先日機会があって、児童養護施設の教育支援を行う「3keys」の代表・森山さんに30分ほどお話を伺うことができました。その際に聞けた話が大変面白かったので、ピックアップしてお伝えします。
「自己満足のボランティア」が「弱者」を傷付ける
対話の中では児童養護施設の問題について伺おうと思ったのですが、「市民参加の難しさ」についての話が面白かったので、こちらを深めてみました。
森山: やはりノウハウを仕組み化していかないと、参加する人の自己満足の活動になってしまいがちです。例えば、単発の活動を行って、子供たちがもっと求めているのに、それで終わってしまったとします。それでは、結局のところ、支援対象の子供たちのためになりません。
支援を受けたのにもかかわらず、何もできていないことに対して傷つく子供たちもいます。さらには、参加する側も問題の根深さに気付かず、離れていったりするので、問題解決が先送りになるんですよね。
イケダ: 不適切なボランティアや未成熟な支援によって、支援を受ける側の人たちが自分の尊厳を傷つけられてしまうことがあるんですね。未熟な市民参加が課題を悪化させているという視点は面白いですね。
森山誉恵さん「東京都内だけで、3,000人以上の子どもが児童養護施設で暮らしています」(1/2) | BIG ISSUE ONLINE
要するに、ヘタにボランティアをしてしまうと、かえって問題を悪化させることがあるという話です。こういう生々しい話はとても貴重です。
森山さんが指摘するように、特に、支援の対象者の自己肯定感が低い場合は、うかつな支援を提供するとかえって支援対象者が傷つく可能性があることに留意すべきです。
支援を受ける立場にある人は「支援を提供されたにも関わらず変わることができない自分」を発見したとき、「こんなに助けてもらっているのに、わたしは何も変わらない。ダメな人間なんだ」と考えるのが自然です。
が、可能性として高いのは、むしろ「提供されている支援のクオリティが低い」という理由です。支援が低クオリティであれば、そりゃ当然、支援を受けても変わることはできないでしょう。
特にボランティアベースの取り組みにおいては、「ボランティアを確保すること」が「ハイクオリティな支援を実現すること」に優先されてしまうことが往々にしてあります(「問題が大きすぎるので、とにかく無償で協力してくれる人が欲しいんです!」みたいな)。
問題の緊急度や難易度にもよるのでしょうけれど、基本的には、まずは「ハイクオリティな支援を実現できる仕組み」をつくったのちに、ボランティアを集めてスケールしていくというのが正しい順番でしょう。
インタビューで語ってくださったように、3keysは児童養護施設の支援を行いながら、同時に「ハイクオリティな支援を実現できる仕組み」をノウハウ化し、他のNPOに展開する仕事も行っています。日本においてはボランティア・マネジメントのノウハウはまだ標準化されていないので、3keysの取り組みはたいへん意義深いものであるように感じました。
著書でも書いているとおり、ぼく個人としてもボランティアによる市民参加は推進していきたいと考えています。ただ、無償奉仕を行う際には、ビジネスとはまた違った心構えが求められるのも事実です。まずはひとつ、「低クオリティなボランティア行為は、かえって支援が必要な弱者の自尊心を傷付けることがある」という事実を認識しておきましょう。
・3keysのウェブサイトはこちら→NPO法人3keysは日本の教育格差をなくすために、学習支援と啓発活動を行っています。
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