ブルーニ神父が教会報9月号で書いた信徒イジメの理由。
下記は黒崎教会の教会報9月号に掲載されていたブルーニの文章です。
教会報にこんなことを書く方を神父としてより、人として許せません。
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福音宣教の辛さと喜び
9月に一ケ月の間、私の宣教会の勧めで、小教区の仕事から放れることになりますから、これが皆さんと一緒にすごした2年間を評価するための適切な時間になっていると思います。
ですからここでいくつかの評価のためのポイントを強調したいと思います。
2009年の12月に、私がイタリアでの修道院で、聖ベネディクトの戒律に従って祈りと仕事に努めていたうちに、福岡の司教様から黒崎と天神町教会の主任として任命され、復活祭の前にその役割を始めるようにという手紙をいただきました。
宣教師ですから、どこでも福音宣教のために遣わされたら喜んでいくということになりますが、その呼びかけを神の声として受け入れて、兄弟としてこの二つの共同体と共に歩こうと思いました。
喜びと希望を感じながら、心配の理由も現れました。
“信徒の方々は自分たちの権利についてよく話します”とか“信徒たちは自分たちで何でもする”とかという言葉を聞いて、具体的にどういう意味でしょうかという疑問を感じました。そして、兵庫県で70・80年代にJOCと協力して、最終的にJOCからとられた方向性と賛成ができなくて離れた私が、北九州でJOCの中で育てられた信者と正しい関係を実現することができるかどうかという心配を感じました。
2010年3月12日に日本に戻って、14日に司教様は黒崎と天神町の主任司祭として任命しました。その日に、司教様は、“みんなを正しい信仰のうちに育ててください”ということばを述べました。
任命されたばかりの時に、べリオン神父様と話し合うことができ、わたしは、その中でどんな状態と直面しても会話のうちに解決を探すということを言いました。
あいにく、現実を知るようになって大勢の方々は、目立たないうちに教会の中で働いていましたけれども、教会の役割を果たしていた人々の中で司教に対しても司祭に対しても不信頼の状態があって、会話が非常に難しいということを感じました。当たり前のこととして、共同体全体が信仰の養成 ― 子供、青年、大人 ― のために尽くしていたと思いましたが、実際にそれぞれのグループがあって、共同体として優先しなければならないポイントが見えない状態でした。
会話が好まれていないということだけではなく、私に対して悪口と本当ではない出来事や話が広まっていることにも気づきました(正直言えば、耐えにくいことでした)。
何ヶ月かしてから、修道院に戻って、みんなのために祈るほうが良いのではないかと思うようになりました。
あきらめないで、いろんな苦しみと直面しながら宣教をするのは、これこそ福音宣教のやり方であることに目覚めさせてくださった手段のなかで、バングラデシュの友達の宣教師の手紙がありました。:“神があなたを修道院に招いてくだされば、その声に従って、あそこで私たちのために祈ってください。しかし、頑固な現実と直面して何をしたらいいですかということを考えているならば、今あなたがいる場にいて、福音宣教の辛さを耐え忍ぶほうがいいとおもいます”。
神学校のときに、毎日の祈りの中で“福音宣教のためによく苦しむ日と直面することになれば幸せな日として迎えたい”という言葉がありましたが、今こそその幸せを体験する日になっていたということに目覚めました。
何人かと一緒にマルコによる福音を黙想しながら、主イエスが初めから最後までいろんな人々から抵抗されたことに新たに目覚めました。
そのときから、聖霊の光と力に頼って、優先しなければならないこと、養成するための方法と協力者を見つけるために勤めました。
協力者を見つけるために、二つの言葉(とその言葉によって示される真実)が大切でした。それが“信仰の養成”(特に聖なる朗読を通して)と“継続的な回心”です。事実、それを実現するために共に働きながら、共同体として神の光に導かれ、力によって支えられていることを体験します。
黒崎教会で私と一緒にチーム ワークをつくって、委員会として教会が宣教する共同体、奉仕する共同体になるように働きたい9人を見つけることができたのは、私にとって非常に嬉しいことでした。
そういう役割を果たすのは批判され、圧迫され、冷たい目で見られることになりますが、みんながそれを耐えながら共に支えあうことを協力しています。
司教様は、私たちの養成のプログラムを実現するために、“信徒協へ代表者を送らないで、そのプログラムに参加しなくてもいいです”ということを赦しました。
何ヶ月か前に、黒崎教会の委員会が行われたときに、この難しい状態の中で、どういう喜びを体験することができるかという疑問がありました。
返事がすぐ現れました。:福音宣教のために主イエスの十字架を分かち合う喜びです。
御言葉に耳を傾けることによってその喜びに目覚めます。
待降節のときにグループで聖なる朗読を行うことにしました。
それが終わってから、人々の顔が喜びで輝いていました。
兄弟である神父:ジャンピエロブルニ
昨年から教会委員選出のことで神父と委員たちとの話はかみ合わなかった。神父は、自分の主宰する聖なる朗読の会に参加する人の中から委員を任命すると言う。「それじゃ私達は解散しましょう」となり、神父は「どうぞ」と。しかし、委員たちに今辞められたら困るから、あとの人ができたら…ということから1年が経った。そして6月10日に「学習会」をすることとなった。
当日ミサ後、9時過ぎから11時近くまで。参加人数は23〜24人。
4ページの基本方針と規約の説明。黒崎おんなじもの。ほとんど神父の独壇場。学習会というより、天神町教会を自分の思い通りにしたい意図が参加者に丸見えだった。
質問(未洗の方)今されている委員さんに何の不満があるのですか?あるのならはっきり言って下さい。
神父・・教会の一致が足りない…外向きよりも教会の中の一致を…
(はっきり言わないのでよくわからない)
質問(同じ方)今の委員さんに不満があるのですか?一生懸命されています。何が不満なんですか?
神父・・……
(言葉をにごしてしまう。)
質問が何人からも出された。神父は自分の思い通りにいかず、イライラ、イライラ。「教会は民主主義じゃない」と。
質問(別の人)委員さんはみんな頑張っているでしょう。その方たち以外におりますか?
(神父の応えに皆とうてい納得できない状態)
質問(女性)御ミサでの、神父様のごたごたした解説はやめて下さい。典礼と何の関係がありますか。
学習会後、神父は気持ちが収まらなかったのか、そのミサの質問をした女性に詰め寄り「あなた何処の信者ですか?」と。その方は呆れ果てて帰ってしまった。
結論。この「学習会」は何にもならなかった。ひとつ言えるのは、神父に対し異論が噴出した集まりとなったこと。
ミサ参加者が減っても信徒の責任という。
黒崎はうまくやっているとも言う。(「神父が選んだ委員とだけのことでしょう」と反論される始末)
教会の奉仕をしている方に対し、いまだに「あなた誰?」。われわれをよそ者扱いのような冷たさ。天神町教会に長年ボランティアをしてきた人も最近辞めてしまった。
神父はすべて白紙にして自分の理想を作りたいのか。あまりに信徒をバカにしている。