名も無き『奴隷』、その一生
- アマネが地球攻撃部隊前線隊長に任命された後、廊下
「これからもよろしくね!アマネ」 参謀補佐であるクミの明るい声がアマネを微笑ませる。
「うん、これからもね…」 前線隊長のアマネもまた、もう一度一緒になれる事を喜ぶ。
アマネが着ているスーツはメタトロンと同じものだった。 しかし、これはイレイザーの手抜きではない、
アマネが着る予定の隊長服は翌日に送られるのである。
それはさておき、五日ぶりの再開を果たした二人は翼をパタパタさせながら幸せそうに話し合う。
しかし、そんな微笑ましい会話もクミの何気ない一言で終わりを告げた。
「そうだ、アマネが転生させたあの子、これからどうするの?」
あの子、アマネは反応する。 しかし、それはいい反応ではない…
しかしアマネはその反応を取り消すかのように焦って笑った。
「司令にはまだ言ってないから、ちょっとだけ司令と話し合って私の管理下に置いていろいろとしてもらうつもり」
「へぇ…じゃあ、さっき言ってた『奴隷にする』って話はないんだ?」
「まあ、その辺については考えてるけどね… 基本的には私のお手伝いをさせるつもりだけど、いずれは天生隊の一員に加えてもらうように掛け合ってみる」
そんな会話をしながら歩いている内に二人は参謀室についていた
「へえ、優しいんだね… じゃあ、また後で…」 クミは参謀室に帰っていった。
しかし、その時クミはアマネの言葉の真意に気づくことはなかった。
(そうかも知れないね、でもあんなヤツに優しくするつもりはないよ…)
『アイツ』の事を思い出したアマネの瞳は憎悪に燃える。
親友を助けたい心を利用し、挙句の果てには人形のようにして久美と戦わせようとした事、
アマネにとってこれは『裏切り』以外のなんでもなかった。
(私を裏切った報いを受けさせてやるわ! ボロ雑巾のようにこき使ってね!!)
アマネはいつの間にか右手が拳を作っていることにも気づかず、そのまま自分のために新しく設けられた隊長室へと向かって行った。
- 隊長室、アマネは一枚のかつては白かった黒いカードをポイと放り投げた。
「ブレイク!」 その掛け声と共に黒いカードは光を放って消滅し、そこから黒いメイド服の少女が現れた。
その少女の長い髪と虚ろな瞳もメイド服と同じように いや、メイド服よりも黒い…。
そして首にはその純粋無垢な外観とは不似合いの鎖つきの黒い首輪が首にかけられている。
さらに背中でユサユサ動く鳥のような白い翼は彼女は人間ではない事を証明させる。
彼女の名前は『和泉はるか』だった。 今は名前を消され、その名すら覚えていない『名も無き少女』である…。
「お呼びですか?… 御主人様…」 少女は口から生気なき声を発した。
その瞬間、頬を張り飛ばされた。
「呼んだわよ? アンタ、わざわざそんな事を私に聞くの?」
アマネが彼女に接する態度は、クミやメタトロン達に接する時とは違う。
アマネは少女の首に付いている首輪の鎖を持ち上げて、黒い虚ろな瞳に軽蔑の視線を向ける。
「ご、ごめんなさい!」 少女は涙を流した。
「フン! まあいいわ…」 すぐに泣く少女に呆れたアマネは掴んだ鎖をパッと離す。
それと同時に、すとん!と少女はしりもちをついた。
(どうやら記憶を忘れているようね…) 転生した後何一つも喋っていなかったのでアマネは彼女の記憶が無くなっていたことを知らなかった。
(でもそんなこと私には関係ないわ… たっぷりとこき使ってやるから!)
「いい? 今からアナタは私の奴隷よ! わかったわね?」 「は、はい! 何なりと申し上げください!」
かくしてアマネと名も無い『奴隷メイド』の生活が始まった。
それから翌日アマネは総司令ラユューに少女(奴隷メイド)を自分の保護下に置いてもらえるように交渉し、総司令の方も快く引き受けてくれたのだった。
天使になってから無意識のうちに同胞に優しくなっていたアマネだったが、奴隷メイドの前にだけはその優しさを与えなかった。
それどころか、アマネの奴隷メイドに対する態度は極めて悪く、自分に気に入らないことがあると必ずといっていいほど暴力を振るっていた。
しかもアマネは、奴隷メイドを隊長室から出さずに自室の掃除などを彼女一人に全て任せているという有様である。
勿論アマネにも隊長としてのデスクワーク(主に書類関係)があるが、それに関してのストレスで虐待はしていない。
しかし、奴隷メイドが多少の失敗をすれば、アマネはビンタや踏みつけ等を行うのである。
奴隷メイドの食事はパン二枚と水一杯、それだけをエネルギーにして彼女は休み無しで一日中働かされるのである。 これを奴隷といわず何というか?
こんな奴隷生活を強いてもアマネの気は済まなかった。
- アマネ(人間だった頃は天音)がクミ(その頃は久美)に拾われる前、彼女自身父親から虐待を受けていた。
理由は「お前が生まれたせいで妻は死んだ」からである。 あまりにも勝手すぎる理由で彼女はたくさんの暴行を加えられていた。
親から虐待され続ければ心が歪むのは当然のこと、彼女の心から次第に憎しみや悲しみ、破壊的衝動や殺意などが芽生えていったが父を殺すことはできなかった。
更に父親に捨てられた後に天音の心の中に生まれたどす黒い魔獣は、天音を拾った久美にも牙を向けられていた。 天音は荒んだ心を久美にぶつける事もあった。
しかし、それでも久美はその『獣』を否定するわけでもなく、「辛かったんだね…もう、大丈夫だよ…一緒にいてあげるからね」と天音を抱きしめて受け入れた。
久美自身、母親を生まれた頃に亡くしていた。 そこから生まれた寂しさを感じて、心が荒んでいた彼女を包んだのだろう。
天音は久美のその優しさで心の獣を抑えることができていた(といっても、天使になる前までは久美以外の友達は作らなかったが…)。
久美以外は友達を作らなかった天音がはるかと手を組んだのは、言うまでも無く久美を救うためだった。
しかし、メタトロンに追われていた間、天音とはるかには密かな友情が形成されていたのも事実である。
友達になっていたからこそ彼女に天使を憎むように深層的な精神侵食をされていたと知った時、天音のはるかに対する友情は憎しみに変わった。
その時、今まで抑えていた天音の中の『獣』は、自分を裏切ったはるかに対する憎しみによって目覚めてしまったのである。
はるかの記憶を含めた内なる全てを消し去り、『奴隷』に変えたのは天音の中に眠る憎しみや悲しみ、破壊衝動や殺意といったどす黒い魔獣であった。
その獣が永遠の眠りにつくためにはどうしても『奴隷』がいなくなるしかない…。 アマネは自分の内なる獣を自分を裏切った『奴隷』と共に永遠に捨てたいと思っていた。
その獣という名の己の『歪み』を…
主天音の理不尽な扱いは『奴隷』にとって『過去の贖罪』だった。
ある日、奴隷のある言葉が原因で、主は自分の過去をいやいやながらも話した。
その過去というのは「大事な人を捜していた私をあなたは騙して利用しようとした」事である。
『騙す』というのは例の『精神侵食』の事だ、しかし、奴隷はそれのことすら知らずにその言葉を鵜呑みにしてしてしまった。
それからである、奴隷が思考を停めて理不尽な扱いを完全に受け入れたのは。 勿論、彼女自身「どうしてこんな扱いをされるのだろうか」と考えたことがあった
しかし、自分の過去を知った時(しかしわかった過去は「騙して利用しようとした」事だけ)、『奴隷』は主が振るう暴力は全て『贖罪』と捉えてしまった。
無論『はるか』は侵食の事など知らなかった。 しかし、『奴隷』となった彼女はその真実を知ることは無かった。
やがていつかは自分の罪が消えたとき、主は自分に優しくなることを信じて、奴隷は寝る間も無く働き続けた。 『隊長室』という名の牢獄で…
奴隷は知ることは無い、その主は彼女に死しか望んでいないことを…。
- アマネの執拗な奴隷虐待は日に日に、いや、時が進むごとにエスカレートしていった。
クミが手術を受けてから奴隷は、隊長室だけでなく参謀室までも掃除することになった。 それはただでさえ厳しい仕事が更に増えるということである。
奴隷はそんな酷な仕事でも、『いつか罪を償ったときに主が見せる笑顔』のために働き続けた。
長く続いた疲労が原因で奴隷は参謀室にある物を落としてしまった。 物は幸い落ちても壊れなかったが、主のアマネはそれを許さなかった。
「ごめんなさい! この駄目な奴隷である私めに罰を!」 アマネの前で過剰とも言える謝罪をする奴隷、
アマネはそれを受けたかのようにこの前届けられた隊長服のポケットから鞭を取り出した。
「卑しい女、気に入らない…」 その言葉と共にアマネはその鞭を奴隷に振るった。
奴隷の白い腕や脚は打撲や擦り傷で真っ赤になっていた。 いや、あの日から既に傷は負っていた。
そんなことなどお構い無しに、アマネは鞭を振るう。 奴隷はただ「ごめんなさい! ごめんなさい!」と誤り続けるのみ。
彼女が誤り続けるたびに黒いメイド服や真っ白な翼にまで傷がついていく… それでも彼女は謝り続ける。
(悪いのは全て私のせい、全部私が悪いんだ 全部私が悪いんだ…だからこれは全部償いなんだ…)
奴隷の思考は既に虐待される側の自虐的なマイナスパターンに陥っていた。 全て自分が悪いと思い込んで彼女は耐えた。
しかし、『それ』は終わることは無いだろう、ある一つを除いて…。
クミの手術が終わって奴隷の仕事の量は元に戻った。 しかし、奴隷が負った傷は癒えることはなく、疲労もただ蓄積されたままだった。
足並みも度々悪くなっていき、意識もどこかに飛んでいきそうなこともあった。 しかし、奴隷はこれも贖罪だと思って働き続けた。
ある日、アマネがメタトロン(クミ)と外出することになった。
しかし、奴隷は二人が留守の間に二人の部屋を掃除しなければならなくなった。
奴隷はいつものとおりに過去の贖罪と思って掃除に励む、
だが、彼女は知らなかった。 その夜に行われる『天生隊』の初任務に自分がチームに入っていたことを…。
- 午後九時のある公園、そこで一人の少女と、侵略宇宙人集団『イレイザー』の天使達が対峙していた…
いや、厳密に言えば少女には頼もしい味方がいた。 騎士甲冑を身に纏った、翠色の長髪をしたワータイガー『ジル・リンクス』である。
彼女はダークロアだが、少女に『協力』している。 少女もまた、マインドブレイカー(通称『MB』)である。
先程まではジル以外にも味方はいたものの、天使達と相討ちとなりジルを除いて全滅してしまった。
「ジル…ごめん、私が迂闊だったばかりにこんなことになって…」
黒い長髪をポニーテールにしている凛々しくて優しそうな少女が一人、名を『天道 使恩(てんどう しおん)』という。
彼女はEGOの民間協力者である。 MBは基本的にどの組織にも属しない人間なのでこういった者はあまり多くは無い。
「大丈夫! まだ終わってないよ!」 落ち込む使恩をジルは励ました。
(でも、ちょいとマズイかも…) しかし、そんなジルも敗北の危機を察していた。
しかし、ジルはそんな不安を振り切った。 (イケナイ! 私はシオンのパートナーなんだから…私がしっかりしなきゃ!!)
「そろそろ投降したら? こっちはあなたたちを殺すことはしないよ」
逃げ場無しの状態の使恩とジルの前に、優しい言葉で投降を求める天使の姿があった。
彼女は、蒼い瞳と同じ色をしたイレイザーの隊長服を着ていて狐色の長髪をしている。
彼女の名は『アマネ』 地球攻撃部隊前線隊長である。
(まさか、行方不明者が天使に、しかも隊長になってたなんて…)
使恩は髪の色と声と、先程隊長自身が名乗っていた名前で前線隊長の正体に気づいた。 彼女の正体(?)は『新堂天音』だ。
彼女の任務は少女失踪事件の調査だったのだが、まさかこんな形で発見するとは思っていなかった。
戸惑いと焦燥感に苛まれる使恩の前に白銀の甲冑が見えた。
「シオン、お願い! 何とか切り抜ける方法を教えて! 私はまだやれるから!」 ジルは使恩の盾になるように使恩の前に出たのだ。
普段のジルはひょうきんな娘だが、今は崖っぷちの状況、真剣にならざるを得ない状況だった。 先程の戦いで斧と盾は使い物にならなくなっていた。
(私が使えるのは剣だけ…、でも『アイツ』みたいに困っている人の役に立つんだ!)
「やれやれ、私たちイレイザーの『資材収集』を調査する人間を捕獲するっていう任務なのに、ここまで手こずるとは思って無かったわ…」
この状況を切り抜けるために抗おうとする二人を、アマネは痛々しく感じるような目で呟いた。
「へへ〜ん! アンタらなんかに負けないよ!」 ジルはひょうきんに意地を張り、己を鼓舞した。
- 「しゃあない、アイツでもブレイクするか…」 呆れたアマネはかきむしるように頭を撫でながらメタトロンの事を思い出す。
「メタトロンも私を守るためにやられてしまったし…」 アマネは隊長服のポケットから黒いカードを取り出した。
「少しだけいたぶってあげる!!」 そして、あまりやる気が無いかのようにカードを二人に向かって放り投げた。
しかし、あまりに勢いが無かったのか、カードは二人とアマネの間にストンと地に着いた。
「ブレイク」 アマネの一声で黒いカードは光を放った。
(嘘、まだ隠し玉があったなんて…) まだ残っていた仲間がいたことに衝撃を受けた。
カードから放たれる光が消えていくごとにカードも消えていき、その代わりに一人の天使の少女が現れた。
傷だらけでボロボロな白い翼、その翼よりもボロボロになっている黒を主体としたメイド服、黒くて虚ろな瞳、傷だらけの体、そして首に掛かっている奴隷を象徴させる首輪。
死に掛けの状態であるその姿はお世辞でも切り札とは言えない。
(なんだ…あの子には悪いけど大したことはなさそう…)使恩は心の中で胸を撫で下ろした。
「は…はるか!?」 しかし、その天使を見たジルは衝撃を受けた。
乱暴に引っ張られた事が判るように無惨な黒い長髪、何度も張り倒された痕がある無垢だった無表情の顔、そう、彼女は『和泉はるか』だった。
「そういえば、以前ははるかって呼ばれてたような気がするわね… 今は私の奴隷だけど」 アマネは挑発的に嗤う。
「アンタ…はるかに一体何をしたんだ!?」 ジルは激昂する。
実はジルとはるかは一ヶ月前に親友になっていた。 出会ったときはそれほど仲は良くなかったが、数々の困難を乗り越えて友情を深めていったのである。
「何を? この奴隷は私に酷いことをしたの だからこの子にはちゃんと罪を償わせているの」 「うるさい! 口からでまかせを言うな!!」
ジルは手にした剣を構え、攻撃態勢に入る。 目標は言うまでも無くアマネだ。
「ジル!ダメだよ!落ち着いて!!」 「うああああああああああああああああああ!!!!!」 ジルは使恩の静止を無視してアマネの前に突っ込んだ。
「私は一旦後退するからそいつらを足止めしなさい 殺さずに生け捕りにしてもいいわよ」 「はい…わかりました御主人様…」
後退するアマネとは裏腹に、『はるか』はジルの前に迫る。 しかし、蓄積された疲労のせいでよたよたと前進している有様である。
「!?」 しかし、はるかがどんな速度で迫ろうがジルにとっては関係なかった。 「御主人様の命令ですので足止めさせていただきます」 ボロボロの翼がジルを襲った。
「新堂さん! 逃げるつもりですか!?」使恩は後退するアマネに向かって叫ぶ。 「逃げる?誰が?」 アマネはもう一枚黒いカードを出した。
「ブレイク! ステルス・システム!!」
その瞬間、黒いカードから光が放たれ、アマネの姿は消えていった。
「くっ…」 アマネに逃げられた使恩は拳を握り締めた。 しかし、アマネがブレイクした少女だけは何故か姿が消えていなかった。
(そんな!?何で…)
- 「はるか お願い!やめて!」 ただでさえボロボロな姿のはるかを、仕方がないとは言え攻撃することにジルは痛みを感じていた。
しかし、記憶を失った『はるか』にはジルの心の痛みも悲痛な叫びも届かない。 「私には名前はありません、私は御主人様の『奴隷』です!」
『奴隷』の白く傷んだ翼がジルにダメージを与える。 その攻撃は実態的にはひ弱だがジルの精神には異常なダメージを与える。
「はるかぁ! 私を忘れたの? あなたの事も、私の事も!」 いつの間にかジルの目から涙がこぼれる。
「私があなたと会ったのは初めてです… そんなことよりも私は御主人様に対する罪を償うためにご命令を全うしなければなりません!」
『はるか』の虚ろな眼には何故か信念がこもっていた。 これを行えば主は微笑むだろうと『はるか』は愚直にも思っている。
「ジル! なんで攻撃をしないの!?」 使恩の声がジルの獣耳に届いた。
(攻撃する? アイツを? 天使にされて、奴隷って呼ばれて、ボロボロなはるかを?) 使恩の言葉はジルの心を激しく突き刺した。
「ボロボロの友達を攻撃するなんて…できないよぉ!!」 突如ジルの心の壁は砕かれ泣き出した。
「御主人様のために、あなたには少しだけ寝かせてもらいます」 止めと言わんばかりに『奴隷』は残り少ない体力を全て使うつもりでジルに飛び掛った。
(やめてぇ! こないでぇ! これ以上やったらあなたがしんじゃうよぉ!!) そう思った瞬間、ジルの思考は停まった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
そして、ジルは無事だった。 いや、はるかの攻撃が突然止まったのだ。
「……?」 ジルの思考は再起動した。 視界に前のめりに倒れた『親友』の姿があった。
「はるか? はるか!?」 ジルは『はるか』を抱える。
しかし、『はるか』の口から放たれる言葉は、ジルにとって残酷のものだった。
「御主人様…笑ってくれたら…いいな…」
『御主人様』が微笑む所を想像して、はるかは名前を知らない人虎の腕で息を引き取った。 過労死である。
「…………はる…か…?」 長い沈黙からジルは我に戻る、目の前には冷たくなった『はるか』が映る。
そして、ジルは立ち上がった。 怒りと憎しみを糧として…
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! 御主人様とやら出て来い! ぶん殴ってやる! はるかに謝れぇ! ガアッ!ガアアッ!」
最後は言葉になっていない言葉を喚き散らして、ジルは怒り狂いながら剣を闇雲に振り回す。
使恩は怒り狂うジルを静止させようと抑える。 「ジル!やめて! お願い!!」
雄たけびを上げるジルを静止させながら使恩は自分の無力さを呪った。
(「いたぶってあげる」っていうのはこういうことだったんだ…) 使恩は敵となった行方不明者の言葉の真意を知る。 いたぶるのは心のことだったのだ。
「デロォ!デテコイ!ガルアァ!!」 使恩の事など見えてないというかのようにジルは獣のように暴れた。 「ジルゥ!」
「そんなに出ろって言うんだったら、出てやるわ 今すぐね!!」
行方不明者の声が結束の千切れた二人の耳に届いた。 しかし、二人はその声の場所を見つけられなかった。
なぜならその声がした途端、一つの閃光が二人を襲ったのだから……。
- この二人はなんて脆いのだろうとアマネは思った。
『奴隷』を出した途端、ワータイガーの方が戦意を失ったのが不思議でならない。
アマネは本来優しそうな使恩に対して精神攻撃のつもりで死に掛けの『奴隷』をブレイクしたのである。
だが、予想は180度に傾いた。 (まあ、結果オーライと言ったとこかな?)
アマネが『奴隷』以外の味方の姿と気配を消すように改造した『ステルス・システム』で姿を消した後、
ジルと『奴隷』が戦っている際にエナジーをチャージし、味方が復活するよう待機していた。
そして、『奴隷』の死でワータイガーが狂い始めた際に 力の強い味方を再ブレイク、そしてシューティングセンスで止めを刺したのであった。
その際、メタトロンは再ブレイクしなかった。 彼女の力はあまりにも弱かったからである。(まあ、それ以外にもあるが…)
呼び出した味方の天使は『奴隷』を除いて全員送還した。
(まったく…デートの後に派手なドンパチとは参ったなぁ…) 狐色の頭を掻きながらアマネは、まるで死んだかのように横たわっている使恩とやらのポケットを弄る。
ポケットには、四枚の白いカードと一枚の緑のカードがあった。 他にもオルタレーションがあったが、イレイザーのアマネにとっては不要なものでしかない。
(あった、あった! 忌々しいEGOのカードは『後』で『任せる』として、ワータイガーの方は…)
そこまで考えると、アマネは白いカードをポケットにしまい、緑のカードを別のポケットにしまった。
突然ジルは何かに呼ばれたかのように目を覚す、彼女の目に見えたのは自分が黒い電流に捕まっているように縛られていた自分。
そして、骸の様に横たわっているパートナー、既に死んでいるかつての親友…。
「おはよう」 「!?」
ジルの耳に『御主人様』とやらの忌々しい声が聞こえた。 しかし、その声は先程の挑発的なものではなく、『天使のように』とても優しい声。
ジルは キッ! と睨む、しかし、『御主人様』はたじろぎ一つしない。
それどころか、「怖いなぁ、別に殺そうだなんて思ってないよ」と敵意を向けるジルに諭すように語りかける。 しかし、そんな言葉がジルに通じるはずが無い。
「私の親友にあんなことしたアンタなんか信用しない!」 とジルは抵抗する。
(あんなにメイドとは思えないくらい綺麗だったはるかを、あんなボロボロの天使に変えた奴を信用できるか!)
ジルは『はるか』の言う『御主人様』に何が何でも抵抗しよう、そう思っている。
- 「親友? ああ、あの奴隷の事?」
アマネは『奴隷』の事を今頃思い出すかのように微笑む。 ジルにとってその態度は親友の侮辱にしか聞こえない。
ジルは骸となった親友を思い出し、拳をきつく握り締める。
「アンタはアイツに笑ったことがあったの?… アンタは私が倒れている間にアイツに笑ってくれた?」
アマネはジルの問いに答える、
「それは笑ったわよ あの程度の言葉で勝手に許してくれるって思いこんだ、あの馬鹿な奴隷をね!!」
(馬鹿にした態度で、笑ったって言うの!?…)戦士であるジルにとって、それは死者を侮辱する行為の一つである。
その血も涙も無い残忍な返答にジルの怒りは爆発した。
「ふざけるな! はるかはアンタの笑顔が見たくて、あんなボロッちぃ体で戦ったんだ! そんなはるかを褒めもしないで笑ったってのか!
このクズ! 外道! アンタには血も涙も通ってないのか!」 ジルにはその天使の翼も偽りに見えてしまう。 アレは悪魔だと思う。
しかしアマネは、ジルの口から発せられる罵詈雑言を『大人』のように受け流した。
「やっぱり、あれだけ見たら私が悪者だよね…いいわ! 教えてあげる、あの奴隷は私にひどいことをしたの!」
ジルはその言葉を真っ先に否定した。
「そんな!? アイツが何をしたっていうの?!」
ありえない、ジルの思考はこれに尽きる。
しかし、ジルの返事など聞かないというかのようにアマネは続ける。 しかし、
「あの奴隷はね大事な親友を探していた私の心を利用して、自分の人形にしようとしたの…」
そこまで言うと、アマネの声は怒りと憎悪で満ちる。
「だから私はアイツを奴隷天使にした! 死ぬまで私に尽くすようにね!!」
そして、アマネは先程取り出した緑のカードを取り出した。
「そ、それはシオンの…」 「あなたたちが倒れている間に使えるカードは全部貰っておいたわ」
そして緑のカードに黒い電流が纏わり付いた。
「うっ!」 ジルは突然体が火照るのを感じた。 体にまでカードに走っているのと同じ電流が纏わり付いていた。
「でも、探していた親友にようやく再会できて、私は優しくなった アイツの時は例外だったけどね…
あなたは優しいから天使にしてあげる… 私の子供にね!」
アマネがそういった途端、ジルに走る電流の威力は強まる。
「いやだぁ… アンタなんかの子になんかぁ… ううっ!」
「安心して、あの『奴隷』みたいにはしないから… 私の優しさ、いっぱい上げる!」
アマネは手に持っているカードに送っている電流の威力を最大にした。
そしてジルの意識が吹き飛んだ。
- ジルは夢を見ていた。
―あれ? わたしどうしたんだろ?
そう思った途端、ジルはまるで日向ぼっこをしているような暖かい感覚を覚えた。
―ふにゃあ、すっごいあったかぁい… おひさまのにおいだぁ…
しかし、その暖かい感覚はジルの体に纏わり付いていた。 ジルは次第にそのことに気づく。
―あったかくて、すっごいきもちいい… なんだかねむいよぉ…
そのぬくもりは次第に太陽の恵みからジルが大好きだった母親の香りのするゆりかごのようなものに変わっていった。
―すごいここちいい、なんだかママのこもりうたがきこえる…
子守唄は幻聴である。 しかし、そんな幻聴が聞こえるくらいに、ジルは心地よい感覚に浸っていた。
―はあ、ママにいっぱいあまえたいよぉ…
突然まぶたが重くなるのを感じた。
―ふあぁ…ねむいなあ、ん〜…おやすみなさぁい…
そして、ジルは心地よい夢の中で眠っていった。
そして現世、
意識を失い倒れていたジルに異変が起きた。
「ふ、ふにゃぁ〜」 可愛くていやらしい鳴き声を上げて、ジルは覚醒する。
「はっ!はにゃぁ〜ん!」
バサァ!!
恍惚の表情で鳴き声を上げるジル背中から鳥のような赤白い翼が勢いよく飛び出した。
「ふにゃあっ!、にゃあ!」 完全に目覚めたジルは眠い目をごしごし擦る。
銀色の甲冑、薔薇の紋様の付いた衣服、翠色の長髪、そしてネコ科とは思えない形をしたこげ茶色の獣耳と猫らしい長い尻尾はそのままだったが、
背中には少しだけ緋色の混ざった白い翼が生えており、以前まで緋色だった瞳はアクアブルーに変わっていた。
その姿はどこぞの熾天使に少しだけ似ている。
- 天使になったジルは何を思ったのか突然、きょろきょろと辺りを見回す。
アマネは疑問を感じた。 (まるで猫みたい… さっきまでの覇気も消えてるけど…)
ジルの水色の瞳に、ジルの豹変振りに戸惑うアマネが映った。
「にゃ!」 そしてジルはアマネの方に甘えるように飛び込んだ。 「わっ!」 その衝撃で、アマネは後ろに倒れた。
「ママぁ…あったかぁい…」 ジルは自分の顔をアマネの胸にうずくまり、すりすりと両方の頬で擦り付ける。
突然の豹変にアマネは戸惑う。 まさかこうなるとは思っても見なかったのだから。
(『奴隷』にやらなかった優しさも入れたから、何らかの副作用で幼時退行したのね)
自分に甘えるジルを可愛く思ったアマネはジルの後頭部を優しく撫でた。
それからしばらく、
「ジル、そろそろママの家に帰えろうか?」 アマネは母親のように優しい声でジルに呼びかける。
「うん! かえるー」 ジルは『母』であるアマネと『たくさん』遊んだせいか、綺麗なロングヘアーが少しだけくしゃくしゃになっていた。
『家に帰る』という名の撤収を試みようとする前に、ジルは一つの亡骸を見つけた。 黒いボロボロのメイド服を着た天使である。
「ママー、このひとだれ?」 ジルはその天使を指差した。 それがかつての親友だったということを彼女は覚えてはいない。
アマネは心の裏で「ザマを見ろ」と言っているような表情を秘めて、ジルに優しく微笑む、
「その人はね、ママにひどいことをした人なんだよ」 と答えて…。
ひどいこと、ジルにはその『ひどいこと』の具体的なことは分からなかったが、直感的に酷い事をされたのだと理解する。
すると、ジルはメイド服の天使に向かって歩みだした。 しかし、その後の行動は残酷なものだった。
「えいっ!えいっ!」 ジルはそのメイド服の少女を何回も踏みつけたのだ。 子供はある意味残酷である。
その光景を見たアマネは何かが満たされたのか、ジルを呼んだ。
「ジルー! 帰ろう!」 ジルを明るい声で呼ぶアマネの腕は、捕獲対象の使恩を抱えている。 呼ばれたジルはメイド服の天使を踏むのをやめた。
そして、アマネ、ジル、使恩は『ここ』から『消え』た。 『和泉はるか』という名前があった黒いメイド服の少女とアマネの中にあった黒い獣を置き去りにして…。
- イレイザー地球攻撃部隊アジト、人類改造室(元人体実験室)、
そこで一人の天使が『生まれた』。 アマネが天使になったときと同じ方法で。
「気分はどう? 使恩」 アマネは新たなる同胞を温かく迎えた。
「とてもいい気分です、天使になってすごく気分がいい… 胸の中のものがすっきりした感じです」
嬉しそうに答える使恩の背中には、左右に一つずつ白い翼が生えていた。 人間の頃は黒だった彼女の瞳の色はルビーのような赤だった。
「それは良かったわね、あなたのカードを渡すわ」 アマネは四枚の白いカードを渡す、
「ありがとうございます 早速、彼女達を天使にしますね」 「わかったわ、それが終わったらあなたには向かって欲しい惑星があるから早めにね」
そして、アマネは改造室を後にした。
「ママ〜っ!」
隊長室に入るや否や、アマネはジルに手厚い歓迎を受けた。
ジルは黒い隊長服越しにアマネの胸を頬で擦る。
「ジル、いい子にしてた?」 「うん!」
アマネは翠の髪をやさしく撫でた。 その姿はまさに『親子』だろう。
アマネのジルに対する態度は『奴隷』がいた時とはまったく違っていた。 そう、それはいつものアマネである。
「そろそろママはクミちゃんの部屋に行くから、ジルはついていく?」 「うん!」
ジルは元気に答えると、アマネの背中にくるりと回った。
「じゃあ、行こう!」 「うん!」 そして二人は総参謀室に向かっていった。
アマネは幸せだった。 大事な親友がいて、自分と親友の間の子供がいて、一人娘がいる、
あの時の『奴隷』みたいに裏切るような者はいない 大事な人がいる幸福をかみ締める。
しかし、『奴隷』と共に置き捨てたはずの彼女の中の黒い『獣』は、実はまだ生き残っており、アマネの心の中に小さく眠っていた。
その『獣』が目覚めるのはアマネの心の中の平穏が破られたときかもしれない…。
【終】