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島倉さん 歌に託した波乱の人生
2013年11月10日 11時00分

本紙のインタビューに大いに語った島倉さん(1976年12月)

【団塊記者の取材回顧録】“お千代さん”こと島倉千代子さん(享年75)が1976年12月14日、本紙のインタビューに歌手生活について大いに語ったことがあった。当時38歳。

 55年、16歳のときに「この世の花」で歌手デビューして22年目。前年に「レコーディング1000曲」という歌謡史に残る記録を樹立した(最終的には約2000曲といわれる)。

「やっとひと区切りがついたという感じです。(美空)ひばり先輩の記録に早く追いつきたいという気持ちで、これからも声の出る限り、2000曲から3000曲と歌い続けたいなと思っています」と笑顔になった。

 そしてこの年のNHK「紅白歌合戦」に20回目の出場が決まり、フランク永井さんと並んで当時の最多出場歌手となった(57年の初出場から86年まで30回連続出場の記録を持つ通算35回の出場で、北島三郎らに次ぐ歴代6位タイ)。

「初めて紅白の舞台に上がったときのことは今でも覚えています。別にアガらなかったけど、とってもうれしかったので、はしゃいでねえ。今では年々緊張の度合いが深くなっていくんです」

 58年にのどを痛めてから、夜10時以降の仕事はしない。紅白は特別で毎年12月28日から3日間、休みを取り、声がベストの状態で出るようにコンディションを整える。

「この3日間は生活のサイクルを紅白に合わせます。寝る時間を変更しまして、声を滑らかに出す練習をするんです。ひっくり返った声が出たら視聴者に失礼ですものね」

 プロ根性は徹底していた。「一曲入魂」。ステージの上で涙を流し「泣き節」ともいわれた。

「泣けといわれても涙なんて出るもんじゃないですよ。ムードなんです。心と心が結ばれて歌に乗り移った時…そう、乗り移ったときに泣けちゃうんです」

 私生活は波瀾万丈だった。6歳で太平洋戦争のため東京から長野に疎開したとき、転倒して水が入った瓶を割って左手首からヒジまで47針も縫う大けがをした。「ほらこんなに」と着物のそでをまくった。傷跡が生々しい。「だからマイクも左手で持てないの。テレビだと傷が映っちゃうでしょ」

 数億円の借金を抱えた問題もあった。「私は6歳のときに一度死んだと思っているんです。ですから何があっても、ここまでで済んでよかったな、助かったなと思っているんです」。悟りを開いたような優しい表情になった。

「結局、歌があったからでしょうね。何もなかったら耐えられないけど、いつも歌がありましたもの」「最近はよく笑うし、明るく生きていきたいんです」。まさに“人生いろいろ”。波乱に富んだ人生経験を歌に託して“昭和の歌姫”として一世を風靡した。





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