【プレイバック芸能スキャンダル史】

樹木希林に不倫を暴露された久世光彦

楽天SocialNewsに投稿!
2013年3月6日 掲載
<1979年1月>

“ドラマの天皇”と呼ばれ、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」とヒットを飛ばしたTBSディレクターの久世光彦。79年に「ムー一族」の打ち上げパーティーで、樹木希林(当時36)に不倫を暴露される騒ぎがあった。

 78年5月にスタートした「ムー一族」の最終回は79年2月7日。その前の1月25日、六本木のディスコで打ち上げが行われた。集まったのは清水健太郎、岸本加世子、郷ひろみら出演者の他、スポンサーや局の重役ら200人余り。主役の久世(当時43)はタキシードに身を包み、出演者の感謝の言葉に応えていた。

 そんな晴れやかな場で最後にスピーチしたのは樹木。ドラマの中で郷とともに歌った「林檎殺人事件」がヒットするなど番組の功労者だが、衝撃的な内容に会場の空気は一瞬にして凍りついた。

 樹木は「下駄屋の一人娘ともこと久世さんとの間に、3月に子どもが生まれます。……ともこも頑張ったし、今後は奥さんと3人で仲良くやってください」と久世の不倫を暴露した。

「下駄屋のともこ」とは番組内で由利徹の娘役を演じた新人女優のぐちともこ(当時21)。すでに妊娠8カ月で内々で父親が久世であることを知らぬ者はなかったが、樹木の爆弾発言で会場は大混乱となった。

 真っ先に「バカヤロー。そんな話やめろ!」と絶叫したのは久世の友人としてパーティーに呼ばれていた沢田研二で、席を蹴って会場を後にした。共演者が聞こえないフリや目をそらすなどする中、当ののぐちは泣き崩れ、仲間に抱えられた。

 樹木の発言を受けた久世は「今、希林さんが言ったことは事実。ともこも大きなオナカで頑張った。このことは僕の不徳です。でもこれが人間なのです。僕はムーが大好きでした」とスピーチした。数時間後、騒ぎを聞きつけた樹木の夫、内田裕也が店に飛び込んできたが、ジーンズ姿のため入場を断られ、押し問答の末、パトカーが出動する騒ぎも。殺気立った内田は「あのヤロウ、離婚だ」と息巻いた。

 騒ぎに対して、樹木は「久世さんがああした状況の中でなし崩しにショボショボしていくのが耐えられなかった」「2人の気持ちを軽くしてやろうと思った」と真意を語った。内田には「離婚というならああ上等」とキッパリ。沢田に対しては「ああいう見せかけの優しさが久世さんをダメにした」と反論した。

 のぐちは3月25日に無事出産。当初、久世夫人は認知もさせない強硬姿勢だったが、その後、久世は離婚、のぐちと再婚した。TBSを辞職した久世は制作プロ「KANOX」を立ち上げ、81年に沢田研二主演の3時間ドラマ「源氏物語」(TBS)で復帰。その後、久世は06年3月、虚血性心不全で亡くなった。

 夫の死後、銀座にクラブを開いたともこ夫人は、10年に久世との思い出をまとめたエッセー「テコちゃんの時間」を出版した。

◇1979年1月 1日、米国と中国が国交樹立。7日、カンボジアのポル・ポト政権崩壊。13日、初の国公立大学共通1次試験実施。26日、大阪の三菱銀行北畠支店で猟銃事件。28日、NHKが世界初の南極からのテレビ生中継。

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