リンク・フリー(連絡不要)
www5.ocn.ne.jp/
~for/hibakusha9/top.html
【註】このページは、Mozilla Firefox 1.5x系、2.0x系、Internet Explorer 6.0系、Opera 9.x系、Safari3.x系で表示を確認しています。しかし、あなたがお使いのブラウザのバージョンや設定によってはレイアウトが乱れることがあるかもしれません。ご容赦ください。
みなさまから寄せられた賛同の御芳名とメッセージのうち、公表可の許諾のあるものをご紹介いたします。お名前のあとのカッコ内は、居住地と職業等です。
(2007年4月28日現在。敬称略・順不同)
◆安部 仁子(東京都、無職、少々アルバイト)
@人間が人間を殺す戦争をしてはいけない!
A一人暮らしの被爆者への手厚いサポートが必要
◆伊谷 周一(鳥取県、会社社長、広島被爆、鳥取県原水協理事長、鳥取県民主商工会連合会元会長)
大賛成。できることは何でもする。
◆岩佐 幹三(千葉県、日本被団協事務局次長)
憲法9条だけでなく、憲法を守ることがより重要だと思います。
私たちは国の主人公なのですよ。主人公としての役割を十二分に果たそうではありませんか。
力をあわせて頑張りましょう。
◆梅橋 路子(東京都、主婦)
◆大畑 茂徳(北海道)
憲法前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、……諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、戦争の放棄と軍備及び交戦権の否認を憲法9条で宣言したのです。
広島、長崎で核兵器の惨酷・非道な戦争を体験した私たちは、いまこそ反戦の闘いに参加したいと思っています。
◆尾崎 守夫(東京都、ナシ)
核はもちろん、戦争は真っ平御免。世界の冠たる憲法9条は、莫大な犠牲により定められた。だから、守る義務はわれわれ戦争体験者〔にある。われわれ〕が先頭に立ってがんばる。
◆小野内 勝義(北海道、北海道被団協理事)
政府・与党の改憲の動きをゆるすことはできない。「呼びかけ人一同」のアピールを支持します。当面、急を要するのは、「国民投票法案」の強行採決の意図を阻止することです。
◆片山 f(東京都)
“友を処刑しなければならなかった豪兵、ドン・ボールさんへ”
「原爆による一人ひとりの死者を、今も人びとの心のなかに活かし続けねばならない」と全国26万の被爆者とともに、〈核兵器は決して人類と共存できない〉と核兵器廃絶の国際的な世論をつくるためにたたかっています。それは、“ヒロシマ・ナガサキ”を、また、ドン・ボールさんがいわれる“北の 恐ろしい国”を繰り返させぬ時代をつくり出すためです。
◆亀井 賢伍(神奈川県、なし)
原爆投下が、現実から数歩進んだ9条を生みだしました。
被爆者は、想像力を働かせるまでもなく、体験から9条改悪を拒否します。自らの存在を否定されないため、9条をまもりひろめます。
◆川口 隆(愛知県、年金生活)
私たち学生時代は軍国主義一色で、兵隊に行って死ぬことを誇れとそだてられ、私も17歳で志願により兵隊に行き〔ました。〕特攻兵として訓練され、広島において原爆により被爆し、左後頭部より左腕を火傷しました。
戦争は人と人の殺し合うものです。9条の改正は絶対にしてはいけません。9条改正に反対するものであります。
◆北村 三子夫(長野県)
ノーモア広島・長崎を、再び核戦争被害者をつくらないために、憲法改悪反対。
戦争放棄、平和憲法を守れ。
人類が、人類を殺し合う戦争を、世界からなくすことを目的とします。
ヒロシマ原爆死没者の慰霊碑に、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と誓ったことを、絶対忘れてはなりません。
◆久井 スヱ子(広島県、無)
広島の原爆で夫を失い、どんなに苦しかったことか。また、残る者も言い表せない心身の苦しみ。これは再びあってはならないことです。
子や孫たちが平和であり、核や戦争のない国にすること。戦後生まれの首相のいいなりになってはいけない。9条を守る人が首相になり、アメリカのいいなりにならないこと。
◆楠本 熊一(和歌山県、和歌山県立医科大学名誉教授)
日本国憲法、特に第9条は、世界に誇るべき日本国の宝です。変えるなんて、もっての外です。変えてはなりません。
◆児玉 三智子(千葉県)
◆坂本 キミ子(福岡県)
新憲法の中で、特に9条は、世界中の国の中で唯一の平和をめざす、平和を築くものだと思います。ヒロシマ・ナガサキをはじめとするあの戦争を、死んだ人の想いを、永久に世界中に届けるために、私たち生き残った者の使命として守り通すべきです。絶対に!!
◆佐藤 力美(秋田県、秋田県被団協事務局)
日本国民の宝である日本国憲法をまもり、世界にひろげることが、世界平和(人類の未来)のための大きな力です。
自信と誇りをもって、平和憲法の核心、9条をまもる運動をつづけたいものです。
◆篠垤 潔(広島県、作家)
零歳被爆者の私には、戦後の苦しい生活と原爆放射線後障害と思われる甲状腺、副甲状腺障害、循環器、呼吸器、腎・肝障害等に加え、肺、胃、大腸、肝臓のがんでした。
46歳からのベッド上の闘病専一の暮らし、56歳からの原爆特別養護ホームに入所。こんな人生でも、憲法9条は宝です。国家補償に基づいて被爆者援護法制定を。ノーモア・ヒバクシャ。
◆島村 雅人(埼玉県)
◆杉山 秀夫(静岡県、被爆者、県被団協前会長)
フィリッピンのルソン島へ出征し、多くの戦友が餓死した。私は幹部候補生に合格し、生き残り、内地へ帰り、技術部見習士官となり、広島で原爆にやられ九死に一生を得た。
この体験を伝え続けるために、そして二度と戦争をしないために、憲法醍条を守ることが大切であります。命ある限りがんばります。
◆早田 一男(福岡県、福岡市被爆者の会役員)
私は爆心地から2.5キロの地点で原爆を浴びた。軍国少年の最たるものであった私は、異常事態という認識はあったものの、恐怖に打ちのめされるということはなかった。刷り込まれた「戦争」から脱却するのに時間を要した。
「美しさ」の意味を解しない、「戦争」への回帰を望む輩と、徹底的に闘うことを宣言する。
◆高橋 龍太郎(埼玉県、老年学研究者)
9条がデファクトスタンダードになるどころか、その一部が壊れようとしていることに、私たちの非力を感じます。
◆高山 秋雄(東京都、なし)
憲法9条は世界の宝、核兵器も戦争もいらないとの信念を強く持っていこう。
評論家の長谷川如是閑氏が、1929年に雑誌に書いた「戦争絶滅受合法案」のことを新聞で見た。
戦争の開始から10時間以内に、国家元首、その親族、首相や閣僚、国会議員らを最下級の兵士として最前線に送り、敵の砲火の下に実践に従わしむべし」というものだとのこと。そういう世論を盛り上げたいと思う。
◆田栗 末太(神奈川県、被爆者、81歳)
原爆の惨禍を体験した私たちは、長い人類の歴史を経て、ようやく到達した、戦争放棄・非武装・不戦の憲法9条の下、再び戦争犠牲者と被爆者をつくらないことを希い求めてやみません。
◆田辺 イサノ(福岡県)
私は数年前から身体が不自由になり、歩行困難になりました。人様のお世話になりながら生活をしておりますが、人様に自己紹介するときは、必ず、被爆の苦しみ、悲惨さも訴え、平和で皆様共々楽しく生きられる素晴らしさをお話しております。
少しでも戦争で苦しんだ時代を思い出してもらうためにも、また、若い人等には知ってもらうためにも……。
◆田沼 祥子(東京都、フリーの編集者)
被爆者の皆さんに学んで、憲法を守り、戦争をなくす努力を続けます。
◆津村 義文(愛媛県、団体役員)
軍国少年だった私は、学生時代にヒロシマで被爆しました。戦争にかかわるすべての“モクロミ”には反対です。
地元の校区、市、県の9条の会にもすべて入って、若人たちに、反戦のねがいを伝えたいと思っています。(私自身、高齢化していますので)
ヒバクシャの一人として、国民投票と連動した憲法改悪に反対します。
(あえて、ヒロシマ、ヒバクシャを、国際用語として、カタカナでかきました。)
◆戸瀬 英男(東京都、一被爆者、長崎被爆)
今こそ、被爆者一人一人が9条を守る行動に立ち上がる時です。二度と戦争をさせないため、二度と被爆者をつくらないため、微力ですが頑張りたいと思います。
◆友廣 良子(長崎県、なし)
ヒバクシャ、被爆者として生きて60年
ギセイになった多くの人びとのことを今ふりかえって思う
何も言わず 何も語らず 愛する人々の思いは今 何を思っているのだろう
◆中島 竜美(東京都、在韓被爆者問題市民会議代表)
敗戦でつかんだ“平和の証”
◆中嶋 直子(東京都)
戦争の悲惨さを一番知っておられる被爆者の方々が9条の会を立ち上げられたことを、心から嬉しく思います。どれほど勇気づけられることでしょう。
9条だけは、何があっても手放せません。手をつなぎ、皆で守っていきましょう。
◆中屋 正仁(山口県、ナシ)
広島で受けた原爆の地獄を想うと、絶対に平和であることが人生の最大の極楽であり、平和憲法9条を守りぬくことがわれわれの使命です。
◆中山 高光(熊本県、熊本県被団協事務局長)
原爆投下による大量殺りくは人類史最大の人権侵害であり、許すことはできない。しかし、報復は求めない。再び被爆者をつくらない願いこそ、憲法9条である。絶対に守り抜こう!
◆西山 進(福岡県、漫画家、福岡市被団協副会長)
生きているうちに明るい展望をもちたいと思います。被爆者の思いや声がもっと国民の中に浸透していくような運動を展開したいと思います。「おごらず、あせらず」です。
◆日本青年団協議会
◆檜山 秋彦(滋賀県、私立中学非常勤講師)
「九条を守れ!」
笹の芽の先端が
ふるえる
生まれ出たことの重さに
小刻みにふるえる
さけびたい!
◆平田 道正(東京都、無職)
◆平野 合歓之介(東京都、江東江友会員)
私は広島での被爆者です。あの地獄を体験した者のつとめとして、核兵器は絶対になくさなければなりません。そのため憲法9条の「戦争をしない、軍備を持たない」を護ります。
◆藤森 俊希(長野県)
日本国憲法9条を守り、日本と政界の平和に活かす署名をもって、地域を回ると、思想・信条の違いを超えて、100%近い方に署名していただけます。全国民的運動で9条改悪を阻止しましょう。ノーモア。ヒバクシャ9条の会の趣旨に賛同し、微力ですが、力を尽くします。
◆堀田 シヅヱ(埼玉県)
9条改定は「海外で戦争やれる国」への道です。
日本国憲法は世界の宝です。絶対守りとおさなければと9条の会の呼びかけ人となり広めていきます。
◆前座 良明(長野県、長野県原爆被害者の会会長)
世界に誇る平和憲法の第9条には、二度と戦争はしないという誓いとともに、侵略戦争により、多くの国の人たちに想像以上の危害を加えた、大変な加害者だったことに対する反省と謝罪の心が込められているのです。
いま、その尊い心を捨てて、堂々と海外で戦争のできる国に戻されようとしているのです。
戦場では人を獣に変えます。平気で人を殺せるようになります。
昔から、戦争を決定する人たちは戦場には行かず、戦争に行きたくない人たちが紙切れ一枚で戦場に駆り立てられているのです。
いま、憲法を変えようとしている人たちは、その残酷で悲惨な戦争へ、自分の子供や孫を平気で送り出すことができるのでしょうか。
外堀が埋められ、本丸に火が点けられました。いまこそ、全国の被爆者が立ち上がり、憲法9条を死守するための先頭に立つべきです。
◆前田 美那子(東京都、婦人民主クラブ高円寺)
ノーモア・ヒバクシャ9条の会の活動に期待し注目しております。
杉並の被爆者運動はピース・フォーラムとして続けております(常に体験の原点を語り、80歳)。しかし、「被爆体験を世界人類の体験として継承する」ことが大切である時が来たと痛感しております。体験者のこの世代、孫の世代が9条を基に受け継ぐことに意義があります。
◆増井 幸子(東京都)
戦争を起こすのが人間であれば、何とかくい止めることができるのも人間であると信じています。
◆水野 潔子(東京都、なし)
戦後の憲法のもと、60年間。われわれが血を見ることなく過ごすことが出来たのは、憲法9条のあったためと信じています。
先の戦争のことを省みますと、命を大切にしなかったと反省しています。今後も、国民一人一人が、戦争がない世の中を希望することを旨とすることだと思っています。
◆村田 未知子(東京都、東友会事務局主任)
◆持田 郁子(東京都、なし)
どんなにヨタヨタになっても、きき耳たてて、だまされないように、がんばりましょう。
◆吉岡 雅弘(広島県、被爆2世、ケアマネジャー)
90歳を超えた被爆者が。やっと原爆症認定となりました。
ノーモア・ヒバクシャ9条の会の活動に期待をします。
核兵器廃絶と平和憲法守れ、生かそう!
◆吉兼 実(東京都、TVプロデューサー)
戦争で得た唯一つの貴重なもの、平和憲法をいつまでも。
◆里見香世子(千葉県)
も
はや戦後ではないと言われた昭和30年代、胎内被爆者であることを痛感させられ、人間不信に陥りかけた13歳の私にとって、憲法9条は不戦の誓いとして唯
一の慰めと救いでした。未来の子どもたちがかつての私のように大人は何もしてくれなかったと苦しまないですむように、9条を守りたいものです。
◆前川史郎(「原水協通信」編集長)
憲法9条を守り、核兵器のない平和で公正な世界のために活かすことは、「二度とふたたび被爆者をつくるな」の願いを「継承」することだと思います。
◆浅野茂義(長崎県)
一
被爆者として私は憲法第9条を絶対に守らねばなりません。被爆直後、死を直前にして助けを求めた方たちの差しのばす手を振り払って、その場を逃れた私は、
「二度と戦争を起こさせないようにしますから許してください」と、その方たちに約束しているのです。原爆による地獄の再演を子孫にさせることは絶対に避け
なければいけません。(体調不良のため、行動が制約され大変残念です。)
◆青木茂(千葉県)
地域の9条の会に加盟していますが、
今回ヒバクシャで9条の会、喜ばしいことです。お互いの会での取り組みを知らせていただき、それに学び、負けないように頑張りたい。参議院選挙は圧倒的勝
利を納めたい。確りと腕を組んで進みましょう。(私は活動の主体は地域となりますが、各地の取り組みに刺激を受けたいと思う。)
◆川口和義(愛知県)
もう80歳が近くなった。余生をどう生きるか。日本のよさを若者にひとつでも多く伝えること、この若者たちを戦場へ送って犬死させないこと。この二つだと思う。(高齢のためあまり動けませんが。)
◆服部十郎(北海道)
戦争や原爆の悲惨さを体験。今なお後遺症に苦しむ被爆者は、わが国が再び戦争へ歩む道を阻止しなければならない。憲法第9条は絶対に維持してゆかなければならない、と痛感します。
◆小川政亮(日本社会事業大学名誉教授)
待ちに待った被爆者の会、遂に結成! 身を持って戦争の惨禍を体験され、絶対にこのような戦争をくり返すまいと、日々その思いを深められている方の発言ほど、力強いものはありません。他の多くの9条の組織と協力して、日本の憲法9条を守り抜きましょう!
◆北野弘久(日本大学名誉教授)
日本国憲法9条2項(軍隊・戦力の不保持、国の交戦権の否定)は、私たちの「国体」そのものです。改正してはいけない。改正することはクーデターです。
◆新倉修(青山学院大学教授・弁護士)
被
爆者の方々は、苦しい体験に寄り添い、人間に対する憎しみを乗り越えて平和の実現をめざし、ねばり強く活動されてこられました。その志があればこそ3度も
ノーベル平和賞候補になりました。皆さまといっしょに9条を守り広げることを光栄に存じます。(2008年5月4日〜6日の世界9条市民会議への参加を支
援します。)
◆水野秋恵(愛知県)
9条を守る会が各地に、多様なかたちで出来ています。私は被爆者こそ運動の先頭に立つ責務があ
ると思っていました。あいち被爆者の9条を守る会は、そんな思いで立ち上げました。独自の活動はなかなか出来ませんが、「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」
よびかけ、心からうれしく受けとめたいと思います。
◆遠藤泰生(愛知県・愛知県原水爆被災者の会事務局長)
被爆者として戦争のない世界、戦争で人が殺し合うことのない世界の実現を望んでいます。
◆西野稔(東京都・国分寺原爆被害者の会会長)
9条は原爆の業火に焼き殺された人々の遺言です。変えることも消すことも出来ません。(遺言を伝えるために生き残った被爆者)(遺言を語り伝えます。)
◆星埜惇(福島県・福島県原爆被害者協議会事務局長)
8月6日の体験と、新憲法制定時の感動とは重なり合って現在も忘れることはありません。現憲法の改悪は絶対に許せません。
◆長久勝之(東京都)
絶対に『憲法9条』を改悪してはならない。
◆銀林美恵子(東京都・江戸川区原爆被害者の会親江会会長)
私は広島被爆の生き残りとして、絶対、反戦・平和を主張します。今の日本の政情をみると暗澹たる気分になりますが、グローバル・ヒバクシャ問題を考え、運動を広げねばと思います。私自身は病気で足が悪いため、あまり行動できないのですが……。
◆上田紘治(東京都・被爆者)
2度とくり返してはいけない原爆。大きな犠牲の上で出来あがった平和憲法、なぜ変えなければいけないのか! 平和は全人類の共通の願いです。
◆市原 芳夫(東京都、会社社長)
「ノーモア・ヒバクシャ」のためには憲法9条を守り、9条の精神を骨ぬきにすることは許してはいけません。「核」で平和は守れません。
◆内田 保信(長崎県、年金生活者、長崎被災協語り部)
私は、爆心地から約1400メートルはなれた家野町で被爆しました。当時長崎県立長崎中学校4年生。同級生の中村太郎兼介君と下駄をつくっていたときでし
た。彼はパンツ一つの状態でしたからヤケドがひどくて、8月9日夜半に死亡しました。私は九死に一生を得て、生きのこりました。死んだ彼といっしょに、核兵器廃絶のために、死ぬまで闘い抜きます。
◆越智 晴子(北海道)
神戸大空襲と、広島での原爆被爆を体験した私は、戦争という殺人行為を心の底から憎み、否定します。世の中がどのように変わっても、戦争という行為で解決は出来ません。
戦争を放棄した日本国憲法は、絶対に改正させてはいけないのです。
◆土橋 寿(東京都、日本自分史文学館長(大学教授))
◆中野 慶(児童読み物作家)
若い世代がヒロシマ・ナガサキについてどう受けとめているかを考えてきた者の一人として、憲法9条を守り続けたいと願っています。
ヒロシマ・ナガサキにおける多くの死者たちが、私たちにそう呼びかけているように思います。
◆安斎 育郎(京都府、立命館大学教授)
九条の会が呼びかけられて2年半に全国で6000余の地域・職域の九条の会が組織されたのは、ビキニ被災事件以来の市民運動の高揚です。この力をさらに飛躍的に発展させ、核廃絶に結合させましょう。
◆泉 順太郎(東京都、ナシ)
◆川口 隆(愛知県、年金生活)
私
たちの中学生時代は勤労奉仕と軍事訓練でした。軍国主義一色で、兵隊に行って死ぬことは国のためになることだと育てられ、私も17歳で志願により兵隊に行
き〔ました。〕特攻兵として訓練され、広島で原爆により被爆(左後頭部より左腕を火傷)。その後遺症により今も苦しんでおります。
戦争は人と人との殺し合いです。戦争は絶対してはいけません。戦争には絶対反対するものであり、9条の改正には絶対に反対するものであります。
◆鈴木 徹衆(東京都、真言宗大谷派乗願寺住職)
1961年7月、世界宗教者平和会議のあと、「ヒロシマ〜アウシュビッツ」平和行進を展開した3人の男たちがいました。
今、「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」の結成は、まさに「人間をかえせ!」の叫びです。
◆増田 善信(東京都、気象学者)
憲法9条は、原爆被災をはじめ第2次大戦による戦争の惨禍と、アジアの人々に対する被害を再びくり返してはならないという誓いから作られたものです。その9条は絶対に変えさせてはなりません。9条を守る闘いと核兵器廃絶、被爆者援護の運動は車の両輪です。頑張りましょう。