あさき夢みし

心に浮かぶことを 自分の言葉で。

交流について


このブログではコメント欄を閉じておりますけれども
リアルの友人から「コメント欄開けたら?」と、よく言われます^^

ですが、今の自身の状況を考えてみますに、
コメント欄を管理するだけの精神的余裕がありません。

また、これから手術の準備を進めるにあたり
時間的な余裕もますます無くなってくることでしょう。



・・・思えば、十数年前、ブログを始めようと思ったきっかけは
「コメント欄」だったのです。

ネット上では(ある程度)匿名性も高い故
自分の素直な気持ちを書き綴ることができました。

そしてその素直な気持ちに寄り添ってくれる方々のコメントが
とても嬉しかったことを覚えております。

嬉しかったこと、悲しかったこと、傷ついたこと。
そのひとつひとつに対し、皆さんが声を寄せてくださいました。


その時、コメントを寄せてくださったことがきっかけとなり
十数年経ちました今でも、皆さまとのお付き合いは続いております。

年賀状はもちろんのこと、家族ぐるみのお付き合い、
そして(皆、全国に散らばっておりますので)
時には飛行機や新幹線を使っての集まりとなります。


殊に10年前のイラク戦争開戦時、皆お互いに力を合わせて
戦争支持者と議論を重ねていきましたことは忘れ難い思い出です。

宗教も支持する政党も全く違いましたけれども
「戦争反対」という一点におきまして団結しておりました。

・・・ネットでなければ絶対に出会うことのなかった方々。
その出会いに本当に感謝です。



また言わずもがなのことではありますけれども
ネットにはどのような危険が隠れているか、そのことに対しましても
十分警戒していくべきでしょう。

今まで本当に多くの方々とオフ会でお会いしましたけれども
有り難いことに、一度もいやな思いをしたことがありません。
これは単に幸運だったとか、そういうことではありません。



ネットを始めたばかりの頃、そしてブログを始めて間もない頃
ネットの大先輩から教えていただいたことがあります。

あるブログを見る場合、記事を拝見するだけではなく
コメント欄でどのような発言をなさっているかを見なさい、と。

コメント欄には、その人の本質が出てくる、と。

そしてその「コメント欄」というのも
その人が運営しているブログのコメント欄だけではなく
むしろ、他者のブログのコメント欄の中でどのような発言をしているか、
それを見ていきなさいとのことでした。


・・・その時には「何のことやら」と意味が掴めませんでしたが(笑)
5~6年経ちますうちに何となく意味が分かるようになり、
ひいてはそのアドバイスが、未熟な私を様々な面で守ってくれたのでした。



このブログにて、コメント欄を開けられるようになるのは
一体いつのことやら・・・と少々淋しい気持ちも致しますが
これからのことを考えますと、おそらく不可能でありましょう。

まず、1ヶ月後には入院・手術で不在となります。
退院して来ましてからも、しばらくは交流も無理でしょう。
記事を書くことさえおぼつかない状態となります。


10年前、コメント欄やメールなどで頻繁に交流していたことを考えますと
やはりさびしさを感じますけれども、とにかく今は、無事に手術を終え
再発を予防することこそ要であります。

今までの仲間と変わらず交流を続けていくこと、
そして新たに加わったこのカテゴリの中で、少しずつでも心を通わせていくこと、
そのことを願いつつ、日々の暮らしを大切にして参りたいと思います。




今、思うこと


今日は、友人の命日であります。
末期癌を患い、8年前の今日 お亡くなりになりました。


友人がよく言っていた言葉。

「人間は結局、独りだ」。



・・・私も今になって、この言葉を噛みしめます。

だからといって 排他的になっているとか、人を信用できないとか
そういうことでは決してありません。

ただ「人間は独りである」という事実を
冷静に受け止めている、ということです。



学会指導の中にて「人を救う」とありますけれども
何も自分がしゃかりきになって他者を救うということではなく、
あくまで、御本尊に共に向かうということではないかと。

「御本尊に祈ることの大切さ」を伝えることではないかと思うのです。



やはり、人間は独りです。

大切なのは 困難に立ち向かう自身のこころの内に
一体何があるか、でしょう。


他者が助けてくれないから、心配してくれないから
だから、すぐに挫けてしまうというのでは
生死の海を越えることなど 絶対にできない。


他者の祈りに深く感謝しつつ
自身の内に何を確立するか、何を根本に闘っていくか。

・・・自分自身の置かれた状況を思いますとき
ここからが正念場だと思っております。




手術を控えて


手術は約1ヶ月後に決定。

仕事面での調整、家の中の掃除、私のいない間の家族の食事のこと、

やらなければ、考えなければならないことが目白押しで
これからの1ヶ月、まさに目の回るような忙しさだろう。



人間、こんな状況になると
「まっとうな人間になりたいなあ」と心底思う。

心身ともにぎりぎりの状態は確かに大変なのだけれど
いや、大変なときだからこそ
人間にとって「本当に大切なもの」が見えてくるのではないかと。

一言で言ってしまえば「お互いに助け合いたいよね」と言うこと。
これに尽きる。



・・・前回の手術の時にはとにかく腹痛が酷く、
一刻も早く手術をしてください!という気持ちだった。

だから不安など感じる余裕もなかった。


けれど、このたび2回目の手術。
不安は様々である。

まずは麻酔から覚めた後の激烈な症状。
(先に手術を経験なさった方々のレポートで明らか)

そして今回の手術により「再発しているか否か」がはっきりする。
再発していたら・・・すぐに3回目の手術が必要となる。

3回目の手術は拡大手術となり、生命維持に必要なものだけ残し
あとはできうる限り切除してしまうというもの。
その手術に自分の心臓が耐えられるだろうか、と不安もよぎる。



・・・昨日夕刻、病院の窓の外に夕焼けが広がっていた。

秋の夕暮れ。 心にしん、と響く。
その美しい空の色に しばし心をなぐさめる。



病気になって、手術を控えて。
そうなると、人間、いろんな気持ちになるんだなあ・・・と
自身のこころの内を(今さらながら)見つめ直す。

このたびの手術は、病にある人の気持ちを
理屈抜きに理解できるようになるための、第一歩かもしれない。


そう、理屈でもなければ、観察でも、ましてや批評でもない。

悲しみも辛さも悔しさも、全部ひっくるめての共感なのだと。

これ無しに他者の気持ちを推し量るなど 浅はかである。



まずはあと1ヶ月。
自分にできる限りのペースで、準備を進める。

辛いときほど、闘志を燃やし続ける自分でありたいと願う。




病院にて



手術日、決定。
今日のうちに術前検査を全て済ませる。

血液検査、レントゲン、CT, 心電図等々。
しんどいのは肺活量検査(笑)。

息を大きく吸って吐くときに、喘息の発作が出て散々だった。
なかなか思うように呼吸できないので、何度もやり直しをする。


この病院には全国から患者さんが来られるので
待合室はいつも一杯。

皆さん、大きな荷物を持って泊まりがけでの来院である。
そばにはご家族が付き添っておられる。


私の前に診察を受けた女性の方も手術を受けられるようで、
レントゲンや心電図、その他の検査など
病院内での行き先はほとんど同じだった。

その女性にはお父様が付き添っておられ
女性の荷物を持ったり、話しかけたり。



・・・何となくいいなあと思って 見ていたのだけれど

はっと我に返り、私、今、どんな目で
その親子連れを見ていたんだろうって恥ずかしくなった。

きっと、すごい目をしてたんだろうな。


手術のお願いをして、手術日もその場で即決。
検査もさっさと受けて。

さくさく、さくさく。


病院の窓から見える夕焼けを「おお、美しい」と独りごち
ぱしゃっと撮影。

病院から出て、荷物を持って
バスに乗り込み、電車に乗り、本を読み。


うん、私は大丈夫だ、と
(何が大丈夫なのか分からないけれど) そう言い聞かせている。




何のための功徳か(7)



私も祈ろう、体験を積んでみよう!と決意したまではよかったのですが
何を祈ればよいかわからなかったのです(笑)。

何を祈ればよろしいでしょうか、と御本尊に祈りましたのも
この時であります。


そのうち、有り難くも問題勃発。
「車問題」でした。

それまで、我が家は車一台で事足りていたのですが
急遽、車がもう一台必要となったのです。

さあ、困った、どんな車を買おうかと
我が家の貯金を見ましたらば「5万円!」。
いえ、何度目を凝らしましても、0が5つではなく4つなのです(笑)。

先ほどまでの「困ったねぇ、なにを買おうかね」などと言う
騒ぎどころではありません。



心底困りつつも「祈る項目ができた!」と、私は勇んで祈り始めました。


心の中には

御本尊が何か決めるのではない。自分が決めて祈るからそうなる。

「こうしたい!」「こうなりたい!」と祈ること。必ずそうなる。

「困った!御本尊!以上終わり!」簡単です。

との河合師範のご指導がありました。



・・・確かに車は必要です。
しかし、車も必要なのですが、祈ればどんな風に叶っていくのか
それをもっと体験したいという願いがありました。

さらに言えば「体験を掴んだ先に何があるか」を知りたかったのです。



そして翌朝、忘れもしません、白ゆり長からお電話を頂きました。

「○○ちゃん、車、いらへん?」



・・そのあまりの結果の早さに、私は電話口で固まってしまいました。


「えっ・・・」と口ごもる私に、白ゆり長さんはさらに

「あんなー、白のスズキやねんけどええかな?」と。


私はそれを聞き、ますます固まってしまうのでした。


実は祈っておりますときに「白のスズキがいいんだけどなあ・・・・」と
ちらっと胸をかすめたのです(笑)。

けれど、ただでさえ「5万円で車が必要です!」と無茶な祈りをしておりますのに
その上に「白のスズキ!」など・・・そんな、祈れるはずもなく。


しかし結果的には、自分にとって最も乗りやすいタイプの車が
そして望んでいた車種が、我が家にきてくれることとなったのです。

検査費用、しめて3万5千円。


・・・本当に、5万円以内で車がやってきてくれたのでした。




8に続きます。





何のための功徳か(6)


ご存じの方も多くいらっしゃると思いますが
「河合師範のご指導」について。

このご指導を伺いましたのは、30代半ばの時のことでした。


私の拙い言葉であれこれ書きますと、誤解も生じましょう。
ほんの一例だけ、ここに原文を掲載させていただきたいと思います。
(読みやすさを考慮し、改行させていただいております)


あるB担が、
「活動をすれど活動をすれど我が境涯少しも変わらず。」という歌を作った。
これを『啄木型信心』という。

頑張っても惰性では変わらない。
惰性だと気がついて、何でも祈るようになったら何でも叶うようになった。

去年の暮れに洗濯機が壊れた。
そこで御本尊に「洗濯機が壊れたから新しいのが欲しい。
できれぱピンクのが欲しい。」と祈った。

1時間ほど唱題したら近所のB担さんが来た。
雑談の中で洗濯機の話をしたら「じゃああげようか。」と言う。
相手はマンションの管理人。

最近は若い人が引っ越すときに面倒くさいので置いていってしまうらしく
「たくさんあるからいらっしゃいよ。」と言われて倉庫に行ってみたら、
新品同様のピンクの洗灌機があった。

1時間で叶ってしまった。何でも叶う。



このほかにも多くの例が紹介されていますが
このご指導を読み、まず思いましたこと。

○○を入手できたとか、そういうことは信心の究極の目的ではないはずだと。
もっとその他に眼を向けるべきではないかと。


そして、その次に思いましたこと。

ご指導を読み、それを他者に告げる。
「すごいよね!」と、それだけで終わって良いのかと。


さらに思いましたこと。

河合師範は、何故にこのように多くの例を紹介なさったのだろうと。



ご指導はさらに続きます。


何でも叶う。これが普通。

それを聞いた婦人部の幹部が「私も祈ろう!」と100項目祈りだしたら
どんどん叶い、「あれ?祈りって叶うんだ。」と言っていた。



一緒にこのご指導を拝読した婦人部は
「○○が欲しいから祈る、ってちょっとねぇ」と言っていましたけれども
(要するに目的観が低いのでは?と言いたかったのでしょう)

けれど私は、自分が実際に体験を積んで、
それで初めて分かることもあるのではないかと思い
とにかく祈ってみようと決意いたしました。

他者の体験を読み「そんなことがあったんだ」と思うだけではなく
実際に自分で体験する、体験を掴み取ることも必要だと思ったのです。



7に続きます。



何のための功徳か(5)


この記事では、大学時代のこと、
そして結婚した後のことについて書いていきたいと思います。


・・・大学4年生の時のことだったと記憶しておりますが
ある日の夕刻、大事なものを紛失してしまったことに気付きます。

部屋の中で失くしてしまったのか、それともどこかに落としてしまったのか
皆目見当も付かない状態でして、非常に困ってしまったわけです。


今となりましてはそれが何だったか記憶も定かではないのですが
学生証、定期入れ・・・もしくは預金通帳だったかと。
とにかく悪用されては大変なものが入っておりました。

部屋の中をしらみつぶしに探しましたけれども見つからず。
いよいよもって「外で落としたか」と観念いたしました。


外で落としたとありましては万事休す。

大学から自分の下宿先まで1時間半あまりの道のりです。
途中、徒歩、バス、電車と、様々な場所を歩いておりますし
まずもって、どこに落としたか想像も付きませんでした。


悩んでいるばかりでは埒があきません。

打つ手があるのでしたら即行動に移しますけれども
その時点で、時刻は既に午後10時半(涙)。
女性が1人うろうろと、暗い夜道を当てなく探しまわるわけにもいきません。

・・・もう打つ手はありませんし、こうなったら題目だ、と。



ここで、またもや幼い頃からの思考方法が出て参りました。

「せっかく」このような状況に陥ったのだから
お題目あげてどんな結果が出るか見てみたいと。

このような考え方がよいのか悪いのか分かりませんでしたが
ただ悩むばかりでどうしよう、どうしようと狼狽えるよりも
とにかくお題目をあげてみようと思ったのです。


落としたかどうかも分からない状態です。
しかし落としているのでしたら、絶対に「良い人」に拾ってもらいたい。
悪用だけはされたくない。

こんなことになるくらいならもっと注意せよ、と自分を叱りつけたくもなり
また情けなくもなりました。
こんな馬鹿なことで祈っていいのかと自己嫌悪にも。
けれど、何もできない中、祈らずにはいられなかったわけです。



・・・そして翌朝、朝の7時過ぎでしたか
私の通う大学の職員の方からお電話を頂きました。

私の学籍番号を仰り、学部学科名も。
最後に私の名を確認なさり、「落ちていましたよ」と。

「なぁんだ、学内に落としたんだ!」と安堵する私をたしなめるかのように
「あんな所に落としてはいけません!」とつよく仰ったのです。
「悪用されたらどうするんですか!」と。


よくよく伺えば・・・落としていたのは大学内どころではなく
利用している駅の構内。

1日に10万人ほどの人々が利用する駅で
改札口でもなく、切符売り場でもなく、
広い駅構内のど真ん中に落ちていたそうなのです。

通勤途中の職員の方がたまたま気付き、中を開けてみますと
あろうことか、ご自分の勤務する大学の学生のもの。

それで、急いで我が家にお電話を下さったのでした。



・・・あんなに多くの、10万人近い人々の利用する駅構内に落とし、
それをたまたま拾ってくださったのが、大学の職員の方。

一体どんな確率なんだと、またもやお仏壇の前にて深くうなだれました。




6に続きます。



懐かしき母校


何のための功徳か(4)の続きを書きたいと思いつつ
仕事に追われ、なかなか書くこともできません。

次から次に用事、やるべき事が山積。
ともかくも目の前の山を崩し、
自身の体調管理をするだけで精一杯の日々です。



この秋、娘の志望している大学に行ってみましたが
今までその大学名を耳にすることはありましても
私自身あまり詳しいことも知りませず、感慨などは特にありません。

あらためて・・・懐かしい自身の母校に思いを馳せました。



ふと気付けば、自分も40代後半。
大学生でありましたのは、今から30年も昔のことになります。

もう一度、ゆっくりと思い出を噛みしめながら
懐かしい構内を歩きたいと願いますが・・・・
今のこの体調では、あの広いキャンパス内を歩き通すことは不可能でしょう。



本当に、美しい構内でした。







ぬくもり(2)


朝6時から(途中休憩を挟みつつ)このお昼まで仕事。

ずっとパソコンの画面を見つめておりますので
さすがに頭はぼーっとし、目が痛みます。



ぬくもり(1)からの続きです。


・・・異国での生活が長く、日本国内のことに詳しくはない友人。

友人が創価学会のことを全く知らないことにも、私自身驚いたのだけれど
さらに驚いたことには、友人が周りの人々に「創価学会って何?」と
さまざま聞いて回ったこと(笑)。

そして「あはは!」と笑いながら
「いろんな人に聞いたけど、創価学会って評判悪いんだね~!」と(^_^;)


友人からは「何で○○(浮舟の名)は創価学会に入ってるの?」
「何で学会を続けてるの?」と矢継ぎ早の質問。

その質問に対し、できる限り誠実に答えるよう努めた。

・・・答えながら、私が友人に遺してあげられるのは
かけがえのない友人としての思い出と、この信心なのではないかと。



一度だけ、友人が仕事のため、日本に一時帰国したことがある。

その時初めて顔を合わせることになったのだけれど
数時間の語らいが、本当にあっという間に感じられた。
あまりに短かった。

後になって、一緒に写真を撮れば良かった・・と悔やんだのだけれど
友人の笑顔は、私の心の深いところに今も在る。



友人とこれから先、再び逢うことが出来るのかどうか
それは分からない。

私が友人の住む国に行くことは叶わない。
友人も、これから先の人生をその国にて過ごすことになる。

「あの国のお葬式って信じられないよ。
 あんな見送られ方、されたくない」と語る友人の言葉に
あらためて、この人は・・・異国の地の人なのだと。




もしもこの先、友人と再び逢うことが出来なかったとしても
次の世でも、友人でいたいと切に願う。

別れ際、その想いを友人に告げ
友人も頷きながら こちらを見つめてくれた。


3年前の初冬、笑顔で「またね!」と言いながら 
それでも、もう逢えないことを思いながら別れた 駅の構内。


・・・その時の握手の温もりが
今も、こころに残っている。 



秋のみそらに



今年の秋の花々・・・・杜鵑も、金木犀も
たくさんの花を咲かせてくれました。

山々の樹々も、少しずつ色付き始めています。



  金木犀 輝くばかりに咲き出でて          
            秋のみそらに香しく立つ




季節は霜降。
これから少しずつ、秋も深まってゆくのでしょう。






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