[文]大上朝美 [写真]安藤由華
[掲載]2011年1月30日
■かわいいところだけ書こうと
「テコちゃん」とは、5年前、70歳で急逝した夫・光彦(てるひこ)氏のこと。母親や姉から「テコちゃん」と甘やかに呼ばれていた光彦氏と、10代で出会ってからの思い出をつづるエッセー集だ。
冒頭は、にぎやかだったころの久世家の正月である。歳末から元旦未明まで、おせち料理を盛大に準備し、夫婦と息子、3人で迎える新春の膳の後、午後は大勢の来客。てんてこ舞いの台所に夫が情勢報告に来ては、その辺のものをつまんでいく。久世演出のホームドラマを見るようだ。「久世の、早く亡くなった父親が客好きだったらしく、その思い出が楽しくて客が好きだったんですね」と朋子さんは語る。
出会ったころの光彦氏は、TBSの敏腕プロデューサー。母親の知人を介して知り合った朋子さんにとっては「先生」だった。いつしか妻子ある光彦氏が部屋を訪れるようになり、間もなく子どもが生まれるというころ、第三者にいきなり公表されてスキャンダルに。住まいを転々とし、客も迎えられない寂しい年月もあった。
誕生日に息子の帰宅が遅いとすね、食べ方が愛らしいとネズミにまで餌付けする。折々を描きとめられた光彦氏はなんだかかわいくて、へんだ。
「へん? 私は普通だと思うんですけど。でも、かわいいところだけ書こうと決めたので」。東京・銀座で開くカウンターバー「茉莉花(ジャスミン)」の名の由来も出てくる。「バーも、書くことも、何も知らないまま始めてしまった」そうだが、それもまた人生だ。光彦氏と出会ったことも。
別れは突然だった。早朝、心臓発作で倒れた。あまりにあわただしくて、寂しいと感じる余裕さえなかった。こうして二人の時間を書くことで、ゆっくりと出会い直し、悲しいけれど、別れ直しをしているようでもある。「どう?と聞ける久世が、いないのね」
著者:久世 朋子
出版社:平凡社 価格:¥ 1,680