鉄人の主張(技術科教育論)

とどのつまり技術科は、何を教えるの?
技術科の本質は何か? 基礎・基本にこだわるとそんな疑問がわきませんか?

まず1つは,生活に必要な知識と技能を身につけることと思います。
2つめに,創意工夫をすることと思います。創意工夫とは,(ゼロから何かを創る)創造力だけでなく,既知のものを再構成したりする,既知のものを援用するということも当てはまると思います。
3つめに,生活上の何らかの諸問題にぶちあたったとき,解決できることと思います。いわゆる「生きる力」にも通じると思います。
4つめに,生活上の諸問題を自分で見出せることと思います。

このような4段階をあげましたが,ひとまとめにいうならば,「主体的な生活人」を育てることと思います。
ですから,「生活に必要な知識と技能」が基礎・基本になってくるだろうし,「問題解決能力」みにつけるには,精一杯「創意工夫」をしてみる経験が必要になると思います。そうやって獲得された「見方・考え方・感じ方」が,また(一段上の)生きるための基礎・基本になると考えます。(だから,「創意工夫」という点にこだわりをもちたいと考えています。)

一方確かに,「ものづくり」の重要性,産業教育とのかかわりといった部分も大事ですが,それはいわゆる「専門教育としての技術教育」であって,「普通教育として技術教育」の立場から言えば,まずは,「生きるための知恵や考え方をみにつける教科」であると考えます。このような「生きるための知恵」は,今までなら家庭で,地域で,十分養えたはすです。しかし,家庭や地域の教育力が低下して久しい(近年,それをもりかえそうとする動きが活発ですが)ので,学校でやらざるをえないと思えてくるのです。それが必修の部分だと思うのです。「ものづくり」の重要性,産業教育とのかかわりといった部分は,指導の結果生み出されることで,学習の結果,そのような面に興味・関心を持った生徒には,さらに個に応じた指導で十分な支援援助したり,選択の授業で補充するという形で育てていくものと思います。そういうより専門性が高いモノを求められるときも,私たちは指導力を発揮していかなくてはなりません。それは社会的な役目とも思います。

このような考え方をすると,いわゆる総合学習との関連が強くなります。総合学習的な視点から技術・家庭科を編成すると,何か違った知見がみられるかもしれません。(あるいは,9年間を見通した,産業教育という面から編成してみることも可能だと思います。)そうすれば,技術・家庭科の役割がよりはっきりするのかもしれませんし,授業時間が削減された技術・家庭科の生き残り?を考えた場合,技術・家庭科の本質とは何かという議論を高め,その意義を訴えていくことが今,求められていると考えます。

技術・家庭科らしさは、「創意工夫」→「生活への転移」
技術教育というと、その設立のきっかけにはデューイとかキルパトリックといった方々が挙げられます。とくに、デューイは、著書「学校と社会」で述べているように、はじめて手工を学校に入れ、学校を小さな社会とみなし、その中で生活に必要な生産の技術と人とのつながり(社会性)を養うことをめざしました。キルパトリックはそれを、実社会での問題(課題)解決の手法に乗っ取って、プロジェクト法という壮大な問題(課題)解決学習プロセスとしてまとめあげました。どちらも、技術と生活とのつながりがあり、それが(今風に言う)生きる力につながるというねらいがあるのだと考えます。しかし、現在の技術教育では、まだ一部に、教材中心主義みたいなところがあったり、あるいは工夫創造にこだわる部分はあるが、生活との結びつきが弱い(ロボコンなどはこの典型例)こともあったように感じます。新学習指導要領の改訂の趣旨の大きな4本柱の一つに,「生活への一般化」がうたわれたのもそれに由来するのでしょう。ようは簡単に言えば,技術科の学習と実生活とのつながりをもつ=生活に生きる力という視点から何のために学ぶのかをはっきりさせるということでしょう。そこで、生活に生きるという視点から取り組んだ、ガニエという人の考えに、私は注目しているところです。

ガニエは、学習のプロセスを、5段階に考えました。

1.弁明:異なる刺激に対して異なった反応ができる

2.具体的概念:刺激が大きく異なっても、いくつかの特徴を捉えて、それらに対応する

3.定義された概念:事象や関係に特定の意味を付与できる

4.法則:得られた規則性を、様々な状況に適用できる

5.高次の報告:同じ特徴を持つ他の形式にも適用できる新しい法則を持つ

つまり、一つの問題解決を通して、高次な規則性をみつけ、さらにどこにも応用できる一般性を身に付けるプロセスを考えたわけです。技術科の場合、それが、生活につながる力と考えることができます。それをうけ、著名な研修者である、足立・桐田の両氏は、

1.情報の入力→2.入力情報の理解・納得→3.学習→4.記憶→5.習熟→6.転移→7.創造的思考

という学習プロセスを唱えています。この「6.転移」の場面が、獲得した知識・技能の一般化にあたり、さらに「7.創造的思考」で、問題意識の枠を広げていくということだと思います。

このように、獲得した知識・技能の「一般化」を考えるとき、自ずと、今までの題材指導計画の考え方=流れや題材の出口の部分が従来のものと変わってくるはずで、そのような実践例が今後増えるのだろうと思います。しかし、その一方で、「一般化できるほどの知識・技能」を身につけるには、十分な「工夫や創造する力」の育成が必要であり、今まで以上の丁寧な指導ももとめられることになることに、留意する必要があると思います。

創意工夫って何?
創意工夫する力を育むことは、技術科の大きな目標の一つであるとともに、技術科の力を定着し、その力を深め広げるために不可欠な要素です。生徒は工夫創造をすることで、(単に見たり、聴いたりするより、格段にハイレベルの)技術の知識や技能や考え方を身につけると思います。よって、指導する私たちは、「創意工夫」とはどういうことで、どういう視点で観ていくべきものなのかを、よく心に留め置きながら指導しなくてはならないと思います。
例えば、ギルフォードという人は、その知能に関する研究から、創造性の要素を以下の6つにまとめています。
1:敏感性 問題に気づく力 状況変化に気づく力
2:柔軟性 多角的にものを見つめられる力
3:流暢性 一つのことから連想して思い浮かべる力
4:独創性 新しい考えを生み出す力
5:構想性 多角的な要素を組み合わせられる力
6:応用力  一つの法則を、他の目的に使える力


また、研究者の桐田氏は、創造性育成のプロセスとして、以下の4つの流れが常にあることを指摘しています。
○現状の満足を打ち破り、問題の所在を明確にする活動ができる
○目的、方略を決定する活動ができる
○思い切った行動と科学的根拠に基づく活動ができる
○結論を出し適用し、吟味する活動ができる

「授業づくりと評価のページ」にも書いてありますが、私自身は上記の理論をふまえ、「創意工夫の力」を、以下の5つに分類しています。
△感動、愛着、熱意をもとにした見方・感じ方ができる
☆機能面をもとにした見方・感じ方ができる
○能率をもとにした見方・感じ方ができる
□経験をもとにした見方・感じ方ができる
◇先の見通しをもとにした見方・感じ方ができる

実際の実践から、現場用にあわせて、このような視点で生徒をみています。いずれにせよ、このような視点がないと「創意工夫」は評価することも指導することも難しいといのではないかと思います。 詳しくは、「授業づくりと評価のページ」をみてください。

技術科教育情報データベースをめざして!!
G大学での研修内容です。現在、「技術科教育情報データベース」の構築をめざしています。

なお、この研修内容に関わる、学会発表のレジュメがありますので、ご覧ください。
技術科学習情報データベースの開発(pdf形式)
(pdf形式です。AcrobatReaderが必要です。戻るときは、ブラウザの「戻る」ボタンでお願いします。)

計測・制御と生活との関わりは?
技術科らしい情報教育(情報の科学的な理解)として,計測・制御の題材がよく行われるようになりました。しかしその一方で,新学習指導要領の改訂の趣旨の大きな4本柱の一つに,「生活への一般化」(簡単に言えば,技術科の学習と実生活とのつながりをもつ=何のために学ぶのかをはっきりさせる)がうたわれています。ですから,計測・技術を何のためにやるのか考えるところ始めないと,単なる「やってみただけ」の授業になってしまい,ひどい場合は,技術的に堪能な先生の単なる・・・!?ということを言われてしまうのではと心配をします。!?
今の社会は,計測・制御をもとにしたシステムで動いており,それらが家庭まで入り込んでいるということから,このような学習が組まれることは周知の通りですが,それならば,指導計画にそれを盛り込まなくてはいけません。ただ,「制御で車が動かせた!」がゴールではなく,「制御の仕組みと,それらがいろんなところで応用されていることが分かった!!」をゴールにしなくてはなりません。
私たちは,知識の切り売りをする教科をやっているわけでなく,「生きてはたらく知恵・力」を付けているのですから,それらを念頭において指導することを,お互い気を付けたいものですね。
ところで,計測・制御は,プログラミングとセットで指導すべきではないでしょうか。「時間の経過の中で,どんなアクションをどのような順序で組み立てていくか=いわゆるアルゴリズムの考え方」が,コンピュータだけでなく,実生活の中での課題・問題解決への足がかりとなり,生きてはたらく力になると思うのです。ですから,プログラミングの言語にこだわらず,プログラミングを工夫することを大切にしたいと思います。“作成したプログラムを確かめるための計測・制御”というのが,本当のねらいなのでは?と,思うこともあります。あくまでも,「“プログラミングと”計測制御」なのですから・・・。

プレゼンテーションの授業は美術科のものか?
美術科でのコンピュータの利用が必修になりました。そこで、美術の先生に「美術科では何やるの?」と聞いたら、開口一番で、「プレゼンテーションです。」の答えが返ってきました。どうも、プレゼンテーションソフトを使って、ポスターのデザインの授業を行うようで、文字の大きさ、色、配置等をシミュレーションするようです。何度も、描き直しが効く利点を生かすわけです。
技術科でも、プレゼンテーションやWebページづくりがよく行われるのですが、研究会などで、よくみられるのが、その制作途中で、生徒どおし、できばえを評価しあうことです。しかし、そのなかで、必ず評価の視点になるのが、文字の大きさ、色、配置、見やすさなどです。つまり、全く美術科と同じことをやっていることになり、ひどい?場合は、まったくその評価の視点だけで、授業が進行するケースがありました。技術科の本質からいうと、それだけでは、指導不足ということは明らかでしょう。技術科らしい視点でやらなくてはいけません。お互いに気を付けたいものです。
しかし、これは、学校全体(含 総合の時間)でやるべき情報教育と他教科での情報教育と技術科での情報の教育のそれぞれの体系がはっきり定まってないことの一端にすぎないととらえるだけです。情報教育の中心的存在に技術科かなることはやむを得なくても、「情報のための情報」だけでなく、「技術(科)のための情報」という視点をいつも持つべきでしょう。
これに関わっては、「情報とコンピュータ一般のページ」もご覧ください。

技術・家庭科時間数削減に対して
少し、批判的なことを書きますが、ここでしか訴えられないので、お許しください。
現行指導要領を審議した、1998年5月6日の教育課程審議会中学校教育課程分科審議会第5回議事録をみると、 こんなやりとりがでてきますがご存じでしょうか?

○(審議員の質問)・・・それから、学習指導要領の中身になりますからここで言うものではないと思いますが、 世界の技術教育の趨勢を見ていますと、もう木工とか金属加工といったものづくりは、どちらかと言うと日常生活、 要するに家庭教育にだんだん移ってきてまして、もちろんものづくりは大事ですが、むしろデザインとか制御とか エネルギーとかそういった、例えばエネルギー教育というのはかなり「技術」の中でやっている。・・・

○(質問への返答)・・・それから、ものづくりのところで、例えば木材加工といったものづくりを、家庭教育に戻しては どうかとのお話があったかと思いますが、そういった面も話し合われたと思います。ただ、実際に家庭の中でそういったこと が行われるというのは日曜大工的に行われることであって、原理原則を押さえたものづくり、要するに技術の裏づけあるいは 知識理解の裏づけがあってのものづくりということではなくなってしまいました。そういったことがありますので、あくまでも 原理原則を踏まえた上でのものづくりということを考えておりますので、やはり学校教育の中でのものづくりが必要である、 あるいは子どもたちの、ものをつくって完成させていく、そういうプロセスといったものを学習していくということでも 必要かと感じております。(文部科学省ホームページから引用:一部略)

おそらく、この審議員さんの質問には、“デザインとか制御とかエネルギーとかいった”題材を中心に、体系的な「技術科」を 作るべきという意図があると予想され、その点は賛成なのですが、ものづくりは“日常生活要するに家庭教育にだんだん移って” というくだりは、現状をよく理解されていないと思わざるをえません。ただ、技術科(技術・家庭科)に対する世の中の認識の一つだと 受け止めなくてはならないでしょう。

これらに対する疑問点、
@厳しい今の世の中で、ものづくりに親と子どもがじっくり取り組める家庭がそんなにあるのだろうか。(現場にいると家庭に経済的、精神的余裕がないから生じる生活指導的な問題は、年々増えつつあることを実感する。家庭教育の充実も叫ばれているのではないか。)
A“原理原則を踏まえた上でのものづくり”だけが、技術科の内容ではない。ものづくりを通して得られる、技術的な思考の獲得や 主体的な生活態度の育成こそが、教育的に学校でこそ必要なわけで、そのあたりの深い意義が、論議に出てこないのが残念である。 (技術科は何を教える教科かという、コンセンサスがみえない所にも問題があるが・・・。)少し、苦言を言わせて頂くと、こういう 教科の目標など、基本的なことを本当に理解して頂いている方にこそ、審議して頂きたいのだが・・・!!

技術科の目的にある、これらの意義が論議されず、家庭教育への移行という名目?で、時間数が削減されているのなら、それは、バランスのとれた人間の育成という面で、大きな失態と言えるのではないでしょうか。私たちも、そういう点を実践を通して少ない時間を有効に使いながら訴えたいものです。
しかし、このような問題は、同じく「音楽」「美術」「保健体育」でもあり、「技術・家庭科」を含めた、いわゆる「専門4教科」は、 日常生活への移行という名目?で、のきなみ時間数の大幅削減になったことは周知の事実です。これをみると、やはり、バランスのとれた人間の育成という面で、大きな危機感を感じます。こういう教科が充実するからこそ、はじめて、「ゆとりある」とか、「心豊かな」とか、「生きる力」とかいう議論ができるのだと思うのですが・・・。

さらに、述べさせていただきます!新学習指導要領やその後の教員配置の改善策等では、例えば、英語は今まで、学習しても話せなかったから、小学校から指導できるようになりました。一部の市町村では、行政主導(=学校の実態からでない)で小学校で英語を必ずやると明言されている所もあります。数学は、今まで理解できない 生徒が多かったから、TTなど指導者の人員確保のために、大幅に職員定員を増やし、さらに習熟度別クラスも可能になりました。これは、一見“きめ細やかな指導のために、大胆な方策をとった”と言えます。成果が出ることを願います。
しかし、その前に言いたいことは、“では、いままでの英語科、数学科の指導は、どうなっていたのか検証したのだろうか!!”ということです。技術・家庭科は、(教科としての内容の確立ができてないこともあり?)指導要領の改訂ごとに内容が大幅に変わり、それに対応する教材研究に励んできました。また、多くの生徒が、実際に作業をするという授業を、一人でも指導できるような方策を考え、実践しいてきました。では、技術・家庭科教師より、絶対数の多い英語科、数学科教師の皆さんの、生徒に確実に理解させるための努力は?というと、以下のような弱さを感じます。例えば英語だと、すでに、旧指導要領より、話すことが重視されてきているはずです。その前には、LL教室というのもありました。それでも、英会話ができないのはなぜでしょう。さらに、中学校からではできないから、小学校から・・・。というのは、少々甘いし、事実上、時間数の増加です。最近、すべての英語教師が英検準1級を取るようにするという話もありましたが、かつてパソコンを必死に習得された、技術科の少し年配の先生方の努力を私はみています。数学科では、今まででも、個に応じた指導ということは大切にしてきたはずです。すでにTTによる指導もかなり以前から可能だったはずで、公的に習熟度別やTTの指導が認められる前にも、すでに指導の改善はできたはずと思います。また、習熟度でないと、指導できないということも、検証されるべきではないでしょうか?国語科も、何年も教科書の題材が変わらないということで、教材研究はしてしまってあるからいいという人が多くいました。昔の教材研究にたよることができ、授業改善に発展性がないということにつながるのではないでしょうか。
審議会では、以上のような議論はあったのでしょうか?それでも、国語や数学や英語は、絶対大事にされるし、時間数削減も4教科ほど大幅でなかったということは、いったいどういうことでしょう?また、これらの教科の専門教師は、それゆえに、自分の教科の授業と生徒に責任をもっていただきたいものです。生徒が学校で過ごす時間の大半は、授業なのですから・・・。

新分野“技術とものづくり”に対する思い
今までのように、木材、金属、電気、機械、栽培という分け方をなくすということでしょう。考えようによれば、現在の ものづくりは、木材だの金属だのといった区別をしないで行われているのであり、メカトロなどといって、電気と機械の差も なくなりつつある(電機という言葉もある)ので、今までのように細かく分かれているというほうが不自然だったのかもしれない という発想に立たないとだめでしょう。ですから、指導する方も木材、金属、電気、機械、栽培という区別の壁を破らなければ ならないことになるでしょう

イメージすべきことは、ものづくりを総合的にとらえようという試みだと思います。たとえば、設計の段階で材料の集め方 というところから始まって、強度を保つのにふさわしい材料(木材で作ると良いのか、金属で作ると良いのか、その他の材料で 作ると良いのか)や形状、手作業でも製作できる限度といったものまで考えることになるでしょう。また、加工法の指導も、 「切る」「つなげる」「組み立てる」「仕上げ」といった大胆な切り口が必要でしょう。その際必要なのが、製作を行う上での 「基礎的・基本的な内容」がしっかり生徒に身につけられなければいけないということだと思います。それが十分身に付いてこそ はじめて、生徒は自主的に、個々に工夫を加えながら製作活動を展開すると思います。

エネルギー変換に関する指導に関しては、少ない授業時間の中で(機器の)“力の伝達”のところまで指導するとなると、 どうしても電動模型的なものの製作になってくると思います。(電気領域では、蛍光灯など、光に関するものの製作が多く あったようですが、それだけではいけないと思います。)ロボコンが盛んになっていますが、工夫や発想の力を養うという点で すばらしいと思います。(選択の授業ではすでやっています)しかし、“生活との関連”という点では、製作物の有効利用 という面で難があるような気もします。

いずれにせよ、“ものづくり”のおかげで、日本は成り立っている以上、ものづくりの楽しさ、奥深さを生徒に伝えることが とても大事になることは言うまでもありません。一部の噂で、技術は理科と統合されるという話もききますが、そんなことを 許しては(そんなことを言うことも)いけません。魅力ある教材・授業づくりが緊急の課題だと思います。
新分野“情報とコンピュータ”に対する思い
新指導要領を読むと、“・・・できること。”“・・・知ること。”という記述が非常に多いことが分かります。これを厳しく 見れば、コンピュータが近年、計算機的なものから通信機器的なものに、質的に変化しつつあり、産業の依存度も(IT革命 などといって)高くなっている(もはやコンピュータ抜きでは産業は成り立たない)ので、早急にパソコンを使いこなせる人材を 育てたいという意図があるのではないかという読み方ができると思います。ここしばらくはそれが続くでしょう。

従って、何となくHow toの授業になってしまわないか心配でもあります。小学校や他の教科でもパソコンを使うようになり、 アプリケーションソフトの活用といった授業は、いずれ陳腐なものになるでしょう。では、技術科ならではの情報(パソコン)とは 何か?工夫や発想を生かしながら製作を進めるという技術科ならではの授業を、どのように形のない情報(パソコン)の授業で 具現していくか?当面、これら2つが緊急の課題になると思います。前者に関しては、指導すべき内容の吟味がまずまず大事になって くると思います。基本的には、情報(パソコン)を扱う上で、いつでも大事になることを指導すべきだと思っています。(たとえば、 ディレクトリの概念、ネットワークの知識、OS共通の操作など)また、ものづくりとも関わる計測・制御が技術科の中心になって いくと思われます。後者に関しては、問題解決的な授業を行ったり、情報そのものをどのように扱うべきか最後に生徒にあずける スタイルの指導の流れを実践して積み重ねていくしかないと思います。

また、一つの方向として、特に計測・制御を中心に、ものづくりと近づけていくという方向もあると思います。今の電気機器で、 情報に関わることのない機器は少ないはずです。情報家電という言葉もあります。ものづくりと情報を分ける必要もないのです。 「すべての情報は、ビットで表現できる」と言って情報理論を打ち出したシャノンは、これからの我々を取り巻くものとして 『物質・エネルギー・情報』の3つをあげています。今まで科学や技術は、物質やエネルギーの分析・利用を進めてきました。 それに、情報というものが入ってくるというものです。(言い換えると、今後、物質やエネルギーの分析だけで済むモノはない。 何らかの形で今までなかった情報という要素がモノに入ってくるということ)前者2つを今までのものづくりだとすれば、今後 そのものづくりの中に情報の概念が入ってくることが予想されます。

いずれにせよ、情報の指導に関しては、“10年後の情報化社会がどうなっているか”が見通せないと、なかなか確信を持って授業を行う ことができないような気がします。(今から10年前、今のようなインターネット社会が見通せたでしょうか?)そのためには、まず 我々が情報に敏感でないといけないと思いますが・・・。

技術とは何か?
「技術とは何か」という問いに対しては、技術論(争)というのがあって、その中には主に「労働手段体系説」と「意識的適用説」 があることは知っています。技術科教育の本を見てもよく出ています。しかしその内容は(十分理解していないですが)、どうも 生徒の姿、教育現場からかけ離れたところにあるような気がしてなりません。しかし、技術科教師として、どのように「技術」 を観るかによって、授業を創るスタンスや中身そのものが違ってくるように思います。(「体系説」を強調すると、知識一辺倒の 授業になるだろうし、「適用説」を強調すると、技術科らしい魅力が減退しそうだし。)だから、「技術」を教育現場の視点から とらえることが大事だと思います。

1.「体系説」と「適用説」について
どちらも“まとを得ている”と思います。電気や機械の理論や仕組みなど“技術そのもの”を習得することは、技術を使っていく 者として大変重要なことだと思います。一方私たちは、いろんな問題に直面したとき、工夫や創造をして解決していくわけです から、“技術的な考え方”も重要だと思います。「体系」と「適用」を分けなくてはいけないのは、何らかの大きな理由がある からでしょうが、私の目からいうとどちらの説も大切に思えます。技術を語る上で、どちらも重要な要素なのではないでしょうか?

2.中学校の技術(・家庭)科なのだから・・・
中学校は普通教育としての技術教育の場です。 現場の教員として思うことはやはり、“技術(・家庭)科の指導をとおして生徒を育てているという視点をもつこと”であり、 “技術(・家庭)科の指導をとおして、技術(・家庭)科でしか身につけられず、だれもが将来必要になる力を身につけさせる という視点をもつこと”です。私は、技術(・家庭)科で身につけさせていきたい力として、以下の3つを挙げたいです。


この3つ力を少ない時間の中で育てていくのが現場の技術科教師としての私のとらえです。 ですから、私はこの「技術そのもの」「技術的な考え方」に「実践力」を含めた3つを広く「技術」 (技術科としての技術のとらえ)としてとらえたいと思います。 (特に「実践力」を含めるという点では、教育的!?だと思いますが・・・。)

ところで、ここまで書いて思ったのですが、上の@〜Bは、学習指導要領の技術・家庭科の目標
に、似ているということに気がつきました。よく考えてあるものですね・・・。
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