一気に読んだ。実に感動的な本だった。勇気のある本だと思った。なかなか出来ることではない。自分の過去について、失敗について書く時、これほど赤裸々に、素直に書けるものではない。必ず自己弁護が入り、自己を正当化する。誰かのせいにしたり、運命のせいにする。いや、そう思いたいが為に本を書く。そういう人が多い。他人の事は言えない。私だってそうだ。
ところが、この本には、そうした「責任転嫁」も「自己正当化」もない。かえってキツかっただろう。自分を追いつめ、見つめる。脱出路はない。なんせ、10代後半で交通事故を起こし、友人を死なせる。自責の念から自殺ばかりを考える。さらに、再び、交通事故を起こす。そして交通刑務所に入れられる。その、「地獄の日々」のことを書く。
よく書いたものだと思う。普通なら書かない。書いたとしても、「若い時には無茶をして、失敗したこともあるが、それを乗り越えて、今はこんなに幸せだ」と、サラリと書くだろう。事故のことだって、あれこれと理由をつけて、「自分のせいではない」「巻き込まれたのだ」「自分も被害者だ」と書くだろう。その方が楽だ。そう書くことによって、自分が「救われる」。そう思う。
でも、この本は違う。そんな安易な「救い」に逃げ込まない。全ては自分の責任だと、引き受ける。そして、事故のことも、自分の今までの歩みも赤裸々に、正直に書く。そして、その先の「大いなる光」について書く。とても出来ることではない。
それに、著者は、「一般の人」ではない。多くの人々から仰ぎ見られる「聖家族」の一員として生まれ、愛と祝福の中で育ち、その教団のトップに立つことが約束された人なのだ。エリート中のエリートだ。
「生長の家」の初代総裁・谷口雅春先生のお孫さんだ。谷口貴康さんだ。お父さんは谷口清超先生(「生長の家」2代目総裁)だ。
谷口貴康さんが最近書いた本、『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)が、その「勇気ある本」だ。
「谷口貴康さん」と書いて、ちょっと躊躇した。本来ならば、「貴康先生」と書かなければならない。実際、交通事故のあとも、ずっと「生長の家」本部の先生だったし、その時なら私も、「貴康さん」とは呼べなかった。今は、大きな決断のもと、本部を辞め、長崎で整体治療院をやっている。いわば、「普通の人」になった。だから、縁あって、私のような人間でもお会い出来るし、お話し出来る。将軍家の若殿様でありながら、庶民と一緒に生活している「暴れん坊将軍」のような人だ。そんな気がする。
この本は平成22年4月5日発売だ。書店に出る前に、3月末に送ってくれた。驚いた。こんな大変な苦労をされたのか。自殺まで考えていたのか。さらに、それを全て書いている。何もそこまで書かなくても。そこまで自分を苛めなくても…と思った。
そして、「自傳篇」のようだと思った。谷口雅春先生の書かれた『生命の実相』(全40巻)は、「生長の家」の聖典だ。大ベストセラーだ。この第19巻、20巻が「自傳篇」だ。雅春先生の自伝だ。しかし、世の宗教者のように、「苦労しながらも道を求めて清く正しく生き、そして神の啓示を受けた」という、きれいなサクセスストーリーではない。失敗に次ぐ失敗の連続だし、女性関係の過ちも赤裸々に書く。実に人間的だ。先生は早稲田に入り、勉強するが、かわいそうな女性に同情し、大学を中退する。本当の恋なのか。ただの同情なのか。あるいは文学的に、「恋に恋した」のか。さらに、もっと、どろどろした展開は続く。さらに道を求めて、さまよい、大本教に入る。そこでも大変な苦労をして…。と「生長の家」をつくるまでは、山あり谷ありで、平坦な道は一つもない。
これは、尾崎士郎の『人生劇場』のようでもあり、五木寛之の『青春の門』のようでもある。早稲田に入り、社会問題、政治問題に目覚め、悩み、闘い、女性問題にも葛藤する。雅春先生のこの「自傳篇」だけでも独立して、どこかの文庫として出したらいいのに。と私は思っている。「自傳篇」は『生命の実相』に入っているおかげで、多くの人に読まれた。『生命の実相』全40巻で2千万部近くが売れている。とすると、19、20巻の「自傳篇」で100万部近く出てることになる。しかし、〈聖典〉にされてることによって、かえって一般の人には縁遠くなってる面もある。これは勿体ないと思う。だから、独立して、どこかの文庫にしたらいいではないか。そう言ってるのだ。これだけで屹立した〈文学〉だ。
谷口貴康さんの『一寸先に光は待っていた』も、まさに「自傳篇」だ。そう思った。「はじめに」で書いてるが、去年の5月、『劇団四季』のミュージカル「春のめざめ」を見た。ピストルをくわえ、自殺しようというモリッツを見て、思わず舞台に駆け上がって止めたい衝動に駆られた。
〈なぜならば私自身も十代の頃に大変な事件を起こし、友達の死に直面して夜も昼も自殺ばかりを考えていた過去があったからだ〉
〈私であれば゛彼の傍(かたわ)らに寄り添い自分自身の「自殺を取りやめ生きた」体験をそのまま包み隠さず語って聞かせるしか無いのかも知れない。失敗と挫折を繰り返し「恥多き人生」をおくってきた私の“生き続けてきた意味”がつけられ、大きな失敗に直面して困難な状態にあった時に学び取ってきた「コトバ」を伝える“役割”がまことに勝手ながら自分にあるのではないかと思い立ち、二十年以上も前に断片的に書きためていた「自分史」をまとめてみようと思った〉
本当に苦しかっただろう。辛かっただろう。死んだ人に申し訳ない。それに、周りの人に大変な迷惑をかけてしまった、という悔恨と自責の念。それに、何百万という信徒から仰ぎ見られる「聖家族」の一員だ。その一員が、こんな事を起こすはずがない。ありえない。あってはいけない。「それなのに…」と思ったことだろう。
事故の瞬間、ハッと気が付き、事態が信じられない。「そんな馬鹿な。嘘だろう。これは夢だよな」と思う。おい、夢だよな。早く醒めてくれよ、と思う。でも、醒めない。夢ではない。「そんな馬鹿な! 夢であってくれ!」と絶叫したことだろう。貴康さんのその気持ちが分かる。だって、私も、事故の瞬間、そう思ったからだ。これからは、私のことだ。初めての告白だ。
その時、私は急いでいた。信号は青から黄に変わろうとしていた。右にハンドルを切った。勿論、左右は確認した。しかし、右は、なだらかな坂になっていた。そして、バイクは「死角」に入っていた。全く気が付かなかった。右に大きく曲がり直線車線に入ったと思った時、「ボーン」という大きな音がした。そして目の前に、信じられない光景が現れた。バイクに乗った若者が、大きく弧を描いて、宙を飛んでいた。それも映画のスローモーションのように、ゆっくり、ゆっくりと宙を飛び、そして、グシャッと嫌な音を立てて、地面に叩きつけられた。
信じられなかった。こんなこと、現実に起きるはずはない。夢だ。俺は夢を見てるんだ、と思った。呆然としていた。人が集まってきた。誰かが110番をしたらしい。パトカーが来る。救急車が来る。それでも〈現実〉だと信じられなかった。
警察に連れて行かれ、朝まで、取り調べられた。しかし逮捕はされなかった。信号無視でもないし、スピードの出し過ぎでもない。ただ、死角とはいえ、注意不十分だ。そして、バイクは大破。青年はピクリとも動かない。死んだのかな。俺は人殺しになったのか、と思った。
後で聞いたが、腕を折ったが、助かった。ホッとした。取り調べが終わって病院にかけつけた。ひたすら謝った。保険で全て払った。「保険だけでは足りない。新しいバイクを買ってくれ」と言われ、そのお金を出した。見舞金も払った。「自分はミュージシャンをやっている。元気なら1日、これだけ稼げる。今は、腕を折ってこうやって吊っているから、出来ない。その賠償と、休んでる間の仕事と生活保障をしてくれ」と言われて、ともかく、言われるままに払った。相当の金を払った。
警察は、「事故だし、お互いに不注意だったんだ。そこまでやることはない」と言ってくれた。しかし、こっちが撥ねたんだ。責任は全て自分にあると思った。そのうち「要求」はエスカレートする。「もっと出せ」「これじゃ足りない」という。そして凄いことを口走った。私のことを、ただのサラリーマンと思ったのだろう。
「俺の知り合いに右翼団体の人がいる。ちょっと恐い人だ。その人が交渉を代わって、大金を取ってやる、と言ってる」。
これには内心苦笑した。「じゃ、出て来てもらおうか」と、よほど言おうかと思ったがやめた。「何も、そんな恐い人に相談しなくてもいいでしょう。出来るだけのことは誠意をもってやりますから」と必死に頼んだ。そして、時間はかかったが、何とか解決した。
「あの瞬間」は、事故を起こした人間でなくては分からない。「現実のはずがない」「嘘だろう」「夢だろう」と、必死に自分に言い聞かせていた。あの時のことを今でも思い出す。
貴康さんは、私とは違い、もっと大きな事故だ。それも二度も起こす。そして交通刑務所に入る。「夢であってくれ!」「時間よ戻れ!」と叫んだことだろう。
ちょっと話を変える。百才を超えた人が、テレビで、「長寿の秘密」を聞かれていた。「好き嫌いなく何でも食べる」とか、「体をよく動かす」という。さらにこう言っていた。
「過ぎ去ったことを、クヨクヨと考えない」
うーん、これは真理だと思った。
又、別な人は、同じことを、こう表現していた。
「反省はしても、後悔はしない」
これも深い言葉だ。
「反省は、明日につながる。自分はここが弱いから、ここを直して、強くして、明日から頑張ろう。と、「前向き」だ。
ところが、「後悔」には、「明日」がない。「あの時、ああしていれば」「あの時、何故、あんな馬鹿なことをしたんだろう」と、繰り言、愚痴ばかりだ。余りに大きな痛手で、もう立ち上がれない。「明日」がないのだ。
変な表現だが、死刑囚の「後悔」もそうだ。確かに、自分がやったんだ。死刑を宣告された。もう助からない。それにしても、何故、あんなことをしたのか。何故、殺してしまったのか。ちょっと考えたら分かるじゃないか。あんな所に包丁があったのが悪い。こっちは金を盗んだだけだ。それなのにあいつが追っかけてくるから、必死で逃げようとした。私は追い払おうとして包丁を振り回しただけだ。いや、あの時、観念して逃げなければよかったのだ。…と、考える。今さら考えても仕方のないことを考える。何度も何度も。それも朝から晩まで考える。これは地獄だ。
他人のせいには出来ない。全ては自分の責任だ。明日につながる「反省」ではない。明日のない「後悔」だけが、毎日毎日、繰り返される。
貴康さんも、そうだったのだろう。そんな絶望的な状況の中で、『生命の実相』を読む。そして、〈光〉を見出す。「一寸先は闇」という諺があるが、そうではない。「一寸先は光」だった。諺や常識を破るのが〈宗教〉なのだ。そして雅春先生、清超先生の大いなる愛を感じる。雅春先生の手紙も感動的だ。
「貴康君を愛する詩」と題し、
「わがいとしき孫よ
貴康君よ。
君がせめて執行猶予になって貰いたいと思って努力してみたけれども
横川裁判長の前には効果がなかった」
…と始まる。
初めて公表する手紙だろう。「生長の家」総裁として、又、可愛い孫を持ち、その刑を心配する祖父としての愛情あふれる手紙だ。こんな手紙をもらえるなんて世界中で唯1人だ。
途中、こういう箇所がある。
「君のは過去にせよ、二度にわたって
交通事故を起こして
一人は殺し、数人に重傷を負わせて
二度交通事故を繰り返しているところに、
このまま釈放してしまったら
人生はヘイチャラだと、
君は人生を甘く見て
静思して、じっと内省してみなければならぬ時に
また雑踏の中にとび出して
静思の機会を失ってしまうと君は
一生涯を台なしにしてしまうかも知れない。
今は、君を監房の中に静思させて
真理の書を読み、何を為すべきかを
反省させるのが生涯の事を考えると君の為だと、
裁判長は、こう思って判決を下したのだと私は思う。
君は失望することはない
君の父も、君の母も、
祖父も、祖母も君を愛している。
実刑を課せられようと
執行猶予になろうと
君を愛する感情の深さはかわらないのだ
変わらないどころか
一層いとしくなって抱きしめたい感じがする
感動的な手紙だ。こんな手紙をもらえるなんて貴康さんは世界一の幸せ者ものだ。99匹の羊は放っておいても、迷える一匹の羊を探しに行ったイエス・キリスト。その姿を見るようだ。
この本にはさらに、子供時代からの腕白な話。男気の話。勉強の話…と、いろいろ出ている。小学生の時から、本を読むのが好きで、学校の図書カードの利用はいつも学年トップの人と競っていた、という。
シートン、ファーブル、ホームズ、ルパンそして戦国時代から明治維新の頃までの歴史物や戦記物が特に好きだったという。
〈6年生で『徳川家康』を全巻読破して先生に褒められた〉
とある。
小学6年といえば12才か。ゲッ!スゲー。私なんて『徳川家康』を全巻読んだのは46才の時だよ。それも警察に捕まって23日間、勾留されていた時に読んだ。前に入ってた人が置いていったんだ。20巻以上あったな。家康は子供の頃、今川家の人質だった。囚われ人だった。「あっ、俺と同じだ」と思いながら勾留中の私は感情移入して読んだ。
そのことは最近出した『鈴木邦男の読書術』(彩流社)にも書いた。貴康さんにも送ったので、きっと、そこを読んで、「何だ46才で読んだのか。勝った!」と思っていることでしょう。
貴康さんのこの本は2部構成になっている。
どちらも素晴らしい。第1部の「失敗」の体験があるからこそ、光を有難く感じられるのだ。ワイルドは言う。「悔い改められたる罪ほど世に美しきものは無し」。「失敗」の連続だったからこそ、雅春先生のお言葉が身にしみて分かるのだろう。
「失敗の遍歴」か。これだけ「失敗」を赤裸々に書き、見つめるのは本当に勇気がいる。「失敗学」だ。私の知り合いで、右翼に目覚めて以来失敗の連続で、ヤケになって、『失敗の愛国心』という本を書いた人がいた。でも、まだ反省が足りない。絶望が足りない。貴康さんに比べたら、中途半端だ。私は、そう思いましたね。
『失敗の愛国心』男は高校で教師を殴って退学になったが、私憤だ。貴康さんは中学2年で、公憤で青山学院を退学している。偉い。1970年の三島事件の時だった。でも、学校では、教師も生徒も、そのことをチャカし、笑いものにしている。黒板には、「右翼三島のカッコツケふざけんな」と書かれていて、皆が騒いでいる。
「実は、その当時、姉の婚約者が『楯の会』に入っていたこともあり、三島由紀夫がすでに割腹自決したことを家のテレビで知っている私は怒りが頂点に達した」
「おいカッコウ付けて腹を切れるのか、テメーふざけんじゃねえよ」
と黒板消しを投げつけ、「おい!谷口…」と言う教師の声を背に教室を飛び出し外のロッカーを蹴り上げた。それっきり、青山学院には行かなかった。
おお、立派だ。偉い。ついでに教師も殴っちゃえばよかったのに…。いかんな。それでは『失敗の愛国心』になっちゃう。
そのあとは、何とか玉川学園に入り…と、これからが又、波瀾万丈だ。「自傳篇」の中の「青春篇」だ。これから「再起篇」「壮年篇」と始まるのだろう。楽しみだ。皆さんも是非、読んでみたらいい。
〈混乱した世界に住む「現在のおとな」を叱る〉
と書いた。いい本です。ぜひ、読んでみて下さい。
〈新右翼の重鎮と元刑事が明かす右翼と公安、その攻防の最前線!
右翼組織の謎、公安捜査官の覚悟…。
命を懸けた者たちの暗闘の実態が明かされる〉
と、本の帯には書かれています。この言葉に嘘はありません。ともかく、北芝さんの話が凄かった。こりゃ、出せないよ!と思いましたが…。
②そのお孫さんの貴康さんが書いた本です。こんな赤ちゃんに書けるのでしょうか。書けるのです。天才です。でも、よく見たら、①の写真は昭和30年頃だそうです。とすると、この赤ちゃんは今は50才位でしょうか。『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)です。
⑤4月10日(土)午後1時より、ネーキッドロフト。「塩見孝也ラスト・トーク」より。4月24日(土)に「生前葬」をやる。その後は会えない。だから、その前に、「言い残したこと」を言いたいと。だから、開いてあげました。椎野礼仁さん(司会)、平野悠さん、塩見孝也さん、私(介錯人)。
⑫3月26日(金)、27日(土)、阿佐ヶ谷ロフトで劇団再生のお芝居『演劇機関説・空の編』が上演されました。芝居の前に「劇団再生」代表の高木尋士さんと私がトークをしました。この写真は27日(土)の打ち上げの時です。左から2人目が高木氏です。女優さん達に捕縛されてるのが私です。
⑮「iPhone」に替えました。何と、ピストルにもなるんです。ピストルの絵が出て、引き金を引くと「バーン!」と大きな音がして、弾が飛び出すのです。(「弾が飛び出す」はなかったかな。私の夢です)。それで、ロフトにいる客を全員撃ち殺してやりました。最近、「月蝕歌劇団」の「津山30人殺し」を見たので、乗り移ったんですわ。決起者の魂が。そんで、殺しまくりました。「ロフト30人殺し」ですわ。