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【憲法と、】

番外編 司法 独立してこそ

伊達判決を書いた松本一郎(左)と54年ぶりに会って語り合う土屋源太郎(右)=東京都北区で

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 一九五九年、「米軍駐留は憲法九条違反」として、旧東京都砂川町(現立川市)の基地闘争で逮捕された学生らを無罪にした東京地裁の「伊達判決」。元被告の土屋源太郎(79)=静岡市=は十月中旬、判決を伊達秋雄裁判長(故人)とともに書いた元裁判官、松本一郎(82)を訪ねた。近年、判決を破棄した最高裁長官が事前に米国側と接触したことが判明。五十四年ぶりの対面は、戦争放棄や司法の独立という憲法の理念を再確認する場となった。 (大平樹)

 「はじめまして、だか、ごぶさたしてますだか。あの時はお世話になりました」。東京都北区の松本宅で、土屋が頭を下げた。砂川闘争でドキュメンタリー映画を撮った監督の仲介で実現した対面。法廷外で被告と会うのは初めてという松本は「申し訳ないような気もするが、無罪判決だからいいでしょう」と笑って応じた。

 「改憲派の言い分は米国べったりで日本がステイツ(州)の一つになりかかっていると感じていた」。本紙連載「憲法と、」(四月二十日付)で、判決当時を振り返った松本。この日も伊達が胸に辞表を忍ばせていたことなど判決に至る経緯を約一時間にわたって土屋に伝えた。

 最高裁で有罪が確定後、働き始めた土屋は、元被告だということは胸にしまって生きてきた。基地問題も時折、集会に呼ばれれば顔を出す程度だった。

 しかし二〇〇八年以降、複数の米公文書から、当時最高裁長官だった故田中耕太郎が、米大使側に判決の見通しを伝えていた事実が明らかになった。

 その時の衝撃を、切々と語りかけた。「このまま黙って放置したら、伊達判決の意義までなくしてしまうと思った」「憲法は、国民の人権を守り、権力を規制するもののはず」。司法の独立が憲法で保障されているのは、時の政権にも物を言えるよう、政治判断からの影響を排除するためだ。なのに、自分たちの有罪判決が、米国への配慮で導き出されたのだとしたら−。

 〇九年、元被告の仲間らと「伊達判決を生かす会」を結成。田中長官の行動記録などを開示するよう関係省庁に求めているが、回答期限が延長されているものもあり、今のところ目立った成果はない。最高裁にも、裁判官の行動倫理を定めたガイドラインがあるのか開示を求めている。

 国会で審議が始まった特定秘密保護法案。成立したら、こうした情報が開示されないどころか、事実を解明しようとするだけで罰せられる可能性もあると懸念する。「そんな法律は絶対、成立させてはならない」

 土屋の話を黙って聞いていた松本は、再び伊達判決に注目が集まっていることについて「死んだ子が目覚めたようだ」と話した。

 最高裁が全員一致で伊達判決を破棄したことに絶望し、数年後に職を辞した松本。半世紀たって明るみに出た裏のからくりに憤っている。「事前に判決を漏らすなんて、裁判官として考えられない。田中さんは裁判官ではなく政治家だった」

 松本との対談を終えた土屋は「今後の運動に励ましをもらった」と意を新たにしている。「米側の意向をくんで判決を出すなんて、二度と繰り返してはいけないことだ。そのためにも真実を明らかにしなければ」 =敬称略

<伊達判決> 1957年に東京都砂川町の米軍基地内に無断で立ち入ったとして、刑事特別法違反の罪に問われた土屋ら7人全員に、米軍基地が憲法9条に違反するとして、伊達秋雄裁判長が無罪を言い渡した一審判決。検察側の跳躍上告を受けた最高裁は「日米安保条約は高度な政治性を有し」ていることから、司法審査の対象外として地裁に差し戻し、土屋らは罰金2000円の刑を受けた。米側の公文書によると、田中長官は公判直前に米大使館のレンハート首席公使と会い、全員一致で伊達判決破棄を目指すことなどを伝えていた。

 

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