生命科学技術を利用し、木材、石材、金属などの文化財の生物学的被害を予防し、紙類、繊維類のような有機質文化財の生物・科学的影響力に関する科学的研究を行っている。屋外にある石造文化財の損傷環境に関する合理的なコントロール方法を導き出すため、保存環境モニタリングも行っている。
木造文化財の保存状態、虫菌害など、加害原因別の被害状態調査・木造文化財の生物被害防止のための保存案を講じるため、生物被害の現地調査を行った。調査の結果、木造文化財の部材を害する昆虫としては、タバコシバンムシ、ヒラタキクイムシ、シロアリ、蜂類(クマバチ、アナバチなど)などがおり、そのほかにも木材腐朽菌や湿気による腐朽、亀裂・破損による損傷が発生した。
蜂による木部材の損傷
タバコシバンムシによる木部材の損傷
ヒラタキクイムシによる木部材の損傷
腐朽による木部材の損傷
群体除去システムとは、シロアリの行動特性を利用し、シロアリの群体全体を除去する方法。他の化学的方法に比べ、環境への影響がほとんどない。また周期的なモニタリングにより、周辺に分布するシロアリの建造物への侵入を未然に防ぐことができる。シロアリの誘引剤にシロアリが入るまでに3~6か月という長い期間を要するのが短所。
群体除去システムに関する実験研究
-場所:宗廟(2000年7月~2001年12月)
シロアリ群体除去システム
屋外にある石造文化財は、その地域の空気、地形、植生、水分環境など、周辺環境から複合的な影響を受けている。とくに、石造文化財は頑丈な材質の特性を持っているが、ほとんどが屋外に露出している状態なので、自然の風化と人為的損傷が進んでいるため、その保存対策は急を要する。現在、石窟庵、瑞山磨崖三尊仏像、泰安磨崖三尊仏像など、国家重要文化財の損傷と保存環境に対する中長期モニタリング分析に基づき、両者間の相関関係を科学的に究明し、環境制御方案を導出するため、保存環境調査を実施している。
石窟庵
石窟庵は、新羅景徳(キョンドク)王10年(751年)に金大城(キム・デソン)が国王の意味を敬って創建した寺。恵恭(ヒェゴン)王10年(774)に完成し、石仏寺(後に石窟庵に改称)と呼ばれていた。吐含山の中腹に、白色の花こう岩を使って人口の石窟を造り、内部に本尊仏である釈迦如来仏像を中心に、周囲の壁面に菩薩・弟子の像、天王像など全部で40体の仏像が彫刻されたが、現存するのは38体のみである。石窟庵は新羅仏教芸術の全盛期に造られた最高傑作であり、建築、数理、幾何学、宗教、芸術などが有機的に結合している。石窟庵は現在、国宝第24号に指定・管理されており、1995年12月、仏国寺と共にユネスコ世界文化遺産に登録された。
石窟庵保存のための管理・補修現況
石窟庵の損傷は、日韓併合(1910)を前後して日本の侵略が始まり、義兵の蜂起とそれを追う日本軍の作戦と遺物の略奪の過程で、石窟の前堂が崩壊し、石窟の天井部が壊れた。日本が石窟庵を最初に見つけたのはこの時で、当時の修理も、石窟の危機を取り除くための試みであった。数度にわたる補修が行われたが、結果的に石窟を本来の姿に戻せなくなり、日本はその原因を調査不足だとした。
1.植民地期の補修・管理状態
この時期の補修は、日本人により3度にわたって行われた。1933年、1945年には、蒸気を利用して青苔の除去を行った。
2.解放以降の管理状況
解放以降、社会的混乱と戦乱が続き、石窟庵への保存対策はほとんど行われず、放置されていた。石窟内の汚染がひどくなったため、1957年には洗浄作業が行われた。石窟庵の保存に対する関心と懸念が高まり、1958年から1961年にかけて補修工事調査審議会による補修のための調査が行われた。1961年から1964年まで前室を拡張して木造建物を設置し、石窟の壁を二重のドームに作り替えて防水処理する第4次工事が大々的に行われた。だがその後も結露現象はとまらず、前室に入口を設置して空調機器を設置し、1976年~1977年にはガラスの壁を設置して内部照明を改善した。また前面の基壇を拡張して観覧客の出入に制限をかけるなど、補修が一部行われた。
3.石窟庵石窟の保存環境
石造物表面の結露現象など、石窟内部の湿気のために問題が生じたので、1966年から空気調和設備を設け、石窟内の温度と湿度を一定に保った環境を整えている。今まで、10年に一度設備を交換しており、2005年に交換した現在稼働中の空調機器は石窟内部の環境を制御している。
保存環境調査
石窟庵の保存環境モニタリングの現状
遠隔モニタリングシステム