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プロフィール

年商18億から負債7億へ。それでも、娘を守るために必死で這い上がったシングルファーザー社長からのメッセージ。
私はかつて、映像制作の事業でピーク時には年商18億の企業を経営していました。しかし、ピークはいつか過ぎてゆきます。天狗になっていた私を7億もの負債が、会社を倒産へ導き、さらに幸せな家族4人の生活を壊してゆきました。このページは、かつて私が遭遇した「会社倒産」「自己破産」で悩んでいるみなさんへのメッセージを伝えるために制作したものです。負債7億で「会社倒産」「自己破産」しても、現在は7社の企業を経営するまで這い上がることができたのです。そこに至るまでのストーリーが、少しでもみなさんの力になれればと考えています。

「会社倒産」「自己破産」、悩むのは当然。
でも動き出さねば、何も改善しない。

かつて私が行っていた映像制作事業は、ピーク時の年商は18億でしたから、経営はイケイケの状態。次々に新たなメディアを開拓し、次々と投資していました。

当時は、衛星放送事業が始まったばかり。自社のチャンネルを持てば、自分たちが制作した映像を、直接視聴者へ届けることができ始めた時代です。そんな時、香港のとあるコンサルティング会社から、香港での衛星放送事業での自社チャンネル取得の話が来たのです。

そんな夢のような話の実現に対する投資額は、日本円にして1億円。
当時の私は、即その話に乗りました。そのチャンネルで提供するコンテンツ制作の費用も含め約7億、友人知人を手当たり次第あたり、ノンバンク系の金融機関からも融資を受けて、海外進出へ動き始めたのです。

そして、いざ契約。となったその瞬間。
香港のコンサルティング会社が、1億を持ち逃げ。
一瞬にして夢は去ってしまったのです。残ったものは借金だけ。

借金返済ができなくなり弁護士に相談しました。すると会社を倒産させて債務整理に入ることを勧められました。

ピーク時年商18億あった経営者から一転、「会社倒産」「自己破産」です。

世界は一転しました。
それまで次々に金を動かし、新しい事業を展開してきた自分が、今度は借金の取り立ての嵐の中に身を置くことになったのです。当時10社近くのヤミ金業者からの借金がありましたから、自宅へ取り立てが次から次へとやってきます。結果的に、家族はバラバラに。
中学生の娘を離婚した妻が引き取ってくれました。しかし小学生の娘まで引き取れる状況でもない。ということで、小学生の娘は私が引き取らざるを得なくなったのです。

娘と2人の生活になっても、当然取り立てはやってきます。
ひどいときには、ヤミ金業者の事務所へ軟禁状態となりました。
そこで真っ先に考えたのが、娘のこと。

こんな状態では、娘を守ることができない。
そんな地獄のような日々の中、少しの光を与えてくれていたのが、「娘と暮らす日常の当たり前の風景の大切さ」でした。何としても娘を守らなければ。

そこで初めて、逃げているだけじゃダメだ。動き出さなければ、何も改善しない。」と気付いたのです。

どんなことでもいい、
「できること」から始めよう。

娘を守るために、自分にできることは何だろう。
最初に思ったのは、「まずは収入を得ることから始めよう」ということでした。

毎月約束しただけのお金をしっかりと期日までに支払いさえすれば、いくらヤミ金業者とはいえ、あまりにも無茶苦茶な事は言わないものです。

とにかく何でもいい、まずは収入を得るために、カードマンのアルバイトを始めました。しかしアルバイト生活だけでは、ヤミ金業者の金利分も返せません。

娘と2人のシングルファーザー生活では、普通に就職しても娘の面倒を見ることができません。日々途方に暮れていたそんな時、目に飛び込んできたのが「あなたも月収●百万円稼ぐノウハウ!」というメールです。精神的に病み始めていた私を、救ってくれていた友人とのメールのやり取りの中で気づいたものでした。

そんな上手い話が現実にある訳がないと、キツネに抓まれるような思いでいろいろな情報を調べ始めました。そしてたどり着いたのが「ネットオークション」。

その当時の私には、会社の景気がいい時に妻が買いまくった「娘のブランド品の洋服」がたっぷり残っていたことに気付いたのです。

試しにこの「ネットオークション」を始めてみると、娘の服が売れることが分かったのです。しかも、いろいろと調べていくと、より高額で売るテクニックがあることに気付き、試してみると、どんどん販売額が高額になっていきます。

気づくと、月の稼ぎが70万にもなることも。
結果的にこの「ネットオークション」が、私を経済的にも精神的にも救ってくれるきっかけとなったのです。

結局、動き出すのは自分。
動き出した自分を助けてくれるのは知人。

上記のエピソードを紹介しますと、「樋口さんにはどん底の状態でも、“娘さんの服”という隠れ資産があったじゃないか」という声が聞こえてきそうです。

確かに、おっしゃる通りです。「娘の服」に助けられたのは事実です。
しかし、「娘の服」は無限にはありません。やがて在庫は0になります。

しかし私は、「娘の服のオークション」によって、新たな商売の手法を覚えることができました。そんな中、次に目に入ってきたのが「オークションでは骨董品が売れる」という情報です。

試しに、近所の骨董品屋でいろいろと購入して、「オークション」で販売してみました。
落札するものもあれば、落札しないものも出てきます。そうすると、先に商品を購入してしまうと、落札しなかった商品は赤字になります。

そこで、骨董品屋と「オークションで落札したら買いに来るから、オークションに出品させてくれ」という交渉をして、落札したものだけを仕入する方法を作りだすことができたのです。

結局、この時のノウハウが、現在経営している会社 バイラルホールディングス株式会社の基軸事業となっているのです。

「会社倒産」「自己破産」後の私は、ボロボロでした。
でも、何とかそこから救い出してくれたのは、娘そして友人でした。

娘を守るために、精神状態ボロボロの中、ガードマンを始めることで、少しずつ精神状態が上向きはじめ、何とか収入を増やす方法を考えられる状態にしてくれました。

そして、日々私を励ましてくれた友人たちのメールの中で、収入を増やす「オークション」の存在に気づき、骨董品屋の店主とのやりとりが、今の商売の基礎となっているのです。

あきらめない。
悩む時間はもったいない、“今”動き出そう!

これまで、私自身の話をさせてもらいました。
現在、個人で「自己破産」される方は年間12万人以上、「会社倒産」は年間1万社もあると聞きます。私は上記のような内容をブログなどで情報発信していますので、苦しい境遇の方々から相談のメールをいただくことがあります。

そんなみなさんに、必ず私が伝えていることがあります。それは、

「あきらめないでください。悩む時間はもったいので、 “今”何でもいいので、出来ることから始めてください。」ということです。

ここまで読んでいただいて、お分かりいただけたかと思いますが、今の自分があるのは、決して私自身の力ではありません。

もしもあの時、娘を引き取っていなかったら、今の自分は無かったと思っています。そのままどん底の生活の中で、這い上がることができなかったと思っています。

何とか這い上がる勇気を持たせてくれたのは、娘と過ごすごく普通の生活が欲しかったからです。そして、友人とのメールのやり取りの中で、「オークション」という這い上がるための武器に気づくことができたのです。

私もどん底の生活を経験してきましたので、どれだけ悩むか、精神的にきついかは分かっているつもりです。

しかし、悩んでいるだけでは状況は改善しません。一人でいる時間は、マイナス思考になってしまうと思います。だから、何でもいいのです。ガードマン、新聞配達、飲食店やコンビニのアルバイト、何でもいいのです。まずは、動き出してください。人と接することで、きっと何かが変化するはずです。その変化に気づいたら、更に次の一歩を踏み出してみてください。私はそのようにして、這い上がることができました。

経歴

  • 1966 ( 0歳)1月、愛知県名古屋市にて生まれる。
  • 1979 (13歳)NHKドラマ「中学生日記」に準レギュラーで出演し始める。
  • 1983 (17歳)母親が亡くなる。父親と2人きりの生活に。
  • 1984 (18歳)高校を卒業し、アルバイトで生計を立てるように。
  • 1986 (20歳)父親の死を境に上京。海外勤務でフィリピンのマニラへ。
  • 1987 (21歳)帰国。フリーターとなる。
  • 1988 (22歳)アングラ劇団に所属し、舞台俳優に。
  • 1990 (24歳)ビデオの卸し業を始める。
  • 1992 (26歳)ビデオ制作事業を始める。
  • 1996 (30歳)会社設立。
  • 2000 (34歳)会社の年間売上18億円、従業員数も60人に。
  • 2002 (36歳)香港とソウルに現地法人を設立。
  • 2004 (38歳)会社を高田馬場に移転。経営が苦しくなる。
  • 2006 (40歳)自己破産および破産申請。
  • 2007 (41歳)ネットオークション、アフィリエイトを始める。
  • 2008 (42歳)手がけた情報商材がヒット。
  • 2009 (43歳)渋谷でバイラルブレインパートナーズ株式会社を設立。
  • 2010 (44歳)会社を渋谷区桜丘に移転。年間売上8億円、従業員数40人に。
  • 2012 (46歳)会社を渋谷区渋谷に移転。
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