アスファルトの歴史 浮上する謎も11月8日 7時35分
アスファルトと言えば、道路の舗装。
そんなふうに思う方も多いかもしれません。
しかし、その歴史は古く、縄文時代には天然アスファルトの採掘・精製が行われ、東日本を中心とした物流のネットワークに乗せられていた可能性が指摘されるようになっています。
意外に(と言ったら、怒られるかもしれませんが)おもしろい、アスファルトの歴史とは。
アスファルトは“優れもの”
現代の車社会。
アスファルトがなければ、成り立っていないかもしれません。
「日本アスファルト協会(昭和28年設立)」によりますと、アスファルトには、常温では固体、熱を加えれば液体になる性質があります。
また、粘着性や防水性、それに防さび性などがあり、道路の舗装だけでなく住宅や土木建築などにも幅広く使われる“優れもの”です。
ところが、原油からガソリンなどを精製したあとの「残り」と捉えられることも多く、公共事業などの減少による需要の低下や原油価格の上昇などによる原料・物流コストの増加などがあって取扱量は減少。
現在、国内で製造しているのは元売りの3社のみだといいます。
古代から利用されていた
そのアスファルト、実は古い歴史を持っています。
メソポタミア文明やインダス文明の遺跡で天然のアスファルトを建材などに利用したことや、紀元前3000年ごろのエジプトでミイラの防腐剤として使われていたことが分かっています。
さらに日本でも、新潟県の南部~東北の日本海側、そして北海道にかけて天然アスファルトが産出する場所があり、縄文時代前期の半ば(およそ6500年前)から利用されてきたといいます。
狩りで使う矢じりを固定したり、釣り針を糸にくっつけたりすることに使われた、いわば「生活必需品」だったのでしょう。
粘着力が強くて、水も弾く。
そうしたアスファルトの性質を、縄文時代の人もよく知っていたに違いありません。
天然アスファルトを精製した遺跡
縄文時代に詳しい研究者、岡村道雄さんによりますと、秋田県の「烏野上岱遺跡」では、4000年ほど前の縄文時代中期の竪穴住居から、アスファルトの精製を行ったとみられる跡が見つかっているということです。
炉に据えられたり床に転がったりしていた3つの大型の土器の中にはアスファルトにまみれた砂や礫(れき)が詰まっていました。
また、この遺跡から1.6キロほど離れた場所には天然アスファルトがしみ出している場所もあります。
竪穴住居まで天然アスファルトを運んで、土器で熱を加えて精製し、不純物を取り除いたとみられています。
アスファルトの「物流ネットワーク」があった?
こうした“天然アスファルトの精製跡”は、東日本の『日本海側』にある3か所ほどの遺跡で確認されています。
しかし実は、青森県から福島県の『太平洋側』でも釣り針の固定などにアスファルトが使われたことが分かっています。
福島市の「宮畑遺跡」では、平成19年、アスファルトが縄文時代後期の土器に入った状態で見つかりました。
純度が高く、日本海側の産地で精製されたものが福島に持ち込まれたのではないかとみられています。
浮かび上がってくるのは、アスファルトを日本海側から太平洋側へと運んだ「物流のネットワーク」の存在です。
「アスファルトの産地と精製した場所は数か所で見つかっていて、そうした地域から、各地に製品が運ばれていったのではないか。アスファルトの採掘、精製などを行い、製品として流通させる技術力と発想を縄文人たちが持っていたとすれば、本当に驚かされる」(岡村道雄さん)。
古代人の姿を探るために
ことし9月、天然アスファルトの産地の新潟や秋田、そして精製されたアスファルトが遺跡から見つかった福島などの研究者が集まり、ある実験が行われました。
砂などが混ざったアスファルトを土器に入れて火にかけ、実際に精製してみようというのです。
しかし、純度の高いアスファルトを分離するのは容易ではありませんでした。
加熱の温度や時間、そして量など、条件をうまく整える必要がありそうです。
研究グループでは、今後も実験を続ける必要性を痛感しました。
さて、これまでは東日本を中心に話を進めてきました。
一方で、西日本に目を転じてみると、アスファルトを利用したことがはっきりと分かる例自体が非常に少ないといいます。
動物の骨などを煮て作る「にかわ」などを接着剤として使ったのではないかという見方はありますが、アスファルトほどの防水性や接着力があったかは、疑問です。
浮かび上がってくるのは、新たな謎。
想像し、確かめ、新たな説を提起していく。
古代の人たちの姿を探るための知恵比べが、始まっています。
[関連ニュース] 自動検索 |
[関連リンク] |
|