【プレイバック芸能スキャンダル史】

勝野洋・キャシー中島 出会ってわずか1カ月でスピード婚約

楽天SocialNewsに投稿!
2013年11月7日 掲載
<1978年12月>

「来年は絶対、結婚します」
 暮れも押し迫った12月30日、「独占!女の60分」(テレビ朝日)の放送中にレギュラーリポーターのキャシー中島(当時26)はこう宣言した。この時、だれも気に留める者はいなかったが、それが確信に裏打ちされた言葉だったことが数日後に判明する。

 年は変わって79年1月3日。別の取材でハワイに来ていた女性週刊誌記者はプリンセス・カイウラニ・ホテルのロビーで男性と腕を組んで歩くキャシーとばったり遭遇。相手の男性はドラマ「姿三四郎」(日本テレビ)に出演中の勝野洋(当時29)だった。記者に見られているのに気づくと2人は逃げるようにエレベーターの中に姿を消した。

 連絡を受けた同誌の別の記者が1月5日、帰国した勝野を成田空港で直撃。キャシーとの仲について問われると「一緒に歩いていたからと、すぐに結婚するものではないでしょ」と否定した。その翌日、帰国したキャシーも「知り合ったのは12月に入ってから。『太陽にほえろ!』でテキサス刑事をやっていた頃から勝野さんのファンだけど、そんな短い期間で結婚までは……」と、やはり否定の口ぶり。

 実はこの2人、すでにハワイにいる間に結婚の約束を交わしていた。勝野は同地で婚約指輪を購入。キャシーにプレゼントしていた。しかし、まだ公にするわけにはいかない事情があった。2人とも、それぞれが所属する事務所に報告していなかったのだ。

 勝野が当時、所属していた三船プロが2人の婚約を知ったのは、ハワイ旅行をキャッチした週刊誌から取材の申し込みを受けて。このままではまずいと事務所が判断。2人は記事が出る直前に急きょ、婚約発表をすることになった。1誌を除き、他のメディアにとっては寝耳に水だった。
「2人が付き合っているなんていう情報はまったくなかった。それがいきなり婚約ですからね。驚きました」(別の週刊誌の元デスク)

 キャシーが語っていたように、2人が出会ったのは12月に入って。10月にキャシーがハワイ在住の勝野の姉とたまたま知り合ったのがきっかけだった。その姉が12月初めに、以前から勝野のファンだというキャシーを弟に引き合わせ、交際が始まり、わずか1カ月で婚約にこぎ着けた。

 5月5日、都内ホテルで挙式。この時、キャシーのお腹には4カ月目になる赤ちゃんがいた。ちなみに、逆算すると婚約発表の後に授かった子で、いわゆる“デキ婚”ではない。

 79年11月長女、82年1月次女、83年10月長男が生まれ、円満な家庭を築いていたが、09年、突然不幸に見舞われた。モデルやジュエリーデザイナーとして活躍していた長女・七奈美が急逝してしまったのだ。2月、せきが止まらなくなり、検査を受けると肺がんと診断され、療養を続けたが、5カ月後の7月7日、帰らぬ人となった。まだ29歳という若さだった。

◇1978年12月 自民党内の幹事長人事を巡るゴタゴタの末、7日にやっと大平正芳内閣が発足。プロ野球の金子鋭コミッショナーは21日、空白の1日を利用した巨人と江川卓投手との契約を無効とする裁定を下した。28日、田宮二郎が自宅で散弾銃自殺。43歳。

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