痛えだろうが!」
「レシーブは苦手なのだ、ボールが勝手に飛んだのだー!」
「水谷ー。バレーボールはトスドリブルで行けって書いてあるぞー」
 だからルールを今言うな! しかもそうこうしているうちに、もう一人の女子もあっさりと先に行ってしまった。ゴール下に残されたのは俺とあきら二人だけ。俺はむかむかとするのを堪えてラグビーボールを放り投げた。シュート。よし、入った。だがあきらもボールを拾ってすぐにこちらに駆けつけている。急ぐ俺の背で上手くシュートできた音と、応援する女子の歓声。くそ、不器用なくせにこういう時だけ運がいい奴だ。しかも俺は続くハードルで思いきりけつまずいてしまった。ああもう動揺しすぎだ、落ち着け俺! だがその間にあきらは俺の横を抜けて、先に次のアクションへ……なんだあれ。
 並んでいるのは打ち捨てられた風情の古臭い三輪車……だったはずだ。
 最後はそれでゴールまで突き進めということで、オリンピックでたとえるならば競輪といったところか。それはまあいいのだが、ちょっとまてだらけ教師。
「もう三輪車ないぞ!?」
「あー、すまん長谷川。車が一台足りないからお前はそれで行ってくれ」
 行ってくれってオイこら駄目教師。これ一輪車じゃねえか!
 愕然とする俺の前で、あきらは異常に難しそうに三輪車をこいでいる。いくら背の低いあいつでも、子供用のサイズには苦労するしかないらしい。だがあきらはキコキコと甲高い音を立てて高らかに主張する。
「ふはははは、我の勝利は確定したな! ハンカチを噛みしめるがいい圭一!」
「ちっきしょう負けねえぞおお!」
 一輪車が何だ、子どもの時は得意だったじゃねえか! 俺は燃える心のままに一輪車に足を乗せる。よし、乗り方は忘れてない。このままあきらを抜いてやる! だが俺もまた久々の感覚に慣れきれず、あきらと同じく走ることに苦戦している。耳まで真っ赤にしてキコキコとこぐあきら、転びそうになりながら必死にバランスを取る俺。走っても走っても力の足りないもどかしさには覚えがある。そう、前にもこんなことを二人で経験したような……。

『ははははは、前脚を捨てた愚かな二足歩行生物たちよ見るがいい! アイスはわたくしのものです!』

 思い出という幻聴が耳を叩いた。灰色のミニチュア・シュナウザーが、足元をすり抜けていった気がした。気のせいだとはわかっている。わかってはいるのだが。
 その瞬間、俺の熱気が爆発した。
「うおおおおルパートおおおお!!」
「速ッ! 二人が急に速くなった!!」
 叫びも意識も全く同じだったのだろう。俺とあきらは急激に速力を増して走り出す。あのムカつく犬にだけはもう二度と負けるものかとあの日二人で誓ったのだ。もうあんな悔しさは味わうまいと、俺とあきらは誓ったのだ!
 俺たちはいつの間にか並んでいた。走れ走れ走れ俺たち! あの犬を抜かすんだ、目にものを見せてやれ!
「るぱあとおおおお――!!」
 俺たちはほとんど同時に絶叫し、最終ラインを突き抜けて、それでもまだ暴走がおさまらず走っていき――二人揃ってサッカーゴールに突っ込んだ。
「……ルパートって、誰?」
 遠くからクラスメイトのもっともな声が聞こえる。俺たちはゴールネットにまみれたまま、死にそうな息をする。馬鹿な光景にまるでとどめをさすかのごとく、授業終了のチャイムが鳴った。


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