あさき夢みし

心に浮かぶことを 自分の言葉で。

多忙な毎日


忙しいことは本当によいことなのだろうか、と
自問自答の日々であります(笑)。

体調を整えるためにも睡眠時間を削ることは許されず
活動と仕事、家事、その他のことに翻弄される日々。

現在月末でもありますので、新聞集金にも頑張っておりますが
外部の方々から「ずっと、集金きてな!」と言っていただけますと
心のどこか・・・ほんのりと温かくなって参ります。
本当に有り難いことです。


仕事も信じ難いほどに多くなり、
朝から夜までひたすらパソコンに向かう日々(涙)。

しばらく多忙な日々が続きますけれども
まずは健康第一、自分のペースで頑張ります。


季節の変わり目、どうぞくれぐれもご自愛下さいますよう。


ぬくもり(1)


昨日、友人から入ったメールにて
日経ビジネスの「ワンコインブルース」、是非読んでみて、と。

この記事を書く「イトウさん」が、私にそっくりなのだと。


・・・・・おそるおそる、読んでみた。

読んでみて「私の捉える自身自身」と
あなたの捉えている「浮舟象」とのあまりの違いに驚いた(笑)。


・・・あなたには、私という人間がこんな風に映っていたのだね。

ちょっと嬉しくなると同時に、
本来、私の持っている「元気の無さ」を、もしあなたが知ったなら
あなたはがっかりするかもしれない、と怖くもなった。


・・・あなたとネットの世界で出逢って、早くも8年目。
あなたの素直なところ、真っ正直なところに惹かれた。

小さな喧嘩もいっぱいしたけれど、
一度だけ、本当に一度だけ大きな喧嘩をして
7ヶ月間、音信不通になった。

7ヶ月後、喧嘩別れをしたまま離れるのもどうかと思い
最後に電話で「今までありがとう」とだけ伝えて、
それで本当に離れていこうと思った。

電話にも出てくれないだろうと思いながらかけてみると
「どうしたの~?」と、実にあっけらかんと明るい声(笑)。

ああ、これがこの人の優しさなんだなと思った。

最後の電話になるはずが、
図らずもその電話がお互いの誤解を解くきっかけとなり
交流は今も続いている。



一度、宗教の話になったとき、友人に「何か宗教やってるの?」と問われ
とうとうきたかと思いつつ(笑)「創価学会」と答えたらば

「え?何それ。」との答え。

・・・友人は長い間、異国に住んでいるので
日本国内のことにはさほど詳しくはない。


数日後、友人から再び連絡があり

「いろんな人に創価学会のこと聞いたら、みんな悪いことばっかり言ってくるよ。
  評判悪いね~!あはは!」

こ、こんな風にあっけらかんと言われるのも初めてのことなので
(しかも「あはは!」入り (^_^;)。)
あらためて友人の正直さ(?)に恐れ入った。



2に続きます。

何のための功徳か(4)


次の診察日では(よほどのことのない限り)手術日が決定となるでしょう。

先生が「手術はもっと後にしましょう」と仰るかもしれませんけれども
日常的に続く腹痛、そして患部がMRIになかなかうつらないという状況を考え
やはり、こちらとしましては、少しでも早く手術をしていただけるよう
お願い致したいと思います。

こう書きますと、手術に対し積極的であるように思われるかもしれませんが
心情としましては全くの逆であります。
何しろ、歯医者さんさえ怖ろしい(笑)。

歯医者さんに行き、診察台に座り、エプロンまで掛けていただきながら
え、どういうわけでしょう、いきなり急用を思い出すわけですね(笑)。



・・・一昨年、初めての手術を終え、「終わりましたよ」と声をかけられ
麻酔から覚めると同時に腹部の激痛に襲われました。

「どうしてこんなにお腹が痛いんだろう」と、ぼーっとした頭で考えるのですが
時間の経過とともに「あ、そうか、手術したんだった」と気付くわけです。

いろんな管が身体に付いていますし、自力では足さえ動かせず
随分窮屈な思いもしましたけれども
日が経つにつれ、酸素マスクや管が外れ、少しずつ楽に。

その、少しずつ楽になっていく過程こそが有り難く思われます。


次に行われる手術では、麻酔から覚めた直後から
激烈な症状に襲われるようですが・・・(考えたくない)
今から怖れていても始まりません。

進行していけば最終的には手術も出来なくなるわけですから
手術を受けられるということ自体、感謝せねばならないでしょう。

そしてどんな状況の中でも、楽しみを見いだしていくべきであると。



何のための功徳か(3) からの続きです。


・・それは大学受験の時のこと。

受けようとしていた大学は競争倍率も高く、
それが、受験する際の不安材料のひとつでもありました。


1月の共通一次も無事に済ませ、
次いで真冬2月、私立大学受験のオンパレードであります。

県外の私立を受けようと、特急に乗り
前日のうちに会場に行き着いたまではよかったのですが
風邪を引き高熱を出してしまいました。
普段35℃台が平熱ですが、その時既に39℃に突入。

ふらつく身体で宿を取り、1人夜を過ごしました。

「何でこんなことになるかな・・・」とは一応思うのですが
「お題目一杯あげているのにどうして?」と疑うことなど一切無く
返って闘志が湧いてきたのを覚えております。

いえ、闘志を湧かせたとて、頭はぼーっとし、身体はふらふら(笑)
勉強どころではありません。

「御本尊さま、見ててください。私は負けません」と
ベッドに横になったまま題目をあげ
頭の近くに置いてある教科書にて勉強しようと思うのですが
手に力が入りません。おまけに目もちかちかしてきまして
社会の教科書を1ページだけ読み、あとはあえなく沈没(涙)。


・・・そして翌日、受験会場にて配られた問題を見て、
私は1人愕然とすることとなります。

高熱の中、1ページだけ読んでいた箇所がそのまま出題。
昨晩読んだばかりですから、文章も図も、そのまま頭に入っております。
驚くほどすらすらと解くことができ、悔いなく受験することが出来ました。


そしてさらに3月中旬、他大学の二次試験に挑戦。

なぜだか、その二次試験2日前に「平和」に関する本が読みたくなり
友人に勧められるまま、平和関連の本を数冊読みました。

そして迎えた二次試験本番の日、配られた問題を見まして
またもや愕然とすることとなります。


問題の一番最後に出ましたのは小論文。
しかも、題材は「平和について述べよ」でありました。

図らずも、前日まで平和に関する本を読んでおりましたので
自分なりの考えをまとめることが出来ておりました。


・・・こうなりますと、もう、嬉しいとか、そういうものではなく
畏れにも似た心持ちでありました。


受験を無事に終え、その結果、届いた合格の届けを御仏前に供え
・・・改めて思えば、自分の受けた大学は全て合格させていただき
今、こうして御本尊さまにご報告できる有り難さ。


言わずもがなのことではありますけれども
信心していれば試験に合格できるとか、○○できるとか
そのようなことを書くつもりなど全くありません。

それらはあくまで手段であって、目的ではないからです。
大目的を忘れ、手段ばかりにとらわれるようでは
一体何のための信心なのか、となって参ります。

受験にしろ、何にしろ、今、自分の目の前にある壁を乗り越える。
乗り越えることが目的ではなく、乗り越えたその先に何があるか、でしょう。


自分自身、幼い頃から神経質であり、必ずしも社交的ではありません。
いるかいないか分からぬほどの子どもでありました。
おそらくそれは今でも変わってはおりません。

しかし、信心だけは真っ直ぐに貫きたかった。
どんなことが貫くことになるのか、分からぬままではありましたが
御本尊に対する信だけは絶対に揺るがぬ自分になりたかったのです。

そしてまた、どういうことが広宣流布のお役に立つことなのかも
具体的にわからなかった。
けれど、この世で自分にできることをきっちりとやり遂げたかった。


どうしたら、御本尊に喜んでいただける自分になれるか
一体何のために信心しているのか、藻掻きながらの祈りではありましたが
ただひとつ、受験を通して気付いたことがあります。

真剣な祈りは必ず通じるということ、
そして、全てを諸天善神にしていけるということではないか、と。

何のためか。何のために全てを諸天善神にしてゆくのか。
それは、ひとえに広宣流布のためである、と。



その5に続きます。


何のための功徳か(3)


仕事の忙しさに加え、入院手術の準備、地域の活動と
・・・・ちょっとバタバタしております。

窓を開ければ、甘い金木犀の香り。
秋も少しずつ深まってゆきますね。



何のための功徳か(2) からの続きです。


宇宙全体が「妙法蓮華経のすがた」なのです。

戸田先生は「宇宙生命それ自体が南無妙法蓮華経なのです」と言われていた。

諸法の実相を見るならば、人間も草木も、太陽も月も
「妙法蓮華経」の姿でないものはない。
森羅万象は「妙法蓮華経」の律動を奏でているのです。

                       法華経の智慧 第一巻





この中の「森羅万象は「妙法蓮華経」の律動を奏でている」に
目が釘付けとなってしまいました。

7歳の頃の交通事故について
ふと思い出したことがあったからです。


事故直後、意識のはっきりしない時期を過ぎ、
ようやく周りの人と意思疎通の出来るようになりましたのは
それから1週間後のことでした。

身体はベッドに固定され、動かせるのは頭部と左手だけ。
上体を起こすことも、寝返りさえもうてない私の目に飛び込んできたのは
窓辺の樹々の姿でした。


樹々の葉が、晩秋の風に吹かれ
音もなくそよいでいました。

それをじっと見ていまして・・・驚きました。
その葉のそよぎが、そのまま題目のリズムになっているのです。

「どうして葉っぱがお題目を唱えているんだ!」と驚きました。


さらに視線を空に移せば 流れる雲も、空を仰ぐ山々も。

流れる雲は題目のリズムとともにその姿を変え
山々も遥か天空を仰ぎながら
お題目を、まるでうたっているかのようでした。

その時は、何故そのようなことが起きているのか、ただ驚くばかり。

そばに付き添ってくれていた母に訴えましても、ぴんと来ない様子。


・・・なぜだか分かりませんが、驚くのと同時に
涙がぽろぽろこぼれてきました。

世界はお題目のリズムに満ち溢れている、と。
それは幽かな響きではなく、大音声なのだと。

そして何故、私たちにはそれが聴こえないのだろうと。


残念なことに、そのようなことを経験しましたのはほんの少しの時間だけで
翌日には消え失せておりました。

もう一度あの感覚を味わいたいと願いましたが、叶うことはなく
今に至っております。

当時、自身としましては、そのような経験をしましたのも
高熱に長期間苦しめられたからかもしれないと思っておりました。

だからこそ、さほど大切な記憶として残っていなかったのだと思います。

しかし、その40年も昔のことが・・・法華経の智慧の
森羅万象は「妙法蓮華経」の律動を奏でている」に触れ
鮮やかに思い起こされたのです。



交通事故によって、右半身は酷く傷つきました。

しかし、右腕の神経はダメージを受けることなく無事でしたので
この右手は、御本尊さまに守っていただいたと感謝し、
「右手で出来るご供養をしたい」と思っておりました。

その7歳の時の決意が、それから17年後、
地元の会館の建設の折に叶うこととなります。

起工式、落成式の準備におきまして
習字用の筆を右手に握りしめ、頑張らせていただきました。

ほんの少しでも、この手でお役に立ちたかったのです。



長くなりますので、続きは(4)にて。


閑話休題 2


先ほど病院にお電話をしまして、新たに診察日を予約していただきました。
そこで、直接先生に手術のお願いを致したいと思います。

手術日がいつになるか予想はつきませんけれども
家族はもちろんのこと、他の方々にご迷惑をおかけすることのないよう、
(いえ、何をどうしたって迷惑はかけてしまうのですが・・・)
せめて、その迷惑を最小限にとどめられるようにしたい、と願います。

ここで心すべきは、再発を防ぐための手術をしていただくからといって
必ずしも再発を免れるものではないこと。

自身の中に病で苦しむ宿業が残っている限り、
何をどうしたとしましても、再発するわけです。




このカテゴリに参加しましてから、未だ2ヶ月足らず。

最近の創価カテゴリのことにつきまして
何人かの方々が話題になさっているようですけれども
自身のスタンスとしましては、「静観する」であります。

誤解を防ぐために書き添えますが
これは、知ったことではない、などという意味ではありません。

人間なのですから、皆、怒りも誤解もあります。
殊にブログのように文字だけの場合、その怒りは余計に大きくなって参ります。


「そんなに怒るな」という声もあることでしょう。
しかし、この怒りの激しさは経験した人にしか分からないのではないか、と。

リアルでしたら相手の表情、声音、素振りなどで
相手の本音も(ある程度は)予想できるでしょうけれども
文字だけの場合は非常に難しいでしょう。

(以前の記事に幾度か書いたことではありますけれども)
10年ほど前、イラク戦争についての議論をネット上で致しましたが
それはひどいものでした。
20人から30人ほどが入り乱れてのものとなります。
最後には誰が戦争反対派で誰がそうでないか判別し難くなる。

卑怯なやり口ではありますが、何人も「なりすまし」が出て
議論を攪乱する動きもありました。
(おそらくは)犯罪すれすれのことも散見されました。

全て文字だけの世界でありますから、怒りも激しい。
私など、怒りの感情がそのまま体調にあらわれるものですから
ほんの30分ほどの間に、それまで35度台であった体温が
たちまちのちのうちに38度後半になることもしばしばでした。


それほど、怒りのエネルギーというものは凄まじい。

自身がそのような経験をしておりますからこそ
お二人が激しく怒っておられることも頷けるのです。



上手く言えないのですが、この創価カテゴリは
社会のオアシスであるべきと考えます。

オアシスと言いますと、癒しの空間というイメージがありますけれども
癒されるだけではなく、新たに出発するエネルギーを補填する場所とも
言えるのではないでしょうか。

皆、様々なことを抱え、それでも前に進もうと頑張っている。
このカテゴリに参加なさっている方おひとり、おひとり、
自分の人生を自分の方法で進んでおられる。


その上において、現在のこのカテゴリ。
「口論をやめて欲しい」という声も聞こえますけれども
私自身は「それはあくまでお二人が決めること」と思っています。
外野があれこれ言えるものではありません。

人間ですから、いろいろあってよいと思うのです。

私自身、ブログを始めて13年、
これまで多くのブログを拝見してきましたけれども
その間、いざこざの全く無かったブログは・・・さほど多くはありません。
必ず(口論ではないせよ)「何らかのこと」が起こっているのではないか、と。


ネットとはいえ、このツールを使っているのは人間である以上、
やはりある意味「リアル」だと思います。

そうである以上、口論も、議論も、誤解も喧嘩もあって当然であります。



お二人を見守る私たちが注意するべきは
むしろ、「焚き付ける者の存在」ではないかと。

お二人が「もうやめたい」と思っていらっしゃるのに
言葉巧みに焚き付けようとする存在もあるのではないか、と。


この創価カテゴリの存在自体をこころよく思わぬ存在にとって
このたびの議論は願ってもないことでしょう。
やめてもらっては困るわけです。だから、焚き付ける。

「観察」という言葉はあまり好みではありませんけれども
お二人を取り巻く人々の中で、誰がどういう動きをしているのか
注視していくこともまた大切なことではないでしょうか。



このカテゴリも参加しまして本当に日は浅いのですが・・・・
自分自身、このカテゴリを大切にしたいと考えています。

このカテゴリを支えに、頑張っておられる方も
いらっしゃることと思います。
だからこそ、この空間を大切にしたい。


議論をなさっているお二人に対しまして、私は批判をしようとは思いません。


本当に・・・上手く言えませんが
私はお二人のことを信じます。

「何を信じるのだ」と問われましても、本当に言葉が見つかりません。
でも、やはり「信じる」という言葉しか浮かんでこないのです。

様々なことがあったとしましても
私たちは、同じ目的に向かう同志ですから。



閑話休題


昨日、病院での検査を終え、無事に帰って参りました。


昨日午後、待合室にて名を呼ばれ、診察室に入っていくと
早くも検査結果が机の上に置かれていました。

先生が開口一番「何か飲んでいますか?」と。


その質問の意図が分からず、ちょっと言葉に詰まってしまったのですが
要するに、腫瘍マーカーががくん、と下がっているとのこと。

現在、無治療状態にもかかわらずです。

薬も抗癌剤も一切使っていない状態で
何故こんなに数値が下がるのか?とのことでした。


この病気は、抗癌剤が効きにくく、たとえ投与しましても患部に浸透しません。
また稀少疾患でありますためデータが圧倒的に少ない。
再発を防ぐための確かな薬さえない状態であります。

服用するべき薬もない状態で、マーカー値が下降。
本当に有り難いことだ・・・と感謝いたしました。


そのあと、日常的に抱えている腹痛について報告しましたところ
先生からは手術を打診されました。

しかし、その手術も今すぐ必要というわけではなく、
まずは「手術をするかどうか」半年後の診察時に返事を下さいとのこと。

そのゆっくりめの診断に少し安心もいたしました。


・・・その時には「半年後にお返事するもの」と思っていましたので
そのまま帰宅いたしましたが・・・よくよく考えてみれば
即座に「手術をお願いします」と言えば良かったのだ!と。

ただ、先生ご自身も「もし自分なら、今の段階で手術は受けない」と
仰っていまして、私自身、本当に判断に迷うところなのです。


しかし取り急ぎ、明日、病院に電話をしまして
手術をお願いする旨お伝えしようと思っています。

手術につきましては、私などよりも重症の方がいらっしゃいますので
おそらく・・年明け以降となるのではないか、と。



手術に対する不安はありますけれども
術後の苦痛など、2日も経てばかなり軽減されます。

何よりも今、私の心を占めていますのは手術に対する不安ではなく
「何故、即座に『手術をお願いします!』と言わなかったのか!」という
自分への怒りであります。


確かに先生の「自分なら今は受けない」というお言葉も
私にとりましては大きいものでした。

「今、手術を受けたら、何かまずいのかな?」と
ちらっと不安になったことも事実です。
本来ならば受けなくても良いはずの手術を受け
かえって身体を損なうかもしれない、とも思いました。

・・・診察室というのは独特の雰囲気です(笑)。
しかも、今、自分の目の前に座っておられる先生は
この疾患について国内随一の先生。

その先生がにこやかに「そんなに急いで受けなくてもいい」
「返事は半年後に下さい」
「もしかしたら、最終的には、手術を受けなくてもよいかもしれない」と仰る。

・・・そうなりますと、こちらもなんだか安心しまして
「はい、わかりました。半年後に」となる。


実はただひとつ、気になることがあるのです。

1回目の手術を受けるきっかけは、腹部の酷い痛みでした。
しかし(これは3つの病院で言われたことなのですが)
本来、この段階で痛みの生じることはないのだそうです。

痛みを感じないからこそ、皆、重症化し
どうしようもない状態で病院に駆け込む。

私の場合は、痛くないはずの段階で酷い腹部痛を感じ
それが早めの病院受診、手術へとつながりました。
1回目の手術の執刀医からも「よく痛みを感じましたね」と言われました。


・・・現在、再び、当時の痛みがぶり返しているのです。
この点が非常に引っかかります。

マーカー値が下がっていようとも、MRIにて異常が認められなくとも
このしつこい痛みがある限り(安心したくとも)出来ません。

痛みは、身体からの信号だと思うのです。
1回目の手術の時には、この「痛みへの敏感さ」が重症化を防いでくれました。
しかし、重症化だけは免れましたけれども
再発の可能性は依然として高いままであります。

その再発を防ぐための手術をするかどうか、
先生は「半年後に返事を下さい」と。

それに対し、気の早いことに私は「手術をお願いします」と
明日、病院にお電話しようとしている。


どこまでがわがままで、どこからがまっとうな自己防衛なのか
時に分からなくなることもあります。

それに何より、先生は、この疾患について
国内のどなたよりも熟知なさっています。
手術数になりますと世界一です。

当然のことながら多くの症例をご覧になり、私の症例につきましても
これからの見通しがついておられることと思います。

その先生が「半年後でも大丈夫ですよ」と仰っていますのに
自分ときたら・・・と自己嫌悪にも陥るわけです。



・・・こんな風に混乱しているまま文章を書きますのも
あとに続く人のため。

診察室の独特の雰囲気、その部屋から出てきたあとの後悔。
「もっと、こういうことを言うべきだった」「これも言うべきだった」と臍をかむ。

いつも、揺れ動きながら病院をあとにするわけです。


来週もまた、多くの病院内にて、先生や看護師さんが見ている中で
自分の症状、気持ちを伝えようとする患者さんがいらっしゃることでしょう。

上手く伝えられる人も、そうでない人も、皆、どきどきしながら
診察室に入ってゆくわけです。

中にはセカンド、サードのことを先生にどう切り出すか、
前日の夜から悩む人もいることでしょう。



・・・こんなささやかな空間で自分が何を書いたとしましても
さほどお役には立てないのですが、
それでも、せっかくインターネットというツールがあるのです。

同じ使うのであれば、少しでも人の役に立ちたい。

おそらくは一生会うことのできないだろう人のために
何かを書き残しておきたく思います。


何のための功徳か(2)


6歳の時に体験しました算数テストの件、そして作文の件。

今思いますと・・・子ども心に、算数テストの存在は
あまりに大きかったのでしょう(笑)。

テストを受けるたび見事に0点ばかり。
さすがに焦っておりました。

「ほとんどの人は往生際が悪く、つい2点とか3点取ってしまうけれど
 0点というのは、取ろうとしてもなかなか取れるものではないんだよ。」

などと、近くに住む祖母など訳の分からぬ激励をしてくれるのですが(笑)
当時6歳になったばかりの私は、ただただ困り果てるばかり。

・・・私自身、3月下旬の早生まれで
4月生まれの同級生とほぼ1年の開きがあります。

何をしても上手くいかず、おまけに身体も小さく、おとなしく
いるかいないのか分からぬほどの子どもでした。

それだけでも焦っておりましたのに、テストの0点続きは・・・
さすがに重圧となって心を苦しめていました。

そこにいきなりの100点です。
それまで0点しか取ったことがありませんでしたので
思わず、他の人の答案ではないかと(笑)。

これが、いつも80点や90点を取っているような自分でしたら
こうも驚かなかったと思うのですが、0点がいきなりの100点。

・・・このことは、忘れようにも忘れられないものとなりました。


100点を取れたと言うことよりも
祈ったことがそのまま形になったことの方が嬉しく、
上手く言えないのですが・・御本尊さまがいつも自分を見守ってくださるような
そんな気持ちになったのを覚えております。

そのことを契機に、少年部員会や座談会に積極的に参加するように。
御本尊さまに対して、恥ずかしくない自分になりたいと思ったのです。



・・・・そんな中、7歳の秋に、家の近所で交通事故にあったのでした。

事故の現場をご覧になった警察官は
てっきり被害者は亡くなったものと思われていたそうです。
そこにもって私が病室のベッドにて目をくりくりさせていたものですから
「生きとったんか!」とびっくりなさいました。

内臓破裂になっても何の不思議もないのに急所は全て外れており、
確かに・・身体の右半分をやられはしましたが
それでも頭部は無事でした。

・・・あとは数日前の記事に書きましたとおりです。

事故直後から高熱に襲われ、腹部は紫色にふくれあがり
意識のはっきりしない状態が1週間続きました。

混濁した意識の中、出てくるのはうわごとばかり。


(ここで10月5日の記事より転載いたします)


のちに母から聞いたことではありますが
意識がはっきりしなくなってから1週間目の明け方
それまでうわごとばかり言っていた私が突然お題目を三唱した、と。
病室中に響き渡るほどのお題目だったそうです。

それから1時間後には高熱もひき
紫色にぱんぱんに膨れ上がっていた腹部も徐々におさまり
私は久しぶりに目を覚ましましたが

(中略)

お題目は「生命力の源なのだ」と思いました。
身体は重症であるにもかかわらず、いのちは「生きよ」と呼びかけてくれる。
その呼びかけてくれる力こそがお題目なのだ、と。



・・・先日、「法華経の智慧」を読んでおりまして
目の釘付けになった部分がありました。


宇宙全体が「妙法蓮華経のすがた」なのです。

戸田先生は「宇宙生命それ自体が南無妙法蓮華経なのです」と言われていた。

諸法の実相を見るならば、人間も草木も、太陽も月も
「妙法蓮華経」の姿でないものはない。
森羅万象は「妙法蓮華経」の律動を奏でているのです。

                       法華経の智慧 第一巻




長くなりますので、のちほど、3にて。

何のための功徳か(1)


「祈れば、必ず叶う」

これは幼少時から、親に言われていた言葉です。


幼いながら「何故、祈ったら叶うのだろう」と不思議に思っておりました。

これに対しましては「宇宙の法則だから」との答えも返ってくることでしょう。
あるいは、もっと他の答えも。

しかし、当時の私が知りたかったことは
「何のために祈りが叶うのか」と言うことでした。

この問いに対しましては「幸せになるため」と返ってくるところでしょうけれども
それだけでは答えにならない。

自分自身、もっと納得できる答えが欲しかったのです。



・・・御本尊に祈り、その祈りの叶った初めての体験は
6歳になったばかりの時のことです。

母に「祈ったら必ず叶うから」と言われ、「よし、それでは」ということで
当時悩みの種であった「算数のテスト」について祈ることに致しました。

その時、何を祈ってよいか全く分からなかったのです。
取り急ぎ、何かを祈らなければ・・ということで頭に浮かびましたのが
当時立て続けに0点を取っていた算数のテストのことでした(笑)。

文章問題の意味も分かりますし、答えもおぼろげながら分かるのです。
しかし、式を立てることが全く出来ませんでした。
「式ってなんだろう・・・」と首をひねる始末なのです(笑)。


・・・とてもお恥ずかしいことなのですが、私は「疑い」から入ります。

殊にこの場合、私の願いを叶えなければならない義務など
御本尊にはないのです。
なのに「祈ったら必ず叶う」と親は言う。

私は御本尊のために何もしていないのに、どうして祈りが叶うのだ、と。
それって図々しくないか?と言うのが本当の気持ちでした。


結果は、その3日後に行われた算数のテストにて100点。
・・・最初、他の人の答案かと思いました(笑)。

確かに親からは「信心+努力」と言われ、「そりゃそうだ」と私も納得し
お題目をあげ、勉強も頑張りました。

その結果、生まれて初めての100点。

どちらかと言いますと・・・100点を取ったことが嬉しいのではなく、
「祈って叶ったこと」が嬉しかったのです。


・・・しかしそこで、またもや、持ち前の「疑い」が出て参りました(笑)。

(いえ、今にして思いますと、「確かなものをつかみたい」が故の
 疑いだったのではないかと思うのです)

今回のテストの100点は「勉強したから」ではないのか?
・・・そんなふうにも感じました。

しかし、だからといって、ただ単に「勉強したからだ!」と
言い切ることも何故かできない。


そして「さらに確信をつかもう!」と思い
先日、クラスの先生が仰っていた「作文」について祈ることに致しました。

学校の代表として1人だけ、作文が地元新聞に掲載されるというものです。

いくらなんでも、これは無理だろうと思いました。
当時、昭和40年代。在籍する小学校の児童数もかなりの規模です。
その中で代表に選ばれ、新聞掲載などあり得ない。

・・・無意識のうちにも「絶対無理だ」と思いつつ、
それでも確信をつかんでみたく、祈りました。

「選ばれますように」という祈りではありません。
「祈りが叶うことを、私の目の前に見せてください」との祈りでした。


その結果、1週間後の朝刊に私の作文が掲載され
その新聞を御仏前に置き・・・呆然と致しました。

最早、祈りの叶ったことが嬉しいのではなく
ましてや、掲載されたことが嬉しいのでもない。

「何で祈りは叶うんだ?」と、半ば畏れつつ
その不思議さを問うばかりでした。



・・・これは今から40年以上も昔の話です。
人によっては「くだらん」とお思いになる方もいらっしゃるでしょう。
それはそれでよいのです。

テストにしましても作文のことにしましても、
およそ体験と言えるものではありません。
もちろん、生死に関わるものでもないのです。

しかし、当時6歳になったばかり、
お経本を手にたどたどしく勤行をし始めた私にとりまして
この出来事は、確かに、信心に向かうきっかけとなりました。

物事の大きさの問題ではなく
その出来事が起こったあとに自身がどう変わったのか、
さらに言えば、信心が深まったのかどうか、でありましょう。


その点におきまして、まさしく
「祈れば叶う」と諭してくれた母に感謝であります。

ひとつひとつは小さなものでありましても、それが積み重なれば
深き信心の楔となります。


当時6歳。このことをきっかけとしまして
少年部員会、座談会等に積極的に参加をすることとなり、

そしてさらに新たな体験を、1年半後の秋、
交通事故に遭遇した際に掴むこととなります。 


( 2に続く )



追・これから仕事が忙しくなり、返信がさらに遅くなることが予想されますため
  メッセージ欄を閉鎖させていただきたいと思います。

  これまで心温まるメッセージを下さいました皆さま
  本当にありがとうございました。

  心より御礼申し上げます。


体験するということ(2)


最初、妹の鬱病のことを聞きましても
「疲れているのだろう」とぐらいにしか思いませんでした。

ゆっくり眠って疲れを取れば大丈夫だ、とも。

しかし入院することが決まり、その入院も4ヶ月に及ぶことを聞き
そこではじめて「ただごとではない」と思ったのでした。


しかし同時に、診ていただいていた病院に対する疑問、不満も。

要するに「そんなに飲まなければならないのか?」と思うほどの量の投薬。
明らかに異常でした。
そして薬を服用すればするほど、妹の症状は悪化するばかりなのです。

誤解を防ぐためにも書き添えますが、あくまで妹の場合は、です。
彼女の場合は、薬など何の役にも立たなかった。
返って肝臓を悪くしただけでした。


・・・妹の状態を見て、本当に大変だと思いました。
想像していた以上でした。

「身体が動かない」ことも納得しました。
本人は何とかして頑張ろうとしているのですが
冷蔵庫の前にへなへなと倒れ込み、何時間も動けないでいるのです。


実家の両親はそれこそ元気な人ですから、妹に叱咤激励の言葉をとばします。
「がんばれ!」「甘えている!」と。

両親とて、悪意で言っているわけではありません。
励まそうとして必死なのです。


それを見て・・・・血のつながりのある親ですら、
鬱病にある妹のことを理解できないのだと思いました。

私もまた、自身が鬱病になったことがないのですから
妹のことを理解することは出来ません。
「いや、理解できるはずだ」と言ったら、それは嘘であり傲慢でしょう。

理解は出来ません。同苦も出来ないのです。

理解できないからこそ、自分のふとした言葉で彼女を傷つけることのないよう
細心の注意を払うのです。


私の場合、理解することは出来ませんけれども
彼女のことを受け入れることは出来るはずです。

彼女が何か話してくれれば「そうかぁ!」と言って受け止めます。
たとえ彼女が、私の考えと全く違うことを言ったとしてもです。

「私の考えとは全然違うけれど、
  あなたはそんなふうに考えているんだね」といったん受け止めるのです。

時には腹も立ちます(^_^;)
気性の激しい私のこと、「なんだ、それは!」と言いたくなることも(笑)。


いつか、妹が電話口でわんわん泣きながら言っていました。
「こうやって誰かに、自分の話を聞いてもらいたかったんだ」と。


彼女は・・・おそらくは今までに、
自分の言葉をそのまま受け止めてもらったことがなかったのだろうと。
受け止めてもらえぬまま大人になってしまったのではないか、と。

彼女とは8歳も年が離れていますので
私が進学のために上京しましたとき、彼女はまだ小学生でした。
やがて彼女が成長し大切な思春期を過ごしていましたときに
そばにいてあげられなかったことが悔やまれます。

実家の両親、そして(私と4つ年の離れた)妹がもう1人おりますが
この3人は「がんばれ!甘えるな!」タイプなのです。
当然のことながら悪意など全くありません。
頑張れば鬱病なんて無くなる、と信じて疑わないのです。

「いや、そうではない。」と私が言いましても
「甘やかすな」の一点張り。

いや、甘やかすのが目的ではなく、妹の言いたいことをまずは受け止め
少しでも回復を早めようと思っているのだと。

妹に今必要なのは、妹を丸ごと受け止めてくれる存在、
そして、妹に対して興味関心を持ってくれる存在なのだと。
「あなたはそのままでいいんだよ」と言ってあげてくれ、と。

遠回りのようであっても、それが結局は回復への近道なのだと。

家族も私もともに、妹の回復を願っているはずなのに
ただ「方法が違うだけ」で空回りしている。


・・・・血のつながりがありながら、この違いは一体何だろうと思いました。


私たちは、自分の体験したことのないことに対しては
いっそう謙虚であるべきです。
このことを、私は病気になって学びました。

病気になどならずとも、最初から学んでおけばいいのでしょうけれど
そこは凡夫のかなしさ、自身が痛い目に遭わなければ
他人の痛みも分からないような、そんな私であったということでしょう。


もしも、妹に対し「がんばれ!」と言える人がいるとするならば
それは家族でもなく、医者でもありません。
同じく鬱病で苦しんだことのある人だけです。

そしてこれは癌患者にも言えることではないでしょうか。
「がんばれ!」と言えるのは、やはり癌になり苦しんだ人だけだと思うのです。



・・・先日、共同募金の声かけをしながら
秋の冷え冷えとした空気の中、

妹のこと、病気のことを考えていました。


体験するということ(1)


大学を卒業した頃、私には何の持病もなく
毎日を、ただ仕事に打ち込み過ごしておりました。

朝7時半には職場に行き、夜10時過ぎに帰宅しましても
程よい疲れが残るぐらいで、思えば・・・・あの頃は本当に元気でした。

自分が元気だったものですから、例えば身体の調子が思わしくなく
会合に来られない女子部の方に対しても
温かな想像力を働かせることも出来ないでいたのです。


そのうち、自身に、喘息やむち打ちなどといった軽い持病が出てまいりました。

軽い・・とは言いましても、喘息の発作が出ますと呼吸困難に陥ります。
もはや内服薬では間に合わず、気管支を強制的に広げる薬剤を
首に、注射器にて打っていただいていました。

その後、心臓に異常が見つかり
若い頃のように無理をすることもできなくなりました。

こうなって初めて・・・・健康の有り難みが身にしみ
それと同時に、身体の強くない方への、自身の眼差しが変わるのを感じました。


そして 追い打ちをかけるようにこのたびの病気。

最初の頃は「それだけあなたの使命が大きいのよ」との
組織の方々の励ましに対しましても
「そんなのいらないし」と思っておりました。

心身ともにへとへとに疲れ切っておりました。


・・・嵐のような1年数ヶ月を経まして思いますことは
何事も「体験した者しか分からない」ということです。

この「体験した者しか分からない」という言葉には
何やら冷たい響きもありますけれども(笑)
今ここに書きたいことはそういうことではなく、

体験したからこそ、他の人の心が少しでも分かるのではないか。
心の痛みに敏感になれるのではないか。

そして そこにこそ自分の使命があるのではないか、ということでした。



・・・今現在、8歳下の妹が鬱病を患っております。
何度か入退院を繰り返し、今では小康状態。

彼女の場合、病院から処方される薬を服用しますと症状が悪化しますため
そしてまた薬のために肝臓を悪くしてしまい、現在休薬中であります。


私自身も7歳の頃に自律神経失調症と診断され
この自身の性格を思いますに、
むしろ私の方が鬱病を患ったとしても何の不思議もなかったわけです。

しかし、鬱病とは全く無縁のように思われていた妹が患ってしまった。

何故だろう・・・と思いました。
彼女の方が明るく朗らかで、まるで春のような女性なのです。


・・・妹と私の唯一の違いは「優しさ」の度合いであります。

私はどちらかと言えば淡泊、人との付き合いはほどほどに致します。
10年ほど前のことでしたか、
イラク戦争の是非についてネット上で議論しましたときにも
議論の相手が長年の友人であったり、心の何処で信頼する人である場合には
それこそ喧嘩状態になってでも(笑)議論を続けましたけれども

(やはり・・分かってほしいという気持ちが働いていたのでしょう。
 そしてまた、この人だったら分かってくれるはずだとの期待も)

そうでない場合・・・ただの通りすがりであったり、
(もしくは知り合いであったとしても)その人のことを信頼していない場合には
議論そのものを避け、無視しておりました。
時間をかけてまで議論する必要がないと思っていたのです。


私の場合には、良く言えば淡泊、正確に言いますと冷淡だったのでしょう。
それに引きかえ、妹は本当に優しい女性でした。

感受性もつよく、その優しさ故、抱え込むものも大きかったのだと思います。


(長くなります故 次に続きます)


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