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【芸能・社会】

小杉太一郎さん 幻の楽譜CD化 映画音楽の第一人者

2013年11月7日 紙面から

全国発売が決まったCD「小杉太一郎の純音楽」のジャケット

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 日本映画に多大な功績のあった作曲家・小杉太一郎氏(1976年没)が作曲した純音楽だけを初めてCD化した「小杉太一郎の純音楽」が、20日から全国発売される。三重県桑名市在住の研究家が2007年に楽譜を発見し、私費を投じて今年6月に完成させた労作。戦後初めて開催された毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)で第1位を受賞した作品も含まれる貴重な音楽財産だ。

 小杉氏は、小林旭主演の「ギターを持った渡り鳥」(59年)、中村錦之助主演の「宮本武蔵」シリーズ(62〜65年)、アニメ「サイボーグ009」(66〜68年)など300本以上の映画音楽を手掛けた。邦画で300本以上担当した作曲家は、小杉氏の師匠にあたる伊福部昭氏と「用心棒」(黒沢明監督)などを手掛けた佐藤勝氏の3人しかいない。小杉氏に、映画のサントラではない純音楽作品があることは知られていたが、楽譜が見つからず、幻の作品となっていた。

 その楽譜を発見したのは、桑名市の眼科検査技士の出口寛泰さん(34)=写真。中学1年の時、たまたま見た映画「ゴジラ対キングギドラ」で聴いた音楽に魅せられ、作曲した伊福部氏に心酔していった。その後、高校生の時に学校から、戦後50年の企画で有名人にインタビューする課題が出され、ダメ元で伊福部氏に手紙を出したところ、承諾してもらい、交流が始まった。親しく話す中で、小杉氏の存在を知り、興味を募らせた出口さんは、小杉家とも交流。2007年のある日、遺族もないと思っていた楽譜を、出口さんが東京都内の小杉家の遺品の中から見つけた。

 「何とかして演奏として残したい」。遺族の理解を得ながら、出口さんの孤軍奮闘が始まる。情熱だけをたよりに、プロの演奏家や録音エンジニアらと交渉して、6年がかりで個人レーベル「サリーダ」から発売にこぎつけた。

 「六つの管楽器の為のコンチェルト」(52年)は、第21回毎日音楽コンクールの室内楽部門で1位を受賞した作品。主催のNHKにも音源が残っていなかった。ほかに「弦楽三重奏の為の二つのレジェンド」(52年)、舞踊曲「トルソー」(55年)が、今回の楽譜発見による新録音になる。演奏には、吉岡アカリ(フルート)、小林裕(オーボエ)、万行千秋(クラリネット)ら東京フィルハーモニー交響楽団の首席奏者らが参加した。

 ほかに、市川崑監督が好んで使った箏曲「双輪」など全5作品収録のCD(税込み3000円)は、これまで約300枚が通信販売で売れた。今年度の文化庁芸術祭参加作品にも選ばれ、出口さんは、「一人でも多くの方に聴いていただきたい」と話している。

 (本庄雅之)

◆石巻市の依頼で作曲も

 小杉太一郎氏の父で名優として知られた勇氏が、宮城県石巻市出身だったことから、太一郎氏は石巻市の依頼で1973年の市制40周年を記念して、カンタータ「大いなる故郷石巻」を作曲した。2011年の東日本大震災後の6月、出口さんをはじめ関係者の協力で同曲の初演時(73年)のサブマスターテープから初めてCD化。今年6月23日には、石巻市で10年ぶりに演奏が実現した。CDの売り上げは、すべて義援金として寄付されている。

 ◆小杉太一郎(こすぎ・たいちろう) 1927(昭和2)年生まれ。東京音楽学校(現東京芸大)卒。「ゴジラ」の音楽で知られる伊福部昭に師事。「六つの管楽器の為のコンチェルト」で楽壇デビュー。53年東映「健児の塔」で初めて映画音楽を担当。55年「血槍富士」(内田吐夢監督)から本格的にプロ作曲家として活動開始。76年8月9日、膵臓(すいぞう)がんのため、49歳で死去。父親は、戦前戦中の日本映画を代表する俳優の小杉勇(後に監督としても活躍)。

 

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