賢者の知恵
2012年08月06日(月) 週刊現代

週現スペシャル 学校別
世の中、上には上がいる 私が見た大秀才たち
本当に頭がいいとはこういうことか

週刊現代
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「秀才」と呼ばれる人たちがいる。子供の頃から勉強ができて神童と呼ばれた人たちだ。だが、進学するに従って自らの能力が飛び抜けているわけではないことを思い知らされる。世の中には秀才たちが脱帽する「大秀才」が確かにいるのだ。そんな超人たちを、エピソードや本人たちの肉声とともに紹介していこう---。

共通一次はもちろん全国1位

 今年で30年間連続東大合格者数トップを誇る文句なしの超名門校、開成中学・高校。1981年、岩倉正和氏('62年生まれ)はその開成を卒業し、東京大学文科Ⅰ類に現役で合格を果たした。

 全国から集う秀才集団の中にあっても岩倉氏の優秀さは図抜けており、法学部に進んで3年の時に司法試験を突破。同学年ではただ一人の快挙だった。翌年には国家公務員Ⅰ種試験にも合格して大蔵省(現財務省)の内定も得ていたが、弁護士の道を歩み、みずほホールディングスの設立などを手がける渉外弁護士として、今では日本で最も稼ぐ弁護士の一人と呼ばれている。ちなみに、岩倉氏は明治の元勲・岩倉具視の子孫である。

 この名家出身の超秀才・岩倉氏が、「こいつにはとても敵わない」と心の底から驚いた人物がいる。東大法学部の同級生だった和仁陽氏だ。

「とにかく圧倒的にすごかった。大学時代からラテン語をはじめ8ヵ国語ができた。和仁と付き合っていると、彼と競っても全く意味がない、じゃあ自分の良い所は何だろうと考えるようになる。和仁は最初から学者になると決めていた。僕も、教授から大学に残らないかと言われていたんですが、和仁のような人間がいるんじゃ・・・・・・。それで弁護士になることにしたんです」

 和仁氏は当時の共通一次試験では1000点満点中981点をとって、当然ながら全国トップ。東大時代には教授をして、「世の中には3種類の人間がいる。天才、バカ、そして和仁君だ」と言わしめたというエピソードもある。

 和仁氏に圧倒されたのは岩倉氏だけではない。和仁氏と出会ったせいで人生が変わった、と語る人がいる。脳科学者の茂木健一郎氏('62年生まれ)だ。実は茂木氏と和仁氏は、毎年50人以上の東大合格者を生み出す名門校の一つ、東京学芸大学附属高校の同級生。茂木氏によれば、和仁氏は高校時代からドイツ語やラテン語を学び、ドイツ語を日本の古文で訳してみせるような知性の持ち主だったという。

「音楽にも造詣が深かった。高校の学園祭でウェーバーのオペラ『魔弾の射手』を上演したんですが、演出と演技指導、さらにはドイツ語の歌詞を訳したのも和仁でした。しかもその歌詞は、ドイツ語では脚韻を踏んでいるので、日本語にするにあたっては頭韻を踏み、なおかつちゃんと歌えるように構成もしてあった。そんな芸当を和仁は、高校生でやってのけたんです」

 現在、和仁氏は東京大学大学院法学政治学研究科准教授として日本近代法制史を研究し、大秀才ぞろいの東大法学部の中でも、最高の知性と評されている。茂木氏が続ける。

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