●エース髙橋大輔、圧巻の演技
NHK杯の髙橋大輔の滑り、とりわけショートプログラム(SP)は素晴らしかった。あれだけできるなら「なぜ、それを“スケート・アメリカ”でやらなかったんだ」と言いたくなるくらい(笑)。髙橋が自分のやるべきことをキッチリとやったならば、急成長を見せた町田樹の演技ですら、少し霞んで見えてしまうほど。さすがに、ここ数年の日本の男子フィギュア界を牽引してきた第一人者だけのことはあります。
あのクラスの選手になれば、スケート・アメリカからの3週間で技術的に大きく変化することはありません。この短期間で変わったとすれば、やはり精神面でしょう。髙橋本人も「五輪へ向かう気持ちが一番少なかったことに気づいた」と話していましたが、モロゾフコーチの叱責もあって、相当な危機感を覚えたのではないでしょうか。もちろん、精神面の立て直しだけであれほど見違えることができるのは、彼が本来持っている実力の高さを証明しています。
今回、私が何より感心したのは、髙橋の「侠気(おとこぎ)」なんです。たしかに12月上旬に福岡で開催されるグランプリ・ファイナルの出場権を勝ち獲るには、彼はこのNHK杯で1位になるしかありませんでした。とはいえ、五輪の出場だけを考えたら、GPファイナルを捨てて全日本選手権に向けた調整をするといった、ほかの選択肢もあったはずです。
それでも髙橋は楽な道へ逃げることなく、あえて自分を崖っぷちに追い込んで、眼の前の困難に立ち向かっていった。原点に立ち返り、若武者のような闘う姿勢を取り戻したところを、高く評価したい。そして見事チャンスを掴み取ってみせた。その結果、ライバルたちの動向を、ある意味「高みの見物」のできるポジションに立ちました。GPファイナルまでの時間を、自分のステップアップに費やすことができます。その点でも非常に価値ある優勝となりました。
●「不運」と言うべき織田信成の得点
2位になった織田信成の演技については、もっと高得点が出ていてもおかしくなかったと思います。これは私だけの認識ではありません。会場にいた多くの先生方、プロの立場で観ていた人たちの間から「あれは可哀相じゃないか」といった声が挙がっていました。
特にSPの内容には、織田自身も手応えを感じていたはずです。場内に得点が発表されたとき、狐につままれたような表情を浮かべていたのは、おそらくその落差から来る反動だったのでしょう。
なぜ織田の得点が伸び悩んだのか。私なりに推測してみたんですが、最も痛かったのは冒頭の4回転トウループを回転不足と判定されたことでした。ジャンプの回転不足を判定するのは「テクニカル・スペシャリスト(コーラー)」「テクニカル・コントローラー」「アシスタント・テクニカル・スペシャリスト」、この3人のテクニカル・パネル(技術審判)です。
演技を生で目視している彼らが「これは微妙だな」と思ったときに映像で確認するんですが、この映像はISU(国際スケート連盟)が独自に設置した1台のカメラで撮影したモノなんです。そして、このカメラがどこに設置されているのか、選手は知り得ないんです。
織田の4回転トウループと、成功と判定された髙橋の4回転トウループを比較しても、回転そのものに大きな違いがあったようには思えません。ですけど、ふたりがジャンプしたリンク内の地点は、まったく別のところでした。もしかすると、判定に使用するカメラの位置からだと、織田のジャンプが回転不足に見えたとしても仕方ないような角度だったのかもしれません。
あくまで私の推測ではありますが、こうなってくると「運」「不運」の範疇になってしまいます。ですが、それもまたスポーツを構成する要素の一部だと言うしかありません。