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速報

島倉千代子さん、安らかに…75歳肝臓がん死去

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本紙インタビューで、おちゃめなポーズをとる島倉千代子さん
2004年の紅白歌合戦で「人生いろいろ」を歌う島倉千代子さん

 「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」など数多くのヒットで知られる歌手の島倉千代子(しまくら・ちよこ)さんが8日午後0時30分、肝臓がんのため都内の病院で死去した。75歳だった。1955年にデビューし、NHK紅白歌合戦に連続30回出場するなど昭和を代表する歌手として活躍。私生活では離婚や事故、多額の借金や乳がんなど、辛酸をなめてきたが歌を捨てることはなく、今春もイベントで元気な歌声を披露していた。葬儀・告別式は14日午後1時から青山葬儀所で営まれる。

 「日本人の心」を歌い、昭和の歌謡史に大きな足跡を残した島倉さんが、栄光と波乱の生涯を静かに閉じた。

 所属レコード会社の日本コロムビアによると、肝臓がんは2010年に見つかり、今年に入って肝硬変を発症。6月に入院し、10月中旬には退院したが、今月6日早朝に体調が悪化し再入院。この日朝に容体が急変し、家族がいない島倉さんは、女性スタッフと友人にみとられ、苦しむことなく息を引き取ったという。

 病名を告知されていたが、ごくわずかのスタッフ以外には知らせずステージに立ち続けた。のどに影響が出ないように、冠状動脈塞栓術という手術を11年2月、8月、昨年5月と計3度受けた。今年9月頃には、通夜は身内だけで行い「島倉千代子としてみなさんとお別れしたい」との思いから、香典は受け取らないようスタッフに指示した。

 75歳の誕生日となった3月30日には体調の悪化を隠してイベントで歌声を披露。6月21日、宮崎・延岡市での「夢コンサート」に入院中の病院から駆け付けたのが最後のステージとなった。また来年の60周年に向けて喜多條忠さん作詞、南こうせつ作曲の新曲「からたちの小径」を制作。先月、自宅に録音機材を持ち込み、最後の力を振り絞って歌声を吹き込んだ。

 東京・品川生まれの島倉さんは、高校在学中にコンクールで優勝し、55年のデビュー曲「この世の花」が大ヒット。57年に「東京だョ―」のヒットで同年のNHK紅白歌合戦に初出場して以降、先輩の美空ひばりさんと共にコロムビアの看板歌手としてヒット曲を連発し、86年まで30年連続で紅白に出場した。美空さんが迫力で聴かせたのに対し、“泣き節”と呼ばれ、哀感あふれるささやくように歌った。

 私生活は波乱万丈だった。63年に阪神の人気選手、藤本勝巳さんと結婚したが、6年後に離婚。62年にはファンが投げたテープで両目を負傷し失明の危機に。77年には不動産会社の倒産問題に巻き込まれるなど、複数の金銭トラブルで15億円もの借金を抱えた。

 それでも歌い続けた。80年代後半、コロッケや山田邦子らのものまねで若年層にも知られるようになると87年には「人生いろいろ」で再ブレーク。88年には紅白に返り咲いた。小泉純一郎元首相が国会の答弁で「人生いろいろ 会社もいろいろ 社員もいろいろ」と発言したのは、国民的歌手の証しだ。

 99年に紫綬褒章を受けたとき「歌が生きがいだったから続けてこられた。命ある限り、声が出る限り、歌い続けていきたい」と話していた。島倉千代子としてステージに立ってから58年。歌にすべてをささげた人生だった。

 ◆葬儀日程
  ▼葬儀・告別式
  ▽11月14日午後1時
  ▽東京都青山葬儀所
  ▽葬儀委員長 原康晴・日本コロムビア株式会社代表取締役社長

 ◆島倉 千代子(しまくら・ちよこ)本名同じ。1938年3月30日、東京・北品川生まれ。54年、第5回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、翌年に「この世の花」でデビュー。57年にNHK紅白歌合戦に初出場し、通算35回出場。63年に阪神の藤本勝巳選手と結婚、69年に離婚。87年に「人生いろいろ」が大ヒット。99年に紫綬褒章を受章。ほかに代表曲は「東京だョおっ母さん」「からたち日記」「鳳仙花」など。

特集   訃報・おくやみ

[2013/11/9-06:00 スポーツ報知]


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