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全米最大手の精子バンク、クライヨバンクの精子タンク

 世界で広がる不妊症。中でも“晩産化”が進む日本の状況は深刻だ。今や男の10人に1人が精子に問題を抱える時代。男も不妊とは無縁ではない。世界のカップルを悩ます不妊症、その最前線を追った(この連載は、週刊東洋経済2012年7月21日号「みんな不妊に悩んでる」を加筆修正したものです)。

■巨大な米国の不妊ビジネス

世界一の経済大国である米国は不妊産業も巨大だ。

「女性の社会進出が進むにつれ、子どもを持つことを先送りにする女性が増えている」とカリフォルニア州のマリン・ファティリティセンターで不妊治療を行うピーター・ゼラック医師は指摘する。

全米では全カップルの約15%が不妊に悩んでいるといわれており、米マーケットリサーチ会社のマーケットデータ・エンタープライジーズは、米国における不妊産業の規模を、2008年時点で約40億ドルと推計している(下表参照)。

最も規模が大きいのは、他国と同じく、体外受精、顕微授精などの生殖補助医療(ART)だ。米国疾病管理予防センターによると、09年に米国で行われたARTの治療件数は、14.6万件。これらのART治療によって、約6万人の子どもが誕生している。

不妊産業において米国に特徴的なことがある。それは、精子や卵子の提供がビジネスとして成り立っていることだ。

■ドナーは3世代前まで徹底チェック

ロサンゼルスに本社を構えるクライヨバンクは、30年の歴史を持つ米最大手の精子バンクだ。本社に加え、パロアルト、ボストン、ニューヨークに拠点を持ち、社員数は約130人に上る。

クライヨバンクの顧客は年間1万から1万2000人で、毎日平均で100件の精子を出荷、毎年平均で2500〜3000人のベビーが産まれる。

精子を受け取るのにかかる料金は1回当たり600ドル。どの精子を選ぼうが値段は同じだ。同社の顧客担当ディレクターのスコット・ブラウン氏によると、顧客の内訳は、不妊に悩む夫婦や夫が遺伝子に問題を抱える場合が約4割、シングルマザーが約3割、レズビアンのカップルが約3割だという。

クライヨに登録する精子ドナーは現在、358人。通常、一人のドナーは、15の家庭に精子を提供する。顧客側はドナーの条件として、「健康で高学歴、社会的に成功し、ルックスもいい」といった要求を並べるが、クライヨでは博士号を持とうが、芸術家であろうが、ドナーに対する報酬はみな同額だ。

精子提供1回当たりドナーは100ドルの報酬を受け取り、正式にドナーとして認められるとボーナスも出る。精子提供は約1年続くのが普通で、受け取る報酬の総額は平均1万2000ドルに上る。

ブラウン氏は「ドナーには学生が多いため、拠点をカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、スタンフォード大学、コロンビア大学、ニューヨーク大学など名門大のそばに置いている」と語る。

ただ、ドナーとして認められるのは申請者のわずか1%という、狭き門だ。ドナーの候補は、約半年をかけて、性病の有無や、遺伝子に問題がないかを3世代前までさかのぼって徹底的にチェックされる。

つねに新しいドナーを必要とするため、クライヨでは、社員12人を専属のドナー探しに当てている。ドナー募集には、グーグル、フェイスブック、オンライン広告のクレイグズ・リストなども使う。

ちなみに、日本からも精子出荷の注文があるものの、日本人のドナーは圧倒的に少ないそうだ。「日系人を含め、日本人のドナーは6人しかいない」(ブラウン氏)。

■精子はタンクごとフェデックスで出荷

バークレーにあるザ・スパーム・バンク・オブ・カリフォルニア(TSBC)は、非営利の精子バンクだ。オンラインのチャットやeメール、電話で年間に400〜500人から注文があり、1年に12〜15人のベビーが産まれるという。

同団体のエグゼクティブディレクターであるアリス・ルビー氏は「レズビアンや不妊に悩む夫婦の利用者が増えている」と説明する。現在では、レズビアンの利用者が全体の3分の2を占めるそうだ。

精子提供者の大部分は大学生や地元の社会人で、普通のナイスガイがほとんど。「友人が不妊なので助けたい」といった、良心的な動機からドナーになる人が多い。TSBCでは、2カ月間のスクリーニング中にドナーへの報酬支払いはない。正式に認められても、1回当たりの報酬は100ドルにすぎない。ルビー氏は「精子提供で本当に人助けしたい人しか続かない」と言う。

ドナーの精子は液体窒素タンクで保存すれば、通常7日から10日はもつ。出荷の際は、そのタンクごとフェデックスで顧客に送る。

TSBCでは、米国外にも精子を出荷している。「日本の利用者のほとんどがシングルマザーで、同じ日本人の精子を求める」(ルビー氏)。日本以外では豪州、アイルランド、ドイツ、デンマークなどに精子を出荷したことがあるが、各国の法規制により税関で引っかかった場合、最長10日しかもたない精子が死んでしまうこともあるという。

こうした精子バンクを利用する人はさまざまだ。IT企業で働くケリー・キャンベルさん(仮名、46)は40代になったとき、「子どもができない年齢になるまでに、子どもが絶対欲しい」と強く思った。「すてきな男性と結婚し子どもを持つのが理想だが、身近にいない。両親が離婚したこともあり、間違った結婚はしたくなかった」。

そこでまず知り合いの男性に頼み込み、ドナーになってもらったが、1回目の人工授精は失敗。半年後に精子バンクに電話し、学歴が高く、健康な精子を購入した。そして42歳のときに試した3度目の人工授精が成功し、女の子を出産した。

精子バンク関係者によると、軍人、消防士、警察官など、危険な職業に就く者が精子を保存するケースも多いという。夫がアフガニスタン出征前に精子バンクを利用し、精子を冷凍保存。戦死した夫の精子を解凍して妊娠し、夫にそっくりの息子を得たという例もある。

■卵子提供を求めて海を渡る日本人

米国で拡大しているのは精子の売買だけではない。卵子の取引も盛んだ。多くの先進国では、卵子の売買は禁止、もしくは厳しく制限されているが、米国では卵子提供による出産は珍しくない。実際、09年の体外受精のうち、約12%が卵子提供によって行われている。

卵子関連のマーケットは、規模では精子より小さいものの、1個当たりの値段が高い。

卵子提供については、米国生殖医学会が、1万ドルを超える謝礼金や、人種、IQなどに応じた謝礼金の設定を禁じるガイドラインを出している。だが法的拘束力はないため、これを破るエージェントも多い。

ジョージア工科大学のアーロン・レヴィン助教は、全米300以上の大学新聞をサンプルに、卵子ドナー募集の広告を調査した。その結果、約4分の1の広告では、対価として1万ドル以上の金額を提示、ハーバード、プリンストン、イェールなどの一流大学では、3.5万ドルを提示するものもあった。

卵子バンクの利用者は女性だけではない。独身男性のロバート・ジョンソンさん(39)は、ネットで探した卵子バンクから卵子を購入し、代理母を使って子どもを得た。「僕はプログラマーで子どもを育てる十分な財力はあるのに、数年パートナーがいない。太っているからかもしれない。今は、毎日成長していく息子がすごくかわいい。彼とキャッチボールできる日が楽しみだ」。

米国での卵子提供を求め、海外からやってくる顧客もいる。

ロサンゼルスに本社を置く、代理母、卵子提供エージェンシーのLAべビー。同社の岡垣穣二代表は「これまで日本人関連では1300人の不妊治療に携わってきた。日本人の顧客の中には、名前は出せないが、著名人もいる」と話す。

同社でかかる費用は卵子提供のドナー利用だけの場合は、3.3万ドル。これまでの成功率は、81〜82%だという。成功率が高いのは、ドナーの年齢を19歳から30歳までに限定していることが大きいそうだ。

卵子提供者には謝礼金として6000ドル、2回目からは7000ドルが支払われる。岡垣代表は「学費の助けや生活費として謝礼金を使う人もいるが、目の前で全額を赤十字に寄付する人もいる」と話す。