小泉純一郎元総理は、総理時代にプルトニウムを燃焼させる「プルサーマル」政策を推進するなどしていた。それが今年に入り、各地で脱原発の発言を繰り返し、報道も増えている。政界引退後に180度変わった発言は、突拍子もないことのように見えるだろう。しかし、小泉氏は東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた2011年に、すでに脱原発を公の場で語り、脱原発の姿勢を取り続けている。その意味では脱原発発言は本気だろう。
小泉氏が脱原発を一過性に終わらせることなく、信念を持って活動するならば、引退した政治家の社会貢献として新しい可能性を示すことになるかもしれない。
小泉氏は、福島第一原発事故から半年後の2011年9月18日、川崎のホテルでの講演で脱原発発言をしている。この時、小泉氏が「国民は原発が安全だと信じなくなった」「(日本は)再生可能エネルギー技術に投資し、環境先進国を目指すべき」などと語ったのを地方紙などが報じている。
また今年8月には、自らフィンランド政府が作る核廃棄物の最終処分場やドイツを訪れ、改めて核廃棄物処分の困難さや“脱原発”の必要性を指摘し、小さく報じられている。
小泉氏の発言がその時の思いつきではなく、本気だとわかってから原子力ムラからの攻撃は強まる一方だ。
安倍総理は総理時代の小泉氏の引き立てがあったからこそ、今日の地位にある。そのためか当初は小泉氏の発言には慎重な言い回しだった。しかし、小泉氏が各地で脱原発の主張を繰り返すようになると批判の口調を強めている。
甘利担当大臣をはじめ安倍内閣の閣僚たちも、あれこれ批判を展開するようになった。原子力ムラの御用マスコミの姿勢を公然と打ち出す読売新聞は社説で小泉氏の姿勢を厳しく批判している。
しかし、小泉氏は政界の一匹狼と言われたくらい一徹な面がある。ひとたび信じ込んだことは、相当大きなことがない限り一貫して主張している。通常の原発以上に危険性の高いプルサーマル政策を推進したほどだから、福島第一原発事故の衝撃がいかに小泉氏の考えを変えたかがわかる。
これまでの原発推進から一転できたのは、原子力ムラとの間に利権関係がなかったからだろうと推測する。引退後だから安易に立場を変えることが出来るというのは浅はかだ。
筆者が特に注目したのは、小泉氏が読売新聞の方針に反論したことだ。戦後日本で大新聞の方針に公然と反論した総理大臣は、筆者の知る限り他に知らない。