「人生いろいろ」など数々のヒット曲で知られ、歌謡界を代表する歌手として活躍した島倉千代子さんが肝臓がんのため、8日午後0時半、都内の病院で死去した。75歳だった。華やかな芸能人生の裏で、男運には恵まれず、多額の借金に苦しめられる波瀾万丈の人生を送った。苦しいことも多かったが、決して笑顔を絶やすことなく、生涯プロの歌手としての誇りを貫き通した。
1993年に乳がんを患ったとき、見事に病魔に打ち勝ち復帰した島倉さんだったが、今度ばかりは力尽きた。
肝臓がんと診断されたのは3年前で、今年に入って肝硬変を併発。6月から入院し、10月中旬ごろに一時退院したものの、今月6日に容体が急変したという。今年3月30日の75歳の誕生日に行われたイベント「コロムビア大行進2013」に出演し、元気な姿を見せていたが、秋ごろから体調を崩したという。
島倉さんを知る音楽関係者は「9月ごろから、近い人も島倉さんと連絡が取れなくなっており、みんな心配していました。そして迎えた死…悲しいし驚いています」。
島倉さんは「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」がそれぞれ100万枚を超える大ヒットとなり、「NHK紅白歌合戦」に通算35回も出場するなど、まさに演歌歌手として“王道”を歩んできた。だがその裏では、常に男性、借金に苦しめられてきた。
島倉さんは63年に家族の反対を押し切り、元阪神タイガースの藤本勝巳氏(76)と結婚。だが結婚生活はうまくいかず、5年後には離婚した。「藤本さんと別れた後にはマネジャーと付き合ったりしましたが、幸せになることはできなかった。男運には最後まで恵まれることはなかった」と前出の関係者。
それ以上に島倉さんを苦しめたのは借金だ。知人に頼まれて実印を貸してしまい、本人の知らない間にその知人だけではなく、マネジャーらの連帯保証人にされた揚げ句、16億円もの借金を背負うはめとなってしまった。当時を知る関係者は「借金の額はそれ以上あったという話です。当時、借金取りに尾行されたり、監禁されたりしたこともあった。ついには『台湾に売り飛ばす』という話まで持ち上がり、その寸前まで行きました」と衝撃の事実を明かした。
借金取りから逃れるために、夜逃げをしたこともあった。彼女を知る人物は「目を疑いましたね。島倉さんに招かれて伺った自宅はとても芸能人が住むような家ではありませんでした。質素な家の中は段ボールだらけで、家具などはなく、必要なモノは段ボールから取り出していました。本人には言いませんでしたが、夜逃げした直後なのだと理解しました」と明かす。そんな状況でも島倉さんは笑顔で“客人”にコーヒーを出したという。
同じレコード会社だった故美空ひばりさん(享年52)とは姉妹のように親しかったが、借金の相談は「どんなに苦しくてもあえてしなかったようだ」と芸能リポーターの石川敏男氏(66)。
ドン底の島倉さんを救ったのが、所属レコード会社で当時制作部長を務めていたN氏だった。「N氏はもともと資産家で、見かねて彼女の借金の一部を肩代わりしたんです。島倉さんにとっては恩人の中の恩人ですよ」(石川氏)
だが、その後もさらに、またまた連帯保証人になってしまい、判明しているだけで2億4000万円の借金を背負わされたという。こうした借金はすべて返済したというのが定説だが、今年島倉さんと会ったという関係者は「島倉さんは『まだまだ苦しいのよ…』と漏らしていました。いまだに借金に苦しめられていたのかもしれません」と明かす。
男に借金を背負わされてきた島倉さんだが「私の選んだ道だから…」と決して恨み節は口にせず、常に明るく振る舞ってきたという。レコード会社関係者も「現場とかで島倉さんと会うと、いつも気さくで優しい人だった。スターぶることもなかった」と島倉さんの素顔を証言した。
どんなに苦しいことがあっても島倉さんが決して譲らなかったもの――それは歌だった。「誰もが知るヒット曲がある大物歌手でも、体調が悪くて声が出ない時は口パクで乗り切ったりするのですが、島倉さんはたとえ40度の熱があろうと絶対に自分の声で歌い通した。それが歌手としての、島倉さんの誇りだったのです」と音楽関係者。
まさに「人生いろいろ」とも言うべき波瀾万丈の人生。それをいつも笑顔で乗り越えてきた島倉さんの死に、日本中が悲しみに暮れている。
☆しまくら・ちよこ=1938年3月30日、東京都生まれ。54年に「コロムビア全国歌謡コンクール」で優勝し、55年に同名の映画の主題歌「この世の花」でデビュー。57年の「東京だョおっ母さん」が大ヒットし「NHK紅白歌合戦」に初出場。その後、紅白には30回連続を含む通算35回出場した。私生活では63年、阪神タイガースの藤本勝巳選手と結婚したが68年に離婚。何度も金銭トラブルに巻き込まれるなど波瀾万丈だった。代表曲は「からたち日記」(58年)、「人生いろいろ」(87年)など多数。
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