シリウスは僕に指一本触れなくなった、というのは言いすぎた。避けるでもなく詰め寄るでもなく、シリウスはそれでも確かに僕を遠ざけ始めた。思いの他早く彼は僕に飽きたのだ。僕たちは友達に戻った。

 かと思えば、突然何者かに物陰から手を引かれ路地に連れ込まれて、慌てて見上げるとシリウスだったりもした。彼は黙って僕を見下ろしていた。目が赤く、なのに瞳の色は驚くほどに静かだった。凪いだ海のように。

「……ちゃんと眠ってるのかい。目が真っ赤だ……」

「触るな」

 触ろうとした僕の手をシリウスが掴んだ。ぎゅっと強く握り締めた。

「お前は何とも思ってない。俺が傷つけても優しくしても何をしても何とも思ってない。お前は俺の夢なんかみない」

 眉を寄せてシリウスは呻いた。呪いのように。そして身を翻して、突然去った。

 シリウスが何を言っているのかよくわからなかった。僕が言うのもなんだけど彼は何かの病気のようだった。僕がわかったのは、全て彼の望み通りにしたのに、シリウスはより傷ついたということだ。なら、どうすればよかった?

 

 

 僕はちゃんと彼の夢をみている。別次元から現れたようなものではなくて、知っているままのシリウス、彼単体のものだって。何度も。

 たとえば得体の知れない魔方陣の中に立ち、火に体を焼かれているところ。あるいは彼のお仲間と思しき角や尻尾を持った黒い生き物(たぶん悪魔でいいんだろう)と互いに殺し合っているもの。

 どのシリウスも僕に気付くと怪訝な顔をして「ひっこんでいろ」と言った。僕は近寄った。特別な手段は持たず、何の打開策も見出せないまま。そして一緒に焼かれたり、串刺しにされたりした。

 

いつだったか、幼い姿で出てきたこともある。

夢の外では雨が降っていた。洞窟の中、焚き火が皮膚の表面だけをじりじりと焼いて、冷えた体は少しも温まらなかった。そんな時だ。足を折ったシリウスは熱を出したようだった。付き添いながら、僕はいつの間にか眠っていた。

 

 四方を巨大な壁に囲まれた中に小さな少年が一人立っていた。彼は小さなシリウスで、お馴染みの悪態を壁に向けて吐いていた。

 遠くから見ていると、吐き出した言葉が壁にぶつかり彼自身に戻ってきているようにも、まだ甲高い声なシリウスの、それでも激しい罵倒だけが聞こえてくるようにも思えた。でも、遠くにいたからはっきりとはわからない。

 近づいた時、シリウスは傷ついた両手からダラダラと血を流していた。そして叫んだ。

 ここだ。迎えにきてくれ。悪魔たち。化け物たち。俺の仲間たち。頼むから来てくれ。もう、ここにいたくない!

 誰もこなかったので、しばらくして彼は足を地面にめり込ませるようにしていた仁王立ちをやめて、しゃがみこんだ。僕は近寄って「どうしたの」と聞いた。すると、少しして震える小さな手が僕の腰に縋った。幼く、そして美しいシリウスの頬は濡れ、瞳は涙を零していた。

 痛い……本当は苦しい……助けてくれ……助けてくれ!

「……大丈夫。来たよ。君の望み通り、君のお仲間だよ」

 どこに? お前? お前が俺の仲間? 俺の呼んだ化け物? でもお前の姿はただの……ただの……

 シリウスの前に膝をつき、血まみれの手を取った。僕は見つめた。シリウスの小さな両手――それでも長く美しい十本の指が、手の中にある。僕は言いかけたことを忘れた。なんて白くて美しい指。なんて美しい赤い血……ああ、この指一本だけ引きちぎったら怒られるかな。せめて僕の手の中に溢れた血だけでも飲んでしまえないかな。ガブガブと、何かの、ジュースみたいに……

「君は、君は……とっても、美味しそうだね」

 シリウスは目をぱちぱちとさせただけだった。

「……この姿は駄目なのかい。じゃあ、もっとすごいものを見せてあげるよ。ほら」

 指差した暗闇の先に、一点のスポットライトが当たっていて、そこに今のシリウスと同じくらいの小さな少年が座っていた。シリウスは見るなりそちらに走って行った。そして僕は残された。

 手のひらに残った血を舐めると良く知っている味……ああ――甘い、チョコレートの味がする。

 

 目を開けると僕はシリウスの手を握っていた。シリウスが言った。

「……俺が悪いのか? 俺が化け物か?」

 君が? ハハ、まさか。

 

 

 

 

 

 シリウスから解放された僕は、また前のようにゆっくりと眠れるようになった。眠りこそ僕の糧だ。僕は静かで誰にも邪魔をされない場所を探してしばらくうろつき、見つけて落ち着き、そして眠った。

 

 僕は暗闇の中に残された丸い光の陣地の中で、何かを待っていた。手足を動かすと肌が直接外気に触れいて寒かった。何も着ていない。

 お馴染みの、そして久しぶりの夢だった。ほら、僕の影から起き上がる毛むくじゃらの黒くて重い闇の塊。僕の体を弄り引き裂く血に飢えた化け物がやってくる。ギラギラと光る目が僕の目と重なる。僕は呟く。……いいよ、おいで。僕を好きにしていい。

 まるで上空に住む何者かに捧げるように体はゆっくりと持ち上げられ、僕はいくらか高い場所から世界を見渡すことができた。でも辺りはただただ暗いばかりで、一瞬手に入れた眺望はまるで意味をなさなかった。すぐに体は降下し、打ち付けられていた。

 今夜の彼は僕を殴ったり犯したりするのは好みじゃないようだ。持ち上げられ地面に叩きつけられる。それが、何度も、何度も繰り返された。

 関節の鳴る鈍い音や骨の折れ砕けるどこか軽い音(僕の骨は脆いのかもしれない)を聴いていた。痛みは――痛みはあった。呻いたり悲鳴を上げたり……でももう慣れているので構わない。好奇心が湧き上がっていた。彼は僕をどうしたいのだろう? とにかく、バラバラでグジャグジャの、肉の塊にしてしまいたいのかな。今夜はそんな気分なのかな。

 そういえば色んなパターンがあったこの夢の結末も、僕が肉塊になるまでは至らなかった。たぶん死んだんじゃないかな? ってことは何度かあったけど。

 脳がやられてしまえば終わるのかな? 頭蓋骨は砕けていないのかな? 砕けているような気もするんだけど。どちらにしろ今夜もそこへは至らないようだ。周囲にあった何かガラスのような壁を叩いて――叩き壊して、シリウスが来た。思わず呟いた。

「……め……め……珍しい……なあ……」

 途中で誰かが介入するなんてことがあっただろうか? それに、真打ち登場という風にやってきたシリウスを見て、あっけないくらい簡単に化け物は引き下がったのだ。僕の体はすぐに新しい所有者シリウスに向かって差し出された。

 どこかから流れ出ていた血を使って冷たい地面を横滑りし、僕はシリウスに辿り着いた。シリウスが固まったような顔で僕を見下ろし、くず折れて僕の体を抱いた。途端に僕は悲鳴を上げた。何故か、僕はその瞬間に痛みを思い出したのだ。体中の骨が折れていること、本当に、痛くて、痛くて、堪えられないこと。もう少し早くか、もう少し遅くに来てくれれば良かったのに。

「リーマス……」

「……ああ、あ、シリ、ウス……い、いっそ……」

 殺してくれたら――! そうすれば今夜も終わりだ。でも言葉は痛みによって遮られた。

 シリウスは僕を抱きかかえ、立ち上がった。どこかへ歩き出した。たぶん前方へ。

 すると急激に痛みが増した。触れられているだけで、腕の中で少し揺らされるだけで気が狂いそうに痛んでいる。胸の奥から血が盛り上がってきて口からどっとあふれ出した。僕はひきつけ、痙攣し、ヒッヒッと短い悲鳴だけを上げた。

 動かないで欲しい。痛い。そっちへ行かないでくれ。止まってくれ。シリウス、シリウス!

 渾身の力を振り絞って、腕を持ち上げた。震える指先がシリウスの頬に触れた。途端に彼は前方に向けて叫んだ。

「やめろ! 俺の気を反らすためにこんなことをするな! 何回同じ手を使えば気が済む? お前はこうやって肉を投げておきさえすればいいと思ってる!」

 僕の意識は遠のいてゆき、これで肉体の仕事は終わりのようだった。ただ、シリウスの用が済んでいないので、夢はもう少し続くのだろう。

 

 

 

 僕の腕や指、爪は長く、体中には黒い毛がもじゃもじゃと生えていて、裂けたような口の中に鋭い牙がある。細部ははっきりとしているのに、全体は驚くほどにぼんやりとして、輪郭は曖昧。暗闇の中に盛り上がった何か――獣のような何か――であることしかわからない。

 眠りの中に生まれた瞬間から僕はこの姿だった。毛むくじゃらの真っ黒な体を持って影から立ち上がり、怯えたようにこちらを見上げて来る小さな僕を見下ろしていた。でも目が合った瞬間に、どちらの僕も互いの役割をわかっていた。

 それは生まれた時から与えられていた義務なので、ただしなければならないからするだけのもの。でも僕の代わりに、つまり義務ではなく望んで(欲望で?)この役をやりたいという物好きが現れたので僕は譲った。

 ところが今夜のシリウスは、何もお好みじゃないようなのだ。ちゃんと肉をあてがっておいたのに、シリウスはそれに怒り、僕の方を呼び止めた。

 人間の僕にはもう飽きたからかな? 僕は首を傾げた。硬い頭の毛と首の毛が擦れあってガサガサいった。

 声を出そうとすると、口の中から低い吼え声が出てきた。「ああ、今人間の言葉を喋れないんだった」と呟く。シリウスが「わかる。いつも通りに聞こえる」と言う。おかしな話だ。でもいいか。どうせ夢の中だ。僕は構わず吼えた。

「何が嫌になったの? 君、この前も僕を傷つけて楽しんでたじゃないか。そういうのばっかりに飽きたってこと?」

「あれは、お前が俺と同じ気持ちにならないからだ。俺がどうしてあんな風になるのかわからないからだ!」

「ううん、わかってるよ。君は持ち物を取られるのが嫌だった。代わりを探すのも面倒だし、少し神経質になったんだ……でも大丈夫。他の誰のものでもない。ほら、腕の中を見て……君のものだよ。それを自由にしていいんだよ……」

 シリウスの腕の中には半分壊れかけた僕の体がある。でも肉体の方の僕はもう意識がない様子で折れた腕や脚をだらりと垂らしていた。さっきまで悲鳴くらいは上げていたはずなのに、ちょっと遅かったのかもしれない。

「まあ……大分傷んでるけどまだ息はしてるし、筋肉も動く。どうせ壊すんだから初めからどこか壊れてたって構わないよね。君そういうのも好きじゃないか。今にも死にそうな僕の姿……ぞくぞくするだろ?」

 意識上、僕はシリウスに微笑みかけた。でもシリウスに僕の顔がどう見えているのかはわからない。獣の裂けた口が、更に切れ上がって見えているのか。ともあれ、シリウスは乗ってこなかった。

「……初めは俺以外の奴がするから嫌なんだと思ってた。でも、違う。気持ちが変わった。俺は自分が何でも、もうどうでもよくなってきたんだ。時々夢の中で叫ぶババアどもの声を聞いても、平気な顔して眠ってられるようになってきた。俺はもういい」

 そしてこんなことを言い始めてしまった。言って、何故だか意識のない僕の肉体の、血の飛び散った頬や、汗まみれの髪に優しく触れた。僕は呆れた。要するに彼は“化け物ごっこ”に飽きたのだ。

「なら、それを返してよ」

「嫌だ。返したら同じことの繰り返しだ。俺は傷つけられた分傷つけたいと思って生きてきた。お前は逆だ。傷つけたと思う分、傷つかなきゃならないと思ってるのがわかる。俺はもういい。お前を助けてやるよ。お前には俺が必要だ」

「必要? 必要なのは君じゃないか。自分を化け物だと思いこんでる君の相手をできるのは、本物の化け物の僕だけ……化け物の相手は化け物でなけりゃ。だから僕が欲しいんだろ」

「違う。人間だからだ。化け物のふりをして自分を罰するお前に成り代われるのは、化け物のふりをした人間の俺だけ。お前もそう思ってる。だから俺が必要なんだ」

 特別議論は長続きせず、言い当てられて罰する僕と罰せられる僕は一つになりシリウスの前に立っていた。血肉を晒した姿でも、曖昧な輪郭の毛むくじゃらでもない。夢の外で眠っている僕の姿と同じ。つまり、ただのリーマス・ルーピンだ。

 シリウスの手の中の肉体は失われ、同時に僕の免罪符である輪郭のない獣の皮も消えた。僕はため息をついて、それから微笑んだ。

「君はいつも本当のことばかり知りたがる。真剣に話せば、真実をぶつけあえば解決するんだと思ってる。絶望的に希望を信じてるんだ。小さな子供みたいに……可愛いね」

「リーマス」

「殴れよ。君と同じだけ誠実な僕だと思うのかい。何か言わせたいなら殴ったらいい」

「嫌だ。そんなのは、もう嫌になった」

「弱音を吐くなよ。本物になりたかったんだろう? お仲間が欲しかったんだろ? 本物は、ただ傷つけるだけしかできないものなんだ。知っているくせに。自分だけ一抜けできると思うなよ」

「リーマス、俺は逃げたいんじゃない。お前を助けたいんだ」

「シリウス、そう言う君の方が本当は助けられたいんだ。同じくらいに捻じ曲がっているから相手のことがわかる。君がもしただのお坊ちゃまなら、僕の気持ちがわかったかな? 違うだろう? わかりもしなかっただろ。そういうことだよ……優しい君なんていらない」

 シリウスは僕に歩み寄り、手を差し出して僕の口を塞ごうとした。でも僕はそんなことは受け入れたくなかった。避けて、その手をやり過ごし、こちらから差し出した手をシリウスの首に絡めた。僕は目を細めてシリウスを見つめた。

「シリウス」

「……どうしてもこの方法でなきゃ駄目なのか」

「そうだよ。君がそうであったようにね……どうする? 君は」

「……お前に触りたい」

「ああ、もちろん。もちろん、それでいいんだよ……」

 シリウスの手が改めて僕の頬に触れ、首に回り、うなじをきつく掴んで引き寄せた。僕は目を明けたままでシリウスに唇に答えた。僕の夢の中では僕の姿は今も獣のままだと思う。だとすれば今していることはとてもグロテスクな光景に違いない。

 夜になれば僕はいつも苦しみを思い出す。この体を消してはしまえないかと思い描く。それを夢にみる。でも同じ夜、シリウスの美しい手、優しい唇が僕の体に触れる。その時僕はシリウスの指を千切り、血肉をすすることはできないけれど、彼の全てが僕の中にある。

 

 

 熱が過ぎ去ってもシリウスは僕の手を握っていた。そうしたがっている彼――どこか不安げでいつもよりも随分と頼りない――を横たわったまま僕は見つめて、そして呟いた。

「あー……滑稽だなあ……」

「何が」

「君がだよ……僕を助けたい、どうしても僕の特別に……面白いな。ううん怖いよ。僕は君にそう言って欲しいんだな」

「? お前が言わせてるってのか?」

「そうなるだろ……君は、僕の眠りが作り出したもう一人の僕だ」

「へーえ。そのわりに、俺を傷つけないな。自分自身にならどんな酷いことでもできるお前が。この程度か? 骨を折るのも皮膚を裂くのもお構いなしだろ? 俺がお前だと思うなら、してみろよ」

「そうだね……僕は誰かが傷ついたり傷つけられている時に、見ないふりをしてただじっとしていることができる。ただ見ているだけでいることもできる……自分自身ならなおさら……でも、今は嫌。今は君の姿をしてるから、傷つけるのは嫌だ……友達だからね……」

 シリウスがぎゅっと眉を寄せた。半分体が起き上がる。

「これで友達!? 話にもならない。おい、どうしたら昇格できるか言えよ。“化け物”だってそうだ。俺にとって象徴、お前にとっては現実。だから一番大事な時にズレちまうのか。俺も現実にすればどうだ? 何十人か襲って、その辺にいる奴らをミンチみたいにしてやろうか! 目が覚めたら。なあ、それでどうだ?」

「……駄目だよ。しないで。子供みたいなことをさ」

「本物だとか言っていい気になってるお前より、俺の方がイカれてるってことがわかればいいんだろ。お前が納得するなら俺は」

「ううん、シリウス……もう……放っておいてくれ……僕は、こうやって安心するんだ……十分傷ついたから、だからまだ生きていくのも許されると思うんだ。それだけなんだよ……僕はそんな風に歪んだんだ」

「俺は嫌だ。お前を傷つける以外のことがしたいんだ……追い払うなよ。お前が俺にしたみたいに、お前を助けてやりたいんだ」

 なんて真剣な顔をしてるんだろう。シリウスは僕に詰め寄り、近づけるだけ顔を近づけていた。そんなに近寄ったら逆に輪郭がぼやけるんじゃないかって思うほどに。それとも僕の目を彼の視界の全部にしてしまおうとするかのように。

「……君だって、僕がどうしてこうなのかわかろうともしない。なんだか随分美化されてるしね……君を助けるために苦しみに耐える? そんなにお優しい人間に見えるのかい」

「事実だろ」

「まさか。どんなお人よしでも相手がどんなに可哀想でも、傷つけられるのをただ許すなんてことはしないんだ。そこにメリットがなけりゃね……でも君が相手だったら、僕と同じことをする人間なんて山ほどいそうなのになあ」

「何? 何を言ってる?」

「ん……だから、君が苦しむところを見てるよりも、体をあげてしまう方が楽だろ。そんなことで君が手に入るならいいと思うじゃないか。好きなら。そう、僕は、ずっと前から君が好きだったからね……でも友達で、所有物なんだ。それ以外の言葉を、使いたくないんだ。使ったら僕は本当に僕を……」

「…………」

「満足しただろ。消えてくれよ。君こう言わせたかったんだろう? ううん、僕は結局こう言ってしまいたかったんだろ……?」

 僕は笑えてしまうような滑稽な話が、好きだ。だからそう言った。

 今きっと僕は肉体の象徴。そしてシリウスの姿をしているのは僕の恋? 僕の心? ああ心なんか忘れてしまいたい。化け物の体に人間の心があると苦しいんだ……忘れさせてくれ。せめて、眠っている時だけでいいから。

 言葉なら幾らでも誤魔化せるし、嘘がつける。ただ、もしもシリウスが同じ夢を見てしまっていたら、現実の彼は必ず、抱きしめた途端に僕の肉体が痛みを覚えたことの、その意味に気づくだろう。僕は何度だってこう言わなければいけない。――それは夢の話だよ。シリウス。

 

 

 

 

 

 呼びかけられて僕が目を覚ますと、やっぱりシリウスが僕の顔を覗き込んでいた。僕は用意していた台詞を口にしようとして……シリウスが何も言わないことに気づいた。僕の手のひらに何かの模様があって、シリウスの手にも対になるものがあった。さっきまで僕らはそれを重ね合わせていたのだ。誰かさんが好みそうな古い魔法だ。そして、駄目だと、もう何もかも知られてしまっていると気づいた。

「……ずっと君の夢ばかりみてた。それでいいよね」

 目覚め生まれたばかりの僕が脆かったからだ。そして同じようにして今初めて世界の光を見たような目をしたシリウスは産声のようにして泣き出して、あまりにそれが……僕の胸を痛ませたので、彼の背に手を回して僕は彼を抱きしめた。

 僕は嘘を突き通したかった。だって本当のことを言うと、痛んで、僕に心があるってことを思い出すだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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