自覚はしてるのですが…
とにかく
生まれながらの
『熱しやすくて、冷めやすい』性分。
ふ.音楽のスタンス、レスポンス
.嗜好
.友人 (志しが同じなら別問題です)
.所持品 (レス・ポールだけは別問題です)
.仕事 (責任職になったら知らんぷりですw)
諸々
云々…
とは、言っても
決して 何でも『新しモノ』好きなどでは無く
『何か』に
『依存』するのが
自分の中で『大間違い』と 捉えるんです
先人達が創造したモノは
それは
最初はとても あまりに魅力的です
それは
それであって
感受性に気を張ってれば
いつか 気づきます
それらは
『自分がやったワケじゃ無い』と
自分と感性が同じだと勘違いをし
安堵を覚えて
自分の事の様に思ってしまう…
他人様と同じ感性・感覚だと
安心感を覚える
間違い。
それらを 真似るんなら
んな楽な事 無いし
己の存在感をもが 危うくなります
『創造性』の破綻・故の無力感
媒体に
自分を照らし併せるのは
えらく 間違えで
どこかで 気が付かなければ
えらい目に合う
自分を 殺します
『何か』にすがる自分と
『自分』が何かを『選ぶ』のとでは
意味合いが 全然違く
全くの別モノ
妄想
錯覚
常に 己の中で
『出会い』と『別れ』が
共存しなくては
俺はバツが悪いのです
物や情報がダダ溢れ
垂れ流しの昨今
いつから『創造性』が
無くなったんだろう…
『感受性』の違いもあるでしょうが
80's辺りまでは
文化的維新とでも言っていいような
競って想像性を膨らましあっていた様な
記憶があります
右 向きャ 右
左 向きャ 左
色々な意味
社会の『益虫』にはなりたくは無いです
物真似よろしくで世の中
渡って行きたきゃ
どうぞ『ご勝手に』です
自分は如何に
自己のスペックが磨けるかって事で
精神を減らして行きたい所存です
使い古しの『御下がり』なんぞ
まったく 必要無しです
前置きが長くなりましたが
自分が牽引しています
delinquent / デリンクエント は
人様の前にはまだ晒せ無いものの
未だ
形態は変われど継続中です
この年代で
音楽で飯が食えていないと言う
現状を考えれば
当然 私生活のフルタイムの職業があり
24時間の中
音楽中心の生活などは
夢のまた夢です
先に書きました
『熱しやすく・冷めやすい』の性格の件ですが
唯一 自分の想像性に期待してる部分が
広く考えアートです
恐らく 『物真似』をしてたら
今の自分は存在していないと思います
精神を病んでも
支えてくれているのが
唯一 希望を与えてくれているものが
『オリジナリティー』の
構築思想性だと信じます
想像性の破綻
自分の弱った精神の
リミットがフラットでは無くなって来てる今
ある程度の期限は見えています
腐っても、鯛
んな物
腐ったら、ただのゴミです
一生
嫌でも自分と付き合わ無くては
いけないのですから
時期が来たら
そんな自分の腹は
斬らなくてはいけないのだと思います
とりあえず今は
『自分』を再構築中です
唯一無二の独創性
ジャクソン・ポロック
。。。んなとこφ(..)AZSxxx.
Android携帯からの投稿