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<人魔の章>
第19話 神聖皇帝アレクサンドロス92世
「魔導要塞ヴァルガノスに?」

「他に手掛かりもないからな」

「すぴー」

 食堂を出た俺たちは、そろそろ日暮れが近いヴァルハラの町を連れ立って歩く。
 目的地はヴァルハラ神殿。
 今夜は神殿の一室に泊めてくれるそうなので、お言葉に甘えることにした。
 ……何しろ、ニナはすでに俺の背で寝息を立てている。

「ヴァルガノスの様子を窺うならば、中立の町ラトーニュに滞在するのがよろしいかと存じます」

「ほう?」

 聞けばラトーニュは、魔国とヴァルハラ同盟の度重なる小競合いの末に中立化した町だそうだ。
 この町は国境付近に位置しており、領土所有権がコロコロと入れ替わる。
 住民はもうどちらの属領なのかなど気にしておらず、人と魔人が入り混じって生活しているという。

ふむ。前線の情報を集めるには、もってこいの場所というわけか。

 そんな話をしているうちに、ヴァルハラ神殿へと到着した。
 転移でしか入ったことがないので、正面から見るのは初めてだ。

 でかい。

 十字架こそないが、その荘厳な石造りは教会をイメージさせる。
 この世界の文明レベルでは超高級品であろうステンドグラスが、随所にはめこまれている。

 キルシマイアがフードを外しながら、正面入り口を護る神殿騎士へと声を掛けた。

「お疲れ様です」

「ハッ! って姫巫女様!? いつの間に外に出られたのですか!?」

 神殿騎士は若い男と年配の男の2人。
 反応を返したのは年配の騎士。若い騎士はただただ目を丸くしている。

「申し訳ありません。ちょっと転移で」

「こ、困りますよ。皇帝陛下に怒られてしまいます。ところで、そちらの方は?」

 年配の騎士は、キルシマイアの後方に待機する俺を視線で示す。
 内心訝しんでいるのだろうが、まさか白竜人を背負った黒竜人(らしき少年)に不敬を働くわけにもいかず、遠慮がちな視線だ。

「わたくしの客人です。丁重におもてなしを」

「はあ、ご客人ですか……? しかし、いくら白竜人と黒竜人の方とはいえ、素性の知れない方を神殿に入れるわけには……」

 イマイチ納得がいかない、といった様子。

「彼らはこの国の、いえ、ミッドガルドの未来(・・)にとって必要不可欠な方々です。1等客室の用意をお願いします」

 その言葉に、年配の騎士は顔色を変えて姿勢を正す。

「ハッ! ただちに!」

 年配の騎士は若い騎士にあれこれ指示を出し始めた。

「未来ね……」

 ついつい、呟いてしまった。

 キルシマイアが口にする場合、「未来」という言葉は字面通りの「未だ来ない=わからないモノ」とはならない。
 未来視の姫巫女が語る「未来」は、この国の人にとっては確定事項。
 キルシマイアが俺たちのことを「ミッドガルドの未来に必要不可欠」だと言うのなら、それは絶対にそうなのだ。

「職権乱用じゃないか?」

「あら? わたくしは嘘を申したつもりはありませんよ?」

 にっこりと笑いかけてくるキルシマイア。

 暗に、絶対に世界を救えとプレッシャーを掛けられている気がする。
 意外としたたかだな、キルシマイア……。

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 豪華な客室のベッドに、ニナを寝かせる。

「さて、と」

 暇になった。
 窓からは夕焼けの赤が射し込んでいる時刻。寝てしまうにはまだ早い。

 コンコン。

「ん?」

 ノックの音。

『キルシマイアです』

 扉を開く。

「なっ!?」

 キルシマイアが立っていた。
 が、さっきまでのローブ姿ではない。

 白の小袖に、下は緋袴。

 いわゆる、巫女装束であった。日本の。
 金髪碧眼のキルシマイアが着ているのは、少し違和感があるが……。

「? どうされました?」

「キルシマイア、その格好は……」

「ああ、これですか。代々伝わる姫巫女の正装なのです。変わった作りでしょう?」

 そう言って、くるりと回ってみせるキルシマイア。

 イイ!

 じゃなくて、どういうことだ。
 何故日本の巫女装束が、ヴァルハラの姫巫女の衣装になっている。

「似合いませんか?」

 不安気に尋ねてくるキルシマイア。

「いや、似合っていることは似合っているが……」

「そうですか。よかった」

 キルシマイアはホッとしたように微笑む。

 ……まあいいか。理由にはさして興味もない。

「それで、何か用か?」

「はい。よろしければ異世界のお話など、お聞かせ願おうと思ったのですが……」

 キルシマイアはベッドでぐーすか眠るニナをチラリと見た。

「ニナさんを起こしてしまうのも、悪いですね。よろしければ、わたくしのお部屋でお話しませんか?」

 ニコニコ。

「まあ、別に構わないが。何か嬉しそうだな?」

 指摘すると、キルシマイアは少し頬を染めて俯いた。

「わたくし、ずっとこの神殿で過ごしてきましたから……。同年代の方とお話するのが楽しくて。ご迷惑でしたか?」

 ぐはー!
 金髪碧眼巫女装束美少女が頬を染めて上目遣いだとう!?
 なんという……破壊力……。

「迷惑じゃないさ。お前は俺の側室(予定)なんだぞ?」

「……! はい! お飲み物もご用意しますね!」

 キルシマイアはにっこりと微笑んだ。

 彼女の部屋への道中、キルシマイアは、見かけたメイドさんに飲み物を用意するよう頼む。

 この時の俺はまだ、知らなかったんだ。
 ミッドガルドでこういう時「飲み物」と言ったら、それはアルコール飲料を指すのだということを。

________________________________________

 俺とキルシマイアが、彼女の部屋に入った直後。

 バーン!

「キルシマイぶごぉ!?」

 いきなり扉が開かれて、髭面で筋骨隆々の男が涙目で飛びこんできた。
 そしてキルシマイアに抱きつこうとしたので、咄嗟に蹴り飛ばしてしまう。

 なんだ、このむさ苦しいオヤジは。

「お、お父様?」

 は? お父様?

「お父様っていうと、もしかして……」

「……神聖ヴァルハラ皇帝、アレクサンドロス92世です」

 眉間を揉んで疲れたような顔をしながら、キルシマイアが言い放った。

 し、神聖皇帝陛下ぁぁぁ!?
 92世ってどんだけ歴史長いんだよ!

 って問題はそこじゃねぇ!
 やっべー! 手加減したとはいえ、皇帝陛下ぶっとばしちまった!

 神聖皇帝アレクサンドロス92世は、鼻血を垂らしながらゆらりと立ち上がった。

「貴様ぁ……」

 ああ、怒っていらっしゃる……。

「娘とはどういう関係だぁ!」

「そっち!?」

「キルシマイアが神殿を抜け出していたと報告を受けて、よもや悪い虫がついていないかと心配して来てみれば、案の定……!」

「いやいやそれは違……あれ? 違わないな……。いやでもそれは」

 その時、キルシマイアに言われて飲み物の用意をしていたメイドさんがやってきた。

「失礼しま……ひゃあ!」

 物凄い形相で振り向いた皇帝に驚いて、メイドは持っていた盆をひっくり返してしまった。

 バシャ!

 アルコール臭を放つそれを、俺は頭から思いっきり被る。
 この程度を躱せないとは、油断していた。

「も、申し訳ありません!」

 メイドがあわや土下座かという勢いで頭を下げる。

「フ。気にするな、メイドよ。俺はこの程度で怒るほど狭量ではない」

「……あら? リュースケ様、何だか雰囲気が変わって……」

「何の事だ? 俺は酔ってなどいないぞ?」

「酔っています! あなたが見ているのはわたくしではなく柱です!」

 何を言うのか。
 神に選ばれた俺が酔っ払うはずなどなく、つまりこれは柱ではなくキルシマイアであるのだ。

「メイドよ。すまないが、身体を拭くものと、代わりの飲み物を」

「は、はい! 只今!」

 メイドは俺の指示に従って、迅速に部屋を飛び出していく。

「……何だかよくわからんが、とにかく貴様! 我のキルシマイアを(たぶら)かしおって!」

「フン。それがどうした」

「……何だと?」

 俺の迫力に押されたように、アレクサンドロスはその勢いを弱める。
 目の色が変わったな。
 怒れるオヤジの瞳でなく、他者を値踏みする皇帝の瞳に。
 キルシマイアは垂直に直立不動で俺を見ていた。

「いえ、それはわたくしではなく柱……」

「愚かなり! 神聖皇帝!」

 ビシィ!

 俺は皇帝に人差し指を突き付ける。

「ほう……? 仮にも皇帝に向かって、そのような口をきくか」

 皇帝は先程までとは一転、落ち着いた様子で顎髭を撫でている。
 だがその眼光は凄まじいプレッシャーを放ち、俺を呑み込もうとするかの如くだ。
 俺はふーやれやれと肩を竦めてみせた。

「だから愚かだと言うのだ。皇帝がどうした。髭がどうした」

「いえ、誰も髭がどうとは申しておりませんが……」

「俺は神の使徒にして世界を救う英雄、リュウスケ・ホウリュウインだ。この俺に誑かされたことを誇りこそすれ、怒る理由など何もなかろう」

 俺は事実を述べたに過ぎないのに、皇帝は眉をピクリと動かす。
 しかしすぐに動揺を心中に押し込め、懐疑を込めて娘へと問いかける。

「神の使徒にして英雄ときたか。本当なのか? キルシマイア?」

「ええと、まあ。嘘とは申しませんが……」

 否定をしないその言葉に、今度こそ皇帝は驚きをあらわにする。
 当然だ。キルシマイアが英雄だと言えば、今は違ってもいずれ必ずそうなる(・・・・・・・・・)のだから。
 だが俺が英雄だと知っても、皇帝の瞳は揺るがない。むしろ眼光に込める力を強めて、傲岸不遜にもこの俺に向かって問う。

「ならば英雄。貴様はこのヴァルハラで何を成す? 何を望む?」

 さすがに1国の、否、人間の頂点に立つ王。なかなかの威厳だ。
 まあ英雄たる俺程ではないが。

「ヴァルハラでだと? フハハ! 小さい。小さいな神聖皇帝」

 俺は込みあげる笑いを抑えられない。いや抑える必要もない。

「ほう。ヴァルハラでなくば、何だ」

「知れたこと。世界だ! 俺は魔国を下し、このミッドガルドに平定をもたらす者! 神はおっしゃった。この俺に! 魔王を倒せと! そしてその暁には、キルシマイアを娶らせてもらう!」

 皇帝は呆気にとられた間抜け面で俺を見た。
 そして髭面を歪めて、何を思ったか、大笑いを始めた。

「ぶわっはっはっは! そうか! 世界を救うか! これ程の大言壮語を堂々と吐く奴は初めて見たわ!」

「何が大言壮語なものか。俺はやる。当然のように。神の使いであり、英雄であるのだから」

「ぶわははは! なるほどなるほど。いや失礼した。貴殿が真の英雄であることなど、我は知らなんだのだ」

「無知は罪だ。だが無知であることを認めることができる貴様は、まだ救いの余地があるな」

「そうか、そうか。神の使徒に認められるとは、光栄よな」

「ああ。こちらとしても、キルシマイアの父であり皇帝である男が、単なる筋肉髭だるまでなくて安心したよ」

 ニヤリ、と皇帝と笑みを交わす。

「筋肉髭だる……」

 キルシマイアの呟きが終わらないうちに、先程のメイドがさらに数人のメイドを引き連れて戻ってきた。

「お待たせ致しました! すぐに拭かせていただきますね!」

「うむ。拭くことを許す」

 俺はキルシマイアとの会話用に持ち込まれた円卓に歩み寄り、どっかりと椅子に腰を下ろした。
 メイドが慌てて駆け寄って、タオルで俺の頭を拭う。

「おい、そっちのメイド。はやく飲み物を用意しろ。キルシマイアと皇帝も座れ。今夜はとっくりと飲み明かそうではないか」

「リュースケ様……飲むのはもう、およしになったほうが」

「む? キルシマイア、いつの間にそちらに移動したのだ。俺の目をもってしても認識できなかったぞ」

「わたくしは初めからここにおりました」

「がはは。ではご相伴に預かるとするか」

 皇帝が俺の向かいに腰掛ける。
 俺はメイドからグラスを受け取り、中身を一気に飲み下す。
 皇帝もまた、一息にグラスを空にした。

「フ。なかなかいける口ではないか」

「英雄殿もな」

「フハハハハハハハハ!」

「ぶわっはははははは!」

「ああ……何故こんなことに……」

「キルシマイア! 座れと言っているだろう」

「きゃあ!」

 キルシマイアを抱き寄せて、俺の膝に座らせる。

「がはは! あの姫巫女キルシマイアが普通の女子(おなご)のようだわ!」

「フハハ! 姫巫女だろうが皇帝だろうが、神の使徒たる俺の前では皆同じ人よ」

「なるほど! 違いない!」

 ぶわはは。フハハハ。

「メイド! 酒が足りぬぞ!」

「はっはい。すぐにお持ちします!」

「キルシマイア! お前も飲めというのに! どうしても飲まぬと言うのなら、口移しで飲ませるぞ」

「わっ、わかりました。飲みます。飲みますから」

 顔を赤くして、可愛いやつよ。

「……キルシマイア、我が娘よ。お前は英雄殿の嫁になる事に異存はないのか?」

 その様子を見て、皇帝がそんな事を言う。
 キルシマイアはまっすぐに父を見つめて、多くは語らず言い放った。

「はい」

「……そうか。救世の英雄と、平和な世界で添い遂げる。これ以上の縁談もそうはあるまいな。ならば、我も涙を呑んで見送ろう」

「心配するな。魔王の娘も、ひいては魔王自身も、すぐにこの俺自ら引導を渡してくれる」

「がはは! 期待しておるぞ、リュースケよ!」

「フハハ! 任せておけ!」

「頼もしくはあるのですけれど……」

 俺と皇帝の笑い声は、明け方までヴァルハラ神殿に木霊した。

 後に、英雄と皇帝の親愛の誓いとして、後世に語り継がれるかどうかは定かではない。


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