「離婚」「借金苦」「乳がん」… “いろいろ”ありすぎた島倉千代子だめんず人生

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2013年11月9日 掲載
「お千代さん」の愛称で親しまれた歌手の島倉千代子が8日午後、肝臓がんのため亡くなった。享年75。
 島倉は1955年に「この世の花」でデビューすると、57年から86年までNHKの紅白歌合戦に連続30回出場。「東京だョおっ母さん」(57年)、「ほんきかしら」(66年)などヒット曲を連発。87年にリリースした「人生いろいろ」は130万枚の大ヒットを記録し、その後、紅白の出場回数を35回まで伸ばした。

 デビュー以来60年近くにわたり出した曲は1500以上。紛れもない昭和歌謡を代表する“大物歌手”だが、私生活は「いろいろ」あり過ぎた。

 デビュー当時まだ高校生だった島倉は先輩たちから猛烈にいびられたり、自宅に爆発物を仕掛けられたりと散々な目に遭っていたという。
 芸能評論家の肥留間正明氏がこう言う。

「島倉の人生を語るうえで欠かせないのが、男運の悪さと借金苦です。何度か彼女をインタビューしたことがありますが、良く言えばお人よし、厳しい言い方をすれば大ざっぱな性格で、思慮が足りない。だから、何度も悪い男に捕まってしまう。しかも、それで借金を背負わされても懲りずに同じことを繰り返していました」

 最初の“だめんず”は1963年に結婚した藤本勝巳。阪神の4番打者で人気者だったが、水商売に手を出して事業に失敗。島倉は6年後に協議離婚するまでに3人の子供を妊娠中絶、6000万円の借金までかぶることになる。

 この直後に現れたのは、かつて島倉を救った人。島倉は藤本と結婚する前、観客が投げたテープの芯が目に当たり失明の危機に瀕した。その際に治療を施した眼科医である。
「命の恩人ですから、島倉も幸福になれると思ったのでしょう。ところが違った。副業で営んでいた不動産業に失敗。手形に裏書きしてしまった島倉は総額4億3000万円にも及ぶ借金を背負わされることになります」(芸能ライター)

 1977年に始まった島倉の“借金返済人生”。90年には、利子を含め15億円にまで膨れ上がった借金を完済したが、05年には著書のギャラ振り込みをめぐって再び問題が発生。トラブルにようやくメドがついたのは去年のことだ。この間、小児マヒで体の不自由だった最愛の姉が入水自殺したり、93年に乳がんと診断されたり、次々と不幸が島倉を襲った。

「眼科医と別れてからも、島倉のだめんず人生は終わりませんでした。80年代は8歳年下の作詞家、90年代は乳がんの闘病生活を支えてくれた9歳年下の一般男性と交際しましたが、長続きしませんでした。晩年は生まれてこなかった3人の子供を熱心に供養していたそうです」(音楽業界関係者)

 人生そのものが演歌だったのではないか。


<身寄りなかった寂しい晩年>

 所属レコード会社の日本コロムビアによると、島倉の肝臓がんは2010年に見つかり、その後、入退院を繰り返していたという。今年は6月に入院し、10月中旬に退院、今月6日に体調が悪化し再入院した。

 家族がいない島倉は女性マネジャーと知人にみとられ、息を引き取った。遺体は島倉が公私のあらゆる面で相談してきた住職のいる都内の寺院に安置された。
 数年前まで41歳年下の所属事務所の社長を“息子”と呼んでかわいがり、全幅の信頼を寄せていたが、最後まで一緒にはいられなかったようだ。
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