第27戦「面白いわけがない」
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 教室の窓際、俺は自分の席に肘をついて覚めきらない頭を揺らす。これからは毎日朝早くに起きて、自主練習や部活に出てはその合間に授業をこなし、また夕方まで部活をしてとぼとぼと帰らなければならない。
 ああ、学校が始まってしまった。俺は憂鬱を具現化したかのような、深いため息をついた。
「どうした長谷川ー。元気ねえなあ」
 ひょいと顔を見せたのは班長ことスポーツ刈りの松永だ。その隣で谷がいやに低く言う。
「さてはラブラブ恋のお悩み相談ですか? ああ?」
「なんでドスがきいてんだよ」
 あはははは、と松永が軽快に笑った。
「こいつさあ、夏休みの間に急に中嶋と仲良くなっててよー。しょっちゅう家まで来てもらってんの」
「違げーよ! 俺じゃなくて姉ちゃんが呼んでんだよ!」
「こないだも二人で一緒に買い物とか行ってて……」
「材料とかの買出しに行かされただけだって! 誤解してんなよバーカ!」
 谷は必死になっているが、その顔の赤さは何割が怒りでどれだけが照れなのだろう。騒がしくじゃれあう二人は喧嘩というより楽しい遊びをしているようで、俺のため息はさらに憂いの色を濃くする。
「お前らはいいよな……」
「あれ? 俺の境遇をいいよなとか言いました? 言いましたかこの諸悪の根元」
「おっ、そうだ長谷川が取り持ってくれたんだってなー。ありがとな!」
「なんでお前が礼を言うかあ! このシスコン! ロリコン野郎!」
「罵倒に芸がないな……」
 ああ、ルパートならここでもっと予想外かつスペシャリティな悪口を言うだろうに。こちらを見る谷の顔が、怒りというよりむしろ疑惑に染まっていく。松永班長は心配そうに俺の目を覗きこむ。
「寝不足か? 充血してっぞ」
「あー、あれだ。夜型生活が直らなくて眠いとか」
「……まあ、そんなもんかな」
 実際には、昨日までの一日中ゲーム生活が尾を引いているのだが。ああ、今日はもう夕方まであのゲームができないし、何よりもあきらと一緒にいられない。一週間近くみっちりと二人と一匹で遊び続けていたせいで、俺は急激な寂しさに耐えがたくなっていた。もうあきらはすぐ隣にはいないのだ。あ、今の……と何気なく思ったことをすぐに伝えたり、それについて共感したり喋ったりすることができないなんて、なんてつまらないんだろう。
「新学期か……」
「ねえ班長、長谷川君マジでちょっと変ですぜ」
「おーい、夏休み中何があったんだー。はーせーがーわー」
 ゆさゆさと揺すられる動きが面倒くさくて机の上に伏せてしまう。すると頭上から女の声。
「なに、どしたのこの子」
 かすかな香水が鼻につく。ああ、いつでもどこでもフルメイクの藤野か。ちらりと目を上げて確認すると、今日もやはり厚塗りだった。新学期早々何事なんだお前の肌は。
「それがさー、なんかやけにヘコんでてよー。姐さん元気づけてくんない?」
「誰が姐さんか。そういうのはあきらちゃんの管轄でしょー。どこ行っちゃったの」
「水谷ならさっき四組行ってくるとかなんとか」
「ていうかむしろ水谷は逆効果じゃないか? ほらアレだよ、育児疲れっつーの? それじゃないかと今俺はピンときたね」
「育児って」
「俺もさー、夏休み中妹たちがうるさくてよー。さっさと学校が始まってくれないかと祈ったもんだ。こいつの場合その逆で、今まで静かだったのに水谷が騒がしいから構うのに疲れてる、とかなんとかそんな感じだ。当たってるだろ!」
 松永がどうしてそんなに嬉しそうなのかわからないが、俺は重い首を振る。谷があからさまなツッコミの手で松永の頭を叩いた。
「だからお前の妹は小学生だろうがって話ですよ」
「そうだよ。あきらはお前の妹よりも偉い」
 吐き捨てるようになったのは、少なからず腹を立てていたからだろうか。俺はへらへらとした奴らに向かって真剣に弁護する。
「あいつはああ見えてもやる時はやる奴なんだ。礼儀もちゃんとしてるし、しっかりしてるし。わがままもそんなに言わないえらい奴なんだ。だからそんなに馬鹿にすんな」
 語るほどに三人の顔つきは不気味そうに引いていった。
「長谷川君が変……」
「どうした、いつものお前とキャラが違うぞ」
「中の人が変更になったんじゃねーの」
 なんなんだ三人そろって。俺はいつもの俺のままだ。ますます腹が立ってきて、俺はふてくされた調子で呟く。
「腐れ縁の幼なじみをけなされて、面白いわけがないだろ」
 三人の顔色がさっと変わるのが見えた気がした。
「長谷川君が変!」
「どうした! 本気でキャラが変わってんぞ!」
「中の人が変わったんだ! もうバック転はできないんだ!」
 だからお前らなんなんだその態度は。俺があきらを庇うのがそんなに変なことなのか? 今までの俺はそんなに無情な男だったか? ……だったな。うん、率先してあきらを馬鹿にしまくってたな。ああ嫌だ、今までの俺はどうしてあんなにあきらに冷たかったのだろう。過去にすっ飛んでその頭を思いきり殴りたい気分だ。
「圭一!」
 病院だ病院だ、と冗談と本気を交えた騒ぎの奥で俺を呼ぶ声。あきらがノートを持って駆けつける。久しぶりの制服姿。いかにも困った顔をして、俺の机に空欄だらけのノートを開く。
「やっぱり全部はわからないのだ。頼む! ここと、こことここの答えを教えてくれなのだ!」
「……しょうがねーなー。ほら、貸せ」
 頼られる喜びを隠しながら受け取ると、すぐさま鋭い反応がある。
「長谷川君が変!」
「やっぱり別人になってる!」
「馬ッ鹿。今学期の俺は親切がモットーなんだよ」
 水谷あきら限定での話だが。しかし顔がにやけていくのは困りものだ。不審に思われないよう、必死に不機嫌な顔を作ろうとしているのだが、頬や口の端々がにまにまと緩みかけて危なっかしい。俺は「手間をかけさせるなよバカ。あーあ面倒くせえ」というフリをして、まだ終わっていなかったらしい夏休みの宿題を解く。すらすらと進めればあきらの不安はたちまちにほぐれていき、嬉しそうに俺を見つめる。笑うな。にやけるな俺。
「ほら、できた。今度はちゃんと自分でやれよ」
「わかったのだ! 次はがんばるのだ!」
 あきらはノートを抱きしめると、上半身がすっ飛びそうな勢いで礼をする。ほら、礼儀正しいだろ。俺は満足な気持ちでよしよしと口を緩めた。
「なんかすごく嬉しそう……」
「なあ。変ですよね姐さん」
「そ、そんなわけねーだろ」
 しまった思わずにやけてしまった。俺は必死にそんなことはないですよという顔をして、窓を見る。
「いい天気だなー」
「…………」
 沈黙が痛い。しかしツッコまれない分だけマシだろう。よし、これ以上ぼろを出すな。にやけないよう頑張るんだ俺!
「そうだ圭一、今日から部活があるんだろ? 帰り、待っててもいいか?」
「おっ、おう。いいぞ。ここで待ってろ」
「やったあ。じゃあ一緒に帰って早くゲームをするのだ!」
 そうか、一緒に帰るのか……いいなそれ。よし、今日も飯を食ったらすぐに二階に直行だ。などと放課後の光景を想像していると、またしても緩みが出ていたのだろうか。周囲の視線は不気味そうに引いていた。
「長谷川君、何かあったの?」
「変なもんでも食ったんじゃねーのか? 大丈夫か?」
 なんなんだお前らは。今まであんなにあきらのことを大事にしろと言っていたのに、いざこうなるとキモイってか? 俺が気持ち悪いってか? まったくなんということだ。藤野が何の策略だと疑う顔で、慎重に俺を探る。
「前はあんなに先に帰れとかうっとうしいとか言ってたのに、なんかすごく嬉しそう……」
「ばっか。そんな一緒に帰らなきゃいけないなんて、面白いわけがないだろ」
 そう言いながらも俺の心は軽やかに浮いていく。明らかに気味悪そうな周囲をよそに、俺は新学期もなかなかのものだと考えを改めた。


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