プロパガンダ映画「キューポラのある街」
女優・吉永小百合さんとは齢は違うが誕生月日が同じこともあり、誕生日を祝う番組や出演映画を眩しくも近親感をもって観ていたころもあった。しかし、吉永さんが共産党シンパとして活動するようになってからは、一切の関連映画を見なくなった。
狂っても共産主義に組するつもりはないからだ。
※参考「赤い文化人」 http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/385.html
先日、JR川口駅近くに用事があり、10数年振りに「キューポラのある街」に出かけた
勿論、吉永小百合主演映画「キューポラのある街」の舞台であることは知っており、当時の名残りを探しつつ歩いていた。
赤旗が揺れた川口駅前はスッカリ近代的に変貌し、軒を並べていた鋳物工場も数軒しか目が留まったが、映画のラストでジュン姉弟が全力で駆け降りる川口陸橋辺りは当時の様子をそのまま残していた。
そして11月10日(日)夜は、チャンネル銀河で映画『キューポラのある街』が流れたことから、久々に観ることになった。
※参考「キューポラのある街ロケ地の50年後 - Google マップ」
「キューポラのある街」の原作者・早船ちよは共産党員らしいが、この映画を観ると、北朝鮮帰還問題、中小企業労働者の労働問題などを提起しており、改めて、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った「プロパガンダ映画」だと知ることが出来る。
日本共産党と「在日朝鮮統一民主戦線(後の朝鮮総連)」は一体となって、「地上の楽園(ユートピア)」北朝鮮体制の優位性を誇示する目的をもって演出された映画であろうか。
小百合さんが何時から共産党シンパに染まったかは知る由もないが、当時17歳とすれば、この映画づくりなどから感化され徐々にピンクに染まり始めたとも見て取れる。
また、川口駅前での旅立ちの場面は、この当時の帰還運動の盛り上がりを知ることが出来るし、と同時に、この人たちが帰国した後の生活はどうなったのかと余計な心配してしまった。
きっと、北朝鮮の実情など現地取材もしないで作られた映画であろうが、結果的には人を弄んだ罪深い映画を作ったものだ。
『キューポラのある街』はチャンネル銀河で、11月16日と19日にも放送される。
なお、小百合さんはストーカー行為の走りのような事件に遭遇している。
この映画が作られた翌年の昭和38年、渋谷区代々木西原町の木造一戸建てに住んでいた当時、ナイフとピストルを持った男に自宅の自室で襲撃されている。
犯人は吉永小百合さんの熱狂的なファンだった。
昭和48年、フジテレビの岡田太郎氏と電撃結婚するが、同氏はこの事件当時からの良き相談役だったとされる。
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