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谷垣前総裁の功績を讃える

昨日をもって「前総裁」となられた谷垣氏の在職時の多大な功績を讃えると共に、最後の職務としての「挨拶」に、その志の高さ、清潔さを今さらながらに思い、感涙を禁じ得ない。

氏は使える武器も無く、兵士もそのことごとくが疲れ果て、士気は下がり、声を挙げるものすら僅かであった状況下で、自ら進んでその任に就かれた。「我こそは絶望の中の一筋の希望であらん」と努められた。極めて厳しい状況の中、一時も気を緩めることなく、職務に忠実であられた。歴戦の兵を労い、中堅を抜擢し、新戦力を見出して、徐々に体勢を立て直し、二つの内閣を仕留め、最後の難関へと歩を進められている最中に、「背中から撃たれ」、無念の降板を余儀なくされたことは、実に残念至極な出来事であった。

外には勿論のこと、内にも無理解な者はいた。その鳴り止まぬ不協和音の中、懸命に戦略を練られ、敵を追い詰めていかれた力量は、歴代総裁の中でも特筆すべきものである。氏は許されたルールの中で最善を尽くされた。しかし、相手はルールを破ることで、その地位を得た連中である。時として、苦心の攻撃が空を切ることもやむを得ないことであった。

我々は、マスコミの煽動による「ポピュリズム」により倒された麻生政権、それ以降の自民党を必死で立て直し、敵を追い詰め、大願成就直前まで迫られたリーダーを再びポピュリズムの餌食としてしまった。

               ★ ★ ★ ★ ★

「民主党的なるもの」は、自民党の中にもある。その支援者、党員の中にも相当数居る。その証拠が昨日の総裁選にも現れている。一体、如何なる根拠があって「地方票165」などという「マスコミの事前予想」をも越える結果が出たのか。この点は大いに吟味しておく必要がある。

政治家は「理想」と「妥協」で出来ている。理想だけでは政治にならない、妥協だけなら政治家など無用である。力のある政治家は全て、両者を見事にバランスさせている。仮に理想を50、妥協を50とすれば、何処を取っても同じ割合で混じり合った見事な混合物になっているのが大政治家の本質である。ミルクとコーヒーではなく、「ミルクコーヒー」という一つの飲み物になっているのが「本物」である。

ところが石破氏の場合は、ここが崩れている。確かに遠目に見れば、ミルク50、コーヒー50の配分になっているのであるが、それをスプーンで掬ってみれば、ある部分はコーヒーだけ、またある部分はミルクだけになっており、見事に二層をなして混じり合っていないのである。

即ち、「理想の中に妥協があり、妥協の中にも理想がある」という本物の政治家の域には達しておらず、「理想は理想、妥協は妥協」で分離している。それ故、ある人から見れば、極めて理想の高い高潔な政治家にも見え、またある人から見れば、離党復党を繰り返し、平然と野合を主張する「民主党的人物」に見えるのである。そして、この両面は時々刻々と入れ替わるのである。

こうした二面の遊離性をマスコミは完全に隠し、今回の総裁選で、毎度のことではあるが、その中立性を一切放棄して「石破優勢」を連日報道し続けた。これにアッサリと乗せられたのが、地方票の正体である。近くに居る議員達は知っていたのである、それが二層に分離した、とても飲めたものではない「ミルク&コーヒー」であることを。

こうして自民党内にも、地方の党員の中にも、木を見て森を見ず、遠くから見える印象だけに縋って、相手の仕事振りを精査せずに投票するという「ポピュリズム」から脱していない人達が大勢居ることがまたまた実証された。

谷垣氏の犠牲は、なお活かされていない。安倍新総裁の誕生により、マスコミは益々その偏向・捏造の量を増し、より巧妙に人の心の中に分け入ろうとするだろう。

谷垣氏を護れなかった我々に、果たして安倍氏を護ることは出来るだろうか。それは日本を護る、「真の日本を奪還する」ことにも直接通じる、決して避けては通れない課題である。「切り札」を切った以上は、もはや躊躇う猶予は無い。侵略者は外にはない、内にある。内なる侵略者にトドメを刺すのは、我々国民の役目である。

政治家に過度の期待をするな。
全責任は有権者にあると知れ。

全ての責任を自らが負う、それこそが保守の精神であり、その精神こそが、輝ける日本を取り戻す唯一の武器である。
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