“東洋の魔女”から続いていた、根性バレーからの脱却。
日本女子バレーは変わった。
子供ならまだしも、20歳をとうに過ぎた、いい大人の集団が、一人の指揮官の出現でこうも変わるものかと、つくづく思う。ロンドン五輪で見た彼女たちの闘う姿は、長年女子バレーを見つめてきた身には、予想外のものだった。小柄な日本人が、高さやパワー、あるいは戦術に長けた強豪国を退け、メダルを獲得したからではない。選手自身の表情や考え方が、かつてと大きく変化した。
女子バレーは長らく、日本の伝統といわれる“根性バレー”を下地にしてきた。'64年の東京五輪で“東洋の魔女”が金メダルを獲得して以来20年間続いた黄金時代、そしてメダルが遠くに霞んでしまった'90年以降も変わらず、女子バレーにはどこか湿っぽさが付きまとっていた。選手は自分の個性を発揮することなく、指導者の特訓にひたすら付いていくという構図が脈々と受け継がれてきたからである。
「僕は多分、世界で一番選手と対話してきた監督じゃないですかね」
ところが、'09年に眞鍋政義が全日本の監督に就任して以来、チームが生き生きと躍動し、選手らの表情にも笑顔が溢れてきた。'04年のアテネ五輪から出場しているセッターの竹下、エースの木村、そしてミドルブロッカーの大友ら中心選手だけではなく、若手選手も伸び伸びとコートに立っている。なぜこれほどまでに女子バレーの雰囲気が変わったのか。眞鍋がにやりとしながら言う。
「僕は以前の女子バレーの雰囲気は知りませんけど、日本は長い間、カリスマ監督といわれる指導者を起用してきた。でも僕は、残念ながらカリスマにはなれない。だから、優秀なコーチ陣の力を借りる必要があったし、何より選手が自立し、自分の頭で物事を考えられるようにならないと世界の強豪には太刀打ちできないんです。僕が最もエネルギーを注いだのは、選手の主体性を目覚めさせることでした」
そしてこうも言う。
「僕は多分、世界で一番選手と対話してきた監督じゃないですかね。これだけは自負しています」
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