基本的にぼくらは、どうでもいいことに関わりすぎです。
いいね!いいね!いいね!
特にソーシャルネットワーク、各種キュレーションツールが発達したおかげで、ぼくらが手にする情報はより膨大に、より的確になりました。ニュースアプリとSNSさえあれば、2〜3時間は余裕で暇つぶしできます。
そしてぼくらは、そういう暇つぶしのなかで「いいね!」を付けたり、コメントを付けたりします。Facebookを覗くと、一億総コメンテーター時代。みんな何かを言っている。社員食堂の会話が可視化されたような感じ。
どうでもいいね!
偽装表示についてコメントを求められたので、「偽装表示?エビが芝だろうが伊勢だろうが、大騒ぎするほどのことなの?」という記事をアップしました。
あまのじゃく的な感じがあざといので迷いましたが、本当にぼくにとってはどうでもいい話なので、あえて言葉にしておきました。偽装表示とか、どうでもいいね!むしろ、それを全力で叩く市民の方にぼくは問題意識を抱きます。
で、この「どうでもいいね!」というのは、何気に貴重なスタンスだとも思うのです。多分、この言葉を今の社会で吐くためには、かなりの勇気が必要です。特にそれが社会的に大きなイシューであればあるほど、「どうでもいいね!」は言いづらくなります。
「どうでもよくないこと」は何か
「どうでもいいね!」というスタンスを明らかにすると、自然と、「では、何が自分にとって『どうでもよくない』のか?」という疑問に向き合うことになります。
たとえば、ぼくにとってどうでもよくないことは、
・自分、家族、友人の人生に関すること
・市民の社会参加を盛り上げること
・起業を盛り上げること
・毎日楽しく自由に暮らすこと
なんてところになります。これらに関係することに関しては、ぼくは何がしかのコメントを提供したり、いいね!をしたりするでしょう。特に関心がないことについては、いいね!もコメントもしません。だって、どうでもいいんですもの。
「どうでもいいね!」と言えますか?
情報が氾濫するこれからの時代、「どうでもいいね!」と言う勇気を持つことは大切だと思います。この勇気がないと、メディアに翻弄され、攻撃的・消費者な人生を歩むことになるでしょう。
こんな世の中ですから、実験的に、あらゆる情報に対して「どうでもいいね!」を突きつけるのもいいと思います。次にニュースに触れる際には、ぜひこのフィルタリングを利用してみてください。人生が幾分有意義になると思いますよ。