ラーメンによる震災復興と世界進出の夢 「一風堂」店主 河原成美

[2011年05月04日]


カリスマ・ラーメン店主が語る、震災復興の使命と海外進出

東日本大震災の被災地に各界からの救援が行なわれるなか、飲食業界のカリスマ経営者が復興を長期的に支えるユニークな支援策を考えている。
かつて自他ともに認める“ダメ人間”だったという「博多 一風堂」の河原成美は、どのようにして社会貢献を喜びと感じるような人物に変わったのか?



■商売で救われた男だから、商売で恩返しするのが使命

――震災発生時は、どちらにいたのですか?

河原 シンガポールでテレビを見ていて日本の状況を知りました。最初はあまりにショッキングで言葉が見つからなかった。「博多 一風堂」は仙台や盛岡にもあるけれど、自分の店を心配する前に、日本という国に対しての心配のほうが圧倒的に大きかった。「これは早く日本に戻って自分も何かしなければ」と、すぐ帰国を決めました。

――帰国して、どのような活動を?


河原
全国500軒以上のラーメン店の仲間が参加する「ラーメン義援隊」を通じて募金などの支援を始めました。現在は体制が整ったので義援隊のほうは若手の店主たちに任せ、自分は独自の活動で貢献したいと考えています。

――具体的なアイデアは?

河原 被災地での炊き出しにも参加しましたが、これほど大きな災害では短期的な活動だけでOKとはならない。僕は、被災者の方々が生活のインフラとしての商いを始められるようなサポートができたらいいと思う。例えば、ラーメン、うどんなど粉ものを使った飲食店をオープンさせて、地域の人々が店長やパートとして運営する。うちは儲けは考えず仕入れやレシピで支援する。人が集まる小さな店の周辺に生活コミュニティが生まれて、町が再生していってほしい。時間はかかっても、これはぜひ実現させたいですね。

――地域住民の長期的な生活基盤づくりのサポートをするわけですね。

河原 被災地の方々も、ただじっとして義援金や物資をもらい続ける生活はストレスになる。やっぱり、自分で働いてお金を稼いで、一日でも早く自立したいと願っているはずです。そうでなければ、未来は見えてこない。今年中に10軒、5年間で50軒の店がつくれるようにがんばりたいと思います。

――今回に限らず、河原さんはさまざまな社会貢献活動に取り組んでいます。そこにはどんな思いが?

河原
単純に世の中に恩返しがしたいからです。僕も若い頃、ずいぶんと世の中に迷惑をかけてきたから。漫画家や役者になりたいと夢見た時期もあったけれど、どれもうまくいかなかった。自暴自棄になり、25歳で事件を起こして警察に捕まったこともありました。今は“成功した経営者”みたいに言われているけれど、当時の僕は、本当にどうしようもない男だったからね。

――そんな“ダメ人間・河原成美”が変わったきっかけはなんだったのでしょうか?

河原 道を踏み外した自分を救ってくれたのが商売でした。26歳で小さな店を開いて、初めて本当に人生と向き合うことができた。それから30年が過ぎ、僕もようやく少しは恩返しができるようになった。「商売で救われた男である以上、商売で恩返しするのは使命だ」と思っています。だから、世の中のために役に立てるのはうれしくて仕方ないんです。

■諦めは覚悟の始まり。前向きに諦めよう!

――ところで、最近の「博多 一風堂」は国内だけでなく、海外進出を積極的に進めています。その理由は?

河原 現在はニューヨーク1店とシンガポール2店のみですが、今年は韓国と香港で新たにオープンします。中国やヨーロッパでも出店予定で、来年中に海外で15店舗くらいかな。僕自身は2018年に経営のトップから退くつもりですが、それまでに商売人としての最後の大勝負をしているところです。

日本は経済成長の時代が終わり、今は現状維持が精いっぱい。でも、飛行機に数時間乗って中国や韓国に足を延ばせば、街も人もものすごいエネルギーにあふれている。希望を胸に懸命に働いている人たちと一緒にいるだけで元気が出る。僕はそれが楽しい。

――逆に、日本国内では就職内定のもらえない学生があふれ、社会問題になっています。

河原 就職難かどうかにかかわらず、どんどん海外に出ていくべきだよね。「英語が話せない」というのは言い訳にすぎない。うちの会社でも、ニューヨーク、シンガポールどちらの店にも英語力のないまま働き始め、悪戦苦闘しつつも、現在はリーダーシップを発揮している若手は何人もいます。

――悩んでいるより、まずはやってみることが大切だと?

河原 僕はよく「諦めは覚悟の始まり」という言葉を使います。自分を逃げられない状況に追い込んでしまえば、諦めて覚悟せざるをえない。「諦める」というとマイナスイメージを持つ人が多いけど、仏教用語には「諦観」という言葉がある。意味は「本質をしっかり見極める」こと。「諦める」は、本来は消極的な言葉ではなく前向きな言葉なんです。

――なるほど。

河原
僕自身、20代で過ちを犯してすべてを失い、ゼロ以下からやり直す覚悟を決めざるをえない状況に追い込まれた。それがよかったんだね。

覚悟を決めたら迷わない。自分が決めたことを信じて、最低3年間はがんばってみてほしい。ぶれずに取り組まなければ、何をしても成功はつかめない。逆に言えば、それさえできれば、必ず何かつかめるはずです。

――ただ、それがみんな、なかなかできないんですよね。

河原 でも実際、僕は凡人以下の人間だと思うし、商売の才能があったわけでもない。ひとつだけあったとすれば、それは“続ける”力なんです。20代から30代の人にはチャンスがあふれている。今は大変な世の中になってしまったけれど、こういう時期だからこそ自分自身の可能性を信じてほしいね。

(取材・文/会津泰成 撮影/井上賀津也)

河原成美(かわはら・しげみ)
1952年生まれ、福岡県出身。大学卒業後、スーパー勤務などを経て、1979年、レストランバー「AFTER THE RAIN」を開店。1985年に「博多 一風堂」をオープン。新横浜ラーメン博物館への出店、『TVチャンピオン』の「全国ラーメン職人選手権」3連覇など、業界のカリスマとして活躍。「博多 一風堂」を国内外に約60店舗の人気店に育て上げる。(株)力の源カンパニー代表取締役。

『博多 一風堂・  凡人が天才に勝つ方法』
「博多 一風堂」店主・河原成美の若き日の苦悩や失敗、それを反省し、克服することで形づくられた独特の成功哲学を、ジャーナリスト・会津泰成氏が長期密着取材で解き明かした。チャンスや才能に恵まれず悶々とした日々を過ごす若者が前向きになれるヒント満載で好評発売中。集英社刊・1300円。

   

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