忙しいのにコメント!
タヌキの置物のような人からご批判がございました。
女子部を相手にしたいとの願望は残念ですが却下。
他ブログにあまり関心がないわたしは、どこかで何かを言われているのか気にかからないわけではないのですが、わたしにだって相手にしてもらいたいと思う人間を選ぶ権利ありますよね。
少しは評価していたのに、脅しもインパクトがないし、女子部だから手加減したの?
欠点丸出しだから、きっとある種のネットの魔王がとりついているのでしょう。
実は実体のないウイルスもどきだったりして。
いつかのお返しを企んでいたんでしょう、執念深い方、いえ、情け深い方。
今年はやっぱり良い年ではなかったわ。
なお、これからもコメントしても削除の対象になりますので、ムダな抵抗はしないほうが賢明です。ついでにわたしが嫌いな毛虫の絵文字をはりつけておきますから。だけど、尊く下品なお名前を隠すなんて、イマイチ勇気がなかったみたいね。もう少し教養があると思ったんだけど。
宗門とエキサイティングな罵りあいをやっちゃったりするとおもしろいのですが、タヌキさん!
SGIアンタッチャブルは極悪犯罪者の捜査に忙しく休むヒマもなし。気にかかる容疑者が多過ぎて、パトロールも大変でしょう、お気の毒さま。
ついでに言えば、わたしは創価を信頼していますが、忠誠を誓っているわけではなく、わたしの信仰に忠実であろうとするだけです。そしてわたしを慕ってくれる女性たちを信じて、広布へ強く心を通わすことができたら、それだけで満足なのです(カッコよすぎかしら?)
Jessie J
Who You Are
Shontelle
Impossible
Colbie Caillat
I Never Told You
Taylor Swift
Crazier
長文のメッセージ、ありがとうございました。
大事な指摘が含まれていると思います。よろしかったら、このメッセージをうちの板に転載したいと思いますがいかがでしょうか?
さばさん、コメントありがとうございます(*^_^*)
ごぶさたし、申し訳ありません。本年もよろしくお願いします。
ネットでのディスカッションやトークには、よほどのことでない限り動揺しないと思います。アンチの方々には始めから理解していただこうとは考えていないので、あなた方はあなた方で十分煩悩を楽しんでくださいと言いたいです。ネットで改心など無理なことですよね。
話が変わりますが、今年は辰年。辰と言えば、法華経の竜女をすぐ思い浮かべました。法華経前半のクライマックスとも言える「提婆達多品」での鮮やかな登場は、智積菩薩や舎利弗をあわてさせました。竜女が釈尊に捧げた宝珠に、わたしは理想のフェミニズムを見ています。竜女は八歳の子ども、さらに畜身であり女性。この三つは弱者を代表するものであり、差別を受ける当事者であり、現代においてもテーマとして十分耐えるものと考えます。
池田先生は、トインビー対談で次のように言われています。
『そうした女性本来の、生命の尊厳を守り、育み、大事にしていくという特質は、それ自体、人類にとり、人間社会にとってきわめて普遍的な重要性をもっているといえます。女性が狭い個人的愛から、そうした、世界へ開かれた普遍的な愛に根ざして進んでいけば、私は、それが、地道ながらもきわめて大きな、反戦平和への潮流になっていくに違いないと思います。そして、女性がこの本来的な自らの使命に生きるところに、真実の女性解放があると信ずるのです』
ジェンダーギャップを認めつつ、女性権利拡大や民主運動の先駆を、わたしは創価に期待しています。現在の創価は残念ながら、男性原理で動いていると思います。言わば二重基準があって、理想と現実に溝があるように思えるのですが、組織内にいる男性も女性も溝があることすら気づいていない。婦人部が創価の主力であるにもかかわらず、昔からの性の役割といった倫理観があると思います。控え目に清楚に家庭を守るといった価値基準は、疑いなく社会に受容されている美徳のように理解されています。創価も例外ではないでしょう。
組織のあり方って、理念を具体的に、形式、手段として目に見える形で作り上げることなのではないでしょうか。少なくとも制度、機構面での改革が必要であり、真の平和団体として認知されるための最低の改革と考えています。このことについては、多々意見があり、記事にしたいと目論んでいます。
組織のなかで一人浮いているのが、わたしの最大の悩みです。わたしは決して固定的観念、拒絶的姿勢で、自分の意見に固執しているわけではないのですが、なぜかわたしが意見を言うと議論になってしまい、最後にはいちいちそんな難しいことを考えなくてもいいんじゃないの、とか言われてしまいます。特に女子部のなかで、まるで学活にブレーキをかけているように言われるのは心外というほかありません。
妙法は、知識としても経験的にも難信難解であると分かっていながら、安易に平易さを求めようとする。また妙法は、人間の自由を最大に保障するものであり、そこから派生した行動論や組織論、具体的な生活設計や政治哲学も自由で積極的なものであるはずです。わたしたちは、忙しい日々の生活に追われながらも同時に強い意志を持つ求道者です。いつも根本に回帰し、懐疑的にあるいは肯定的に自己評価しなければならないのではないでしょうか。
なぜ問題意識が低いんだろう、納得できないことを納得しているように行動して、なぜ疑問を感じないのだろうか、とわたしにすれば不思議でならないのです。どうすればいいのだろうか? どう説明したら分かっていただけるのだろうか?
わたしも「愚痴の竜女」ですね☆彡
鯖です。
お久しぶりです。また、あけましておめでとうございます。
ふりかかる火の粉を、うまくあしらう強さは健在ですね。っていうか、レベルアップしてますね(笑)
まぁ、BLOGや掲示板をやっていれば、おかしな奴につきまとわれるのは仕方ないですからね・・
本年も、どうかお元気で!
きのうの夜、新潟に帰ってきました。雪の多さと寒さにチョットひるんで、コタツでまる~くなってます。
まだ年賀状書いていないので、今日中に約80枚、筆まめと格闘予定。
月下さん、コメントありがとうございます。
この動揺する時代に
自分までぐらつくのは
ただわざわいを増すばかり。
おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが
世の中をつくりあげて行くのだ。
☆ゲーテ『ヘルマンとドロテア』
来年は、創価にとって大きな転換期となるかもしれませんね。青年の力はまだ微弱ですが、時は待ってくれません。
「どんなことがことがあろうと、なすべきことをなせ」
このような不屈の鉄則が、勝利への聖典と思います。
楽しい年末年始をお迎えください☆彡