糸井 | 岸さんとは、まったくの「はじめまして」で、 いま、すごくプレッシャーを感じています。 これまでぼくは 「ユニフォームを着た野球選手」以外には あがらないって決めてたんですよ(笑)。 なのに、今日は緊張しています。 |
岸 | 野球選手には緊張なさるんですか? |
糸井 | ぼくら野球好きにとって、どうしても 彼らは「神様」なので。 |
岸 | 野球はあんまりわからないんですけど、 昨日は、ちょっと観てました。 何観てたんだっけなぁ? 巨人? かなぁ。 |
糸井 | え、そうですか、巨人。 |
岸 | なんだか、新人って人が、ものすごく‥‥。 |
糸井 | あ、そうです、昨日、よかったです。 |
岸 | いい肩をしてるとか、キレがいいとか、言ってた。 つねづね、スポーツ選手が あんなにモテるのはなぜかしらと思っていたんだけど、 みんないい顔をしているのね。 打つとき、投げるとき、 やっぱり「勝負」という顔をしています。 |
糸井 | うん、してますね。 |
岸 | いま、そういう顔をする人って ほかの世界にはあまりいません。 あぁ、そういうことかな、と思いました。 |
糸井 | スポーツ観戦は、なさるほうですか? |
岸 | 国際試合だと、なんとなく観ます。 観ていて美しい人やものに魅かれます。 |
糸井 | ぼくは、スポーツ選手に対して 「からだの知性がある」という言い方を することがあるんです。 |
岸 | あぁ、なるほど。 |
糸井 | いま、頭を使うタイプの人が 「言いたい放題」になっていることが よくあるでしょう。 |
岸 | うん。しかもあまり頷けないような 「言いたい放題」が横行していますね。 |
糸井 | ですね。 それに対して、自分の行為を 「解説される」側にばかり立ってる人というのは、 結局、もの言えぬ人になっちゃいます。 |
岸 | そうね。 |
糸井 | しかし、「解説する」人に比べて、 いまそこで動いている「解説される」人のほうが、 何百倍も知的なことをやっているのが ほんとうで。 |
岸 | そのとおりですね。 |
糸井 | 岸さんも、女優でいらっしゃるし、 「解説される」側に ずっとおられたわけです。 それ以前からバレエもなさっていたわけで、 「からだの知性」については、 充分感じていらっしゃったのではないでしょうか。 |
岸 | 「からだの知性」という言葉は新鮮ね。 私はバレエを中学、高校とやってました。 子どもの頃から、小説家になりたかったんです。 川端康成さんの『花のワルツ』を読んで、 「あ、これは踊りをやらなきゃ」と思って、 バレエ学校に通いだしました。 『花のワルツ』は、 バレエダンサーが足をいためて、挫折します。 松葉杖を投げ出して踊るシーンが新鮮で 惹かれました。 それで通い出したバレエ学校の帰りに 『美女と野獣』 (1946年 ジャン・コクトー監督脚本) を観たんです。 「わ、映画ってどうやって撮るんだろう?」 と思って、撮影所に見学に行ったのが 女優の道に進むきっかけになってしまいました。 バレエ帰りの高校生が映画を観て 「あぁ、すごい!」 「キャメラ(カメラ)って、どこにあるの?」 と思ったんです。 だって、古いお城の中を 美女がスーッと流れるように歩くんですよ。 あんなふうに流れるように歩くためには いったいどうするんだろう? 画面がいきなりアップになるから、 キャメラって、どこに隠れているんだろう? そういった興味でした。 |
糸井 | 「女優になりたい」じゃなくて、 そっちだったんですね。 |
岸 | ええ。 何年か後に、ジャン・コクトーにお会いしたとき 「あのシーンで、女優さんは、 どうやって歩いたんですか?」 と、訊いてみました。 「簡単ですよ。板の上に乗ってもらって、 その板に車をつけて引っ張っただけ」 って(笑)。 「でもね、あなたが聞くのはわかるけど、 同じことをチャップリンがぼくに聞いたんですよ」 と、ジャン・コクトーが言いました。 |
糸井 | 岸さんとチャップリンが同じことを思ったんですね。 女優さんの動きの、その素敵な不自然さ。 |
岸 | そう。映像というものに、 すごく魅せられました。 |
糸井 | 岸恵子さん、いったい どういう子どもだったんだろう(笑)? |
岸 | 変な子どもでしたよ。 |
糸井 | 変な子ども(笑)。 (つづきます) |
2013-11-05-TUE