第40話 布石
「そこの馬車、止まれ! 街に入るのならば、人と荷を検める!」
ボルニスの門で出入りする人や荷の検査にあたっていた分隊長は、街道を来た幌馬車とその後ろに続く荷車を止めた。
先頭の荷竜に曳かせた幌馬車の御者台に座る男を目にした分隊長は、その顔にどこか見覚えがある気がした。小さな商売の相手としては信頼されそうだが、商人としては大成しそうもない、その誠実だが気弱な顔は手配書に載るような悪人には見えない。
どこで会ったのかという分隊長の疑問は、その男の肩越しに幌馬車の中から分隊長に会釈をする少年と、その隣にいるゾアンの姿を見て氷解した。
「いつぞやの行商人とその甥か。つい先日街を出たばかりだというのに、今度は何をしに来た?」
「もちろん、商売でございます。今回は、この馬車だけではなく後ろの荷車いっぱいに商品を積んでまいりました」
その言葉につられて、分隊長は馬車の後ろについた荷車を見やった。男が言うように荷車は荷物を山のように積み上げている。よほど重いものを載せているらしく、ここまで荷車の梶棒を引いてきた2匹と、さらに荷車を押してきた左右に1匹ずつ、後方に2匹のドワーフ奴隷たちは、いずれも全身を汗みずくにして息を荒げていた。
「荷はなんだ?」
「はい。仕入れてまいりました、剣や槍などでございます」
商人の口から飛び出した、剣呑な言葉に分隊長は驚いた。
「貴様! これほどの武器を持ち込むとは、いったいどういうつもりだ?!」
分隊長の剣幕に、商人は慌てて答えた。
「なんでも平原の北で、ゾアンたちが暴れているそうじゃありませんか」
その言葉に、分隊長は顔をしかめさせる。
ホルメア国軍にとってはゾアンごときに大敗を喫するなど、とんでもない失態であるため兵士たちには箝口令が敷かれていた。だが、若い兵士たちが酒場や娼館に行けば、女中や娼婦たちの気を引くために、ぽろりとこぼしてしまうのは止めようもないことだ。
すでに街では周知の事実となっていることは、分隊長も知っていた。
しかし、それを飯のタネにされては、さすがに気分が良いわけではない。
苦々しい顔になる分隊長に、その行商人はすかさずその手を取ると、いく枚かの青銅貨を握らせる。
「良い武器が多ければ、皆さまにも悪いことではありませんでしょ? それで私の懐が少し暖かくなれば、これに勝る幸せはございません」
「なるほど。良い武器があれば我らも助かるというのは、もっともだ」
手のひらの中の硬貨の重みに、分隊長はころりと機嫌をよくした。さらに、銀貨を1枚握らせ、こっそりと耳打ちする。
「これは皆さまをお助けするために持ってまいりました商品です。ここは、私めも助けると思って……」
「お、おお! その通りだな」
分隊長は、積み荷の武器の種類と数を調べていた徴税役の兵士に声をかけた。
「この者は、なかなか心配りの出来る商人だな」
分隊長の持って回った言い回しにも徴税役の兵士は心得たもので、積み荷の検分を途中で切り上げる。門の脇に置かれていた粗末な木の机の上に置かれた先をとがらせた木の棒をインク壺にひたすと、紙につらつらと文字を書く。
「こんなものでどうだ?」
兵士に提示された関税額に行商人は首を横に振る。
「一定以上の量の武器を持ち込むと、届出が必要と聞いております。ですから、そこを何とか……」
ダメ押しとばかりにさらに銀貨を1枚出すと、兵士は分隊長の顔をうかがう。それに分隊長が小さくうなずき返したのを確認し、兵士は改めて書類を書き直した。
「これで、どうだ?」
「……これでよろしゅうございます」
行商人は書類に何度か目を通して納得すると、書かれていた関税を収めた。
思わぬ臨時収入に顔がほころぶのが抑えられない兵士だったが、街の雑踏の中に消えていく幌馬車と荷車の姿を目で追っていた分隊長の様子がおかしなことに気づいて声をかける。
「どうしたんです、隊長?」
分隊長は小首を傾げながら部下に答えた。
「いや、あの馬車に乗っていた小僧が、変なことを言ったような気がしてな……」
なぜそんな言葉が洩れたのか、さっぱりわからない。
聞き間違えなのかと思うが、分隊長の耳には、確かに少年はこう呟いたように聞こえた。
「俺に向かって『ごめんなさい』とな」
まったく、おかしなことを言う少年だ。
こうした関税をごまかして懐を潤すのは、門衛の特権のようなものである。そして、商人たちもそれによって利便を図ってもらうため、持ちつ持たれつの関係だ。事実、そのとおりのことが行われただけである。
それをいちいち謝罪する商人など聞いたことはない。
「まあ、さすがにあれだけ記録に残らない武器を持ち込んだので、気が咎めたんじゃ?」
分隊長は、それもそうかと納得した。
「ならば、あの子供が気を咎めずにすむように、今夜はこの銀貨で盛大に騒いでやることにするか」
その分隊長の言葉に、門衛の兵士たちはニヤリとした笑みを交わしたのだった。
◆◇◆◇◆
「おお! よくぞいらっしゃいました!」
グロカコスの屋敷を訪れた蒼馬が門番に来訪を告げると、間もなく喜色満面でグロカコスが屋敷から出てきた。前回とは打って変わっての歓迎ぶりに、やや引き気味になりながら、蒼馬は商人の挨拶をする。
「あなたに幸運と富をもたらしに参りました」
「あなたにも、幸運と富を」
グロカコスは返礼もそこそこに、問いかけた。
「さて、ソーマさん。今回はいったいどのようなご用件でしょうかな?」
「はい。今日は、少しお頼みしたいことがありまして」
蒼馬はちらりと視線を横に移す。その視線を追ったグロカコスは、道に止められた荷車を見つける。
「ほほう。お買い上げくださった奴隷をずいぶんと活用されておるようですな」
荷車に鎖でつながれているドヴァーリンたちを見て、グロカコスは満足そうにうなずいた。
「はい。護衛役だけではなく、ああして荷車を曳かせるにも役立っております」
「それはお買い上げいただいた私としてもうれしいですな」
今にも、舌なめずりしそうな顔でグロカコスは言った。
「では、また新しい奴隷でもお求めですかな?」
「はい。それもあるのですが、少し困ったことがありまして……」
「ほう。それはいったい?」
「実は、今夜の宿に困っております。私と、これの」蒼馬はシェムルを目で示す。「泊まるところは見つけたのですが、商品とドワーフどもを預けるところがなくて……」
グロカコスは、なるほどと思った。
ちょうど今はジェボアから王都に向かう隊商が逗留している。隊商の主だった者たちは領主邸などに宿泊しているが、使用人や護衛の兵士などは街の宿泊施設などに分けて泊められているため、今日はどこもいっぱいだろう。
「できましたなら、どこかあの奴隷と商品を乗せた荷車を預けられる場所を紹介していただけないかと思いまして」
「なるほど。それはお困りでしょう」グロカコスはしばし考えてから、ぽんと手を叩く。「いかがでしょうか? あの奴隷と荷車は、私がお預かりいたしましょう。もともと奴隷たちは、私のところにいた奴隷たちですので、勝手も分かると言うもの」
「ええ?! 本当ですか?」
「もちろんですとも。いかがですかな? いっそのこと、ソーマさんも私の屋敷に泊まられては? 歓迎いたしますぞ」
「いえ、奴隷と荷車を預かっていただけるだけで十分です」
蒼馬は冗談めかして言った。
「それに商売上手なグロカコスさんに1晩中も奴隷を売り込まれては、明日の朝には私は破産してしまいます。それだけは勘弁してください」
「はっはっはっ! これは私もずいぶんと警戒されておりますな」
おだてられて上機嫌になるグロカコスの手に、蒼馬は銀貨の入った小さな袋を握らせる。
「これは少ないですが、ご迷惑料として受け取ってください」
手に伝わる重さから、おおよその銀貨の枚数を察したグロカコスは驚く。
「奴隷と荷車を預かるだけで、これほどいただくわけには……」
「多い分は、明日買う奴隷の価格より引いてください」
「なるほど。そういうことでしたなら」
グロカコスは納得して銀貨の袋を受け入れた。
「で、お預かりする荷車の荷物は何でしょうかな?」
「これです」
蒼馬が荷車に積まれた荷物の覆いをめくると、そこには剣や槍などが大量に積み込まれていた。
「噂では、ゾアン討伐に向かった軍隊が返り討ちに遭ったとか。しばらくは平原も騒がしくなるでしょうから、これをホルメア国軍に売り込もうかと思いまして」
少し前までは、討伐隊は自分らの放った火に巻きこまれて多くの負傷者を出したという噂が流れていたが、今ではゾアンたちの返り討ちに遭ったという正しい情報が複数の兵士たちの口から広まっていた。
だが、それもつい最近になってからのことである。
さすがは遠い東の国から来たやり手の商人ともなれば耳が早いとグロカコスは感心した。
ドヴァーリンたちに荷車を屋敷の裏庭まで曳かせながら、蒼馬と雑談に興じていたグロカコスは、唐突に手をポンと打つ。
「そうそう。こちらでは珍しい奴隷が手に入りましたので、ぜひともソーマさんに見ていただきたいのです」
そう言うなり、蒼馬の返答も聞かないうちから中庭の方に歩き出した。グロカコスの機嫌を損ねるわけにもいかない蒼馬は、仕方なくシェムルを連れて後を追う。
「ささ、これをご覧ください。王家御用達の奴隷商から、私が特別に譲り受けた貴重な奴隷でございますぞ」
中庭に置かれたひと際大きな檻の前で、グロカコスは興行師のような口ぶりで言った。
その声に反応したのか、檻の中の巨大な影がわずかに身じろぎした。
それだけで身体中につけられた無数の鎖が、じゃらじゃらと騒々しい音を立てる。
「……! こ、これは?!」
初めて見る異形の姿に蒼馬ばかりではなく、シェムルもまた目を見張った。
「ほほう、さすがのソーマさんも見るのは初めてですかな? いやいや、それも無理はありますまい。こやつらが生息しているのは、主に南方の砂漠や火の島ですからな」
蒼馬たちの反応に気をよくしたグロカコスは、もったいつけるように言った。
「ご覧ください、この山のような巨体。もちろん、見かけ倒しではございませんぞ。その膂力の前では、ドワーフでさえひとひねり! 力ばかりではございません。ナイフ程度では傷ひとつ負わせられない、この強靭な皮膚! 肉をえぐる鉤爪! 肉を引き裂く、鋭い牙! そして、何よりも恐ろしいのは、その獰猛な気性! まさに戦うために生まれた種族と言っても過言ではありますまい」
そこでいったん言葉を止めると、グロカコスは大きく息を吸って、その種族の名前を告げた。
「これが、ディノサウリアンでございます!」
◆◇◆◇◆
蒼馬を見送りしたグロカコスは、得意満面の笑顔であった。
今日は売りつけることはできなかったが、ディノサウリアンの剣闘用奴隷を見せたときの蒼馬の反応はグロカコスの期待以上のものだった。これなら顔見知りの王家御用達の奴隷商人に無理を言って譲り受けた甲斐があったと言うものだ。
明日、預けた奴隷と商品を引き取りに来るときは、きっと高く買ってもらえることだろう。
蒼馬が支払うことになる銀貨がパンパンに詰まった袋を夢想し、グロカコスはグフフッと気持ち悪い笑いをこぼした。
そこに、奴隷監督たちによって檻の中に入れられるドヴァーリンたちの姿が目に留まる。
「懐かしいだろう、ドヴァーリン。久々に私に会えてうれしかろう」
上機嫌だったグロカコスは、余興とばかりにドヴァーリンに声をかけた。
行動には移さなかったが度々反抗的な目つきをするこのドワーフのことが気に食わなかったグロカコスは、何かと理由をつけては罵声を浴びせ、傷ついて価値が下がらない程度に鞭で叩いていたのだ。そんな自分と再会したことが嬉しいはずがないと承知しながら、あえて問いかけるのだから、グロカコスの性根の曲がり具合がよくわかる。
しかし、ドヴァーリンの返事は予想外なものだった。
「ああ。わしも嬉しいぞ」
思わぬ返事にグロカコスは虚を突かれ、とっさに言葉が出なかった。わざとらしい咳払いをし、気を取り直すと、
「他人の奴隷でなければ、その生意気な口に鞭をくれてやったものを。おまえのご主人様に感謝しろ」
てっきり自分の皮肉に対して、悔しさに身を震わせるかと思っていたドヴァーリンの意外な反応に、グロカコスは毒気を抜かれてしまった。釈然としない気持ちが残るが、これから良好な関係を築きたい蒼馬の所有物とあっては、あまり無体な扱いはできない。
仕方なく、そのまま踵を返して屋敷の中に戻ろうとしたグロカコスだったが、その背中に声がかけられた。
「ああ。深く感謝しているわ」
その声に不穏な響きを感じたグロカコスが、ぎょっとして振り返ると、すでに薄暗い檻の中に入れられていたドヴァーリンと目が合った。
すると、ドヴァーリンはその髭面を笑みに歪めて見せる。
「……なっ?!」
その笑みに、大きな肉の塊をエサとして与えたときの獰猛な番犬の顔を思い出し、グロカコスは絶句する。
しかし、すぐにドヴァーリンは他のドワーフたちと同じように檻の奥に行くと、こちらに背中を向けて横になってしまった。
「な、生意気な地虫が……!」
グロカコスは内心の動揺を隠すように罵ったが、その声は言い知れようのない不安に震えていた。
◆◇◆◇◆
翌朝、蒼馬とシェムルのふたりの姿は、先日街を訪れたときに蒼馬が酔いを醒ました空き地にあった。
グロカコスにふたりの宿は手配してあると言ったのは嘘で、ホプキンスだけを泊まらせ、ふたりは無用な人との接触を避け、この空地で夜を明かしたのである。
昨夜は緊張でほとんど眠れなかったが、日の出とともに蒼馬は起き出し、家々から朝食の準備をする炊煙が幾筋も空に向かって上るのを眺めていた。
平和な光景である。
ここだけを切り取ってみれば、何と平和な世界の光景だろう。また始まる1日に備え、母が夫や子供たちのために朝食を作る姿が思い浮かぶ。
そっと目を閉じると、日本にいたときの我が家の朝食の風景が思い浮かんだ。
テーブルの並べられているのは、ご飯に味噌汁に焼き魚と言う典型的な日本の朝食。
その朝食を家の誰よりも早く起きて準備してくれた母親。
口うるさいと思っていた母親の小言が、今はとても懐かしい。
一足先に食事を終えた父親は、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。
日本食を食べたのに熱いコーヒーを飲むのは、出勤前に気合を入れるためだと聞いたのはいつのことだろうか?
まだ、この世界に落ちてから数か月しか経っていないと言うのに、その光景はとてつもなく遠い過去のことのように思えてならなかった。
そんな温かく、優しく、切ない光景を自分は壊そうとしている。
蒼馬はキリリと痛む胸をそっと押さえた。
「何を今さら善人ぶっているの? 私の恐ろしい蒼馬」
まるで甘く愛をささやくような少女の声が、蒼馬の耳朶に触れる。
とたんに、背後にわいたものが蒼馬の背中を圧した。
それは燃える炎の熱さ、人の焼ける臭い、そして数知れない亡者たちの気配。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、蒼馬は身体が恐怖に縛られて動けなくなった。
全身の毛孔がいっせいに開き、流れ出すように冷や汗をあふれさせる。
「私のやさしい蒼馬。この子たちをこんな風にしたのは、誰だったかしら?」
少女の楽しげな、くすくすという笑い声が背筋に悪寒として這い上がる。
「私の臆病な蒼馬。あなたは前に進むと決めたのよ。それなら、足を止めてはダメでしょ?
あなたの後ろには、いつだってこの子たちがいるわ。この子たちは、とってもさびしがり屋。あなたを仲間にしたくて、したくて、たまらないの」
蒼馬は首筋や背中に、今まさに伸ばされようとする無数の手の気配を感じた。
「ほら。足を止めたら、この子たちに捕まってしまうわよ。私の哀れな蒼馬」
蒼馬の呼吸が、激しくなる。
心臓が破れんばかりに激しく鼓動を打つ。
全身に無数の氷の針が打ち込まれたような冷たい痛みが走る。
蒼馬の口から、悲鳴が上がろうとした瞬間。
「どうした、ソーマ?」
かけられたシェムルの声に、蒼馬は我に返った。
慌てて背後を振り返るが、そこには何もいない。
「……幻覚?」
緊張と寝不足で、白昼夢でも見たのだろうか。
蒼馬は小さく頭を振って気を取り直す。
「おい! どうした、ソーマ?」
「ん? あ、何でもないよ」
ただならぬ蒼馬の様子に、心配げに鼻にしわを寄せたシェムルが顔を覗き込んでくるのに、蒼馬は精一杯の微笑みを見せる。
「ちょっと緊張しているのかも」
「そうか。だが、あまり無理をするな。辛かったら私にだけは遠慮せずに言ってくれ」
シェムルはそんな蒼馬の態度が、少し不満だった。
ずいぶんと自分に胸を開いてくれるようになっても、やはりどこか遠慮しているところが蒼馬にはあるのだ。それは蒼馬の性根に刻み込まれた民族性のようなものだと薄々感じてはいたが、シェムルからしてみれば何と水臭いと思ってしまう。
さらに何かを言おうとしたシェムルだったが、それを遮るように街中に響き渡るホルンの音に耳をピクピクと動かしながら空を仰いだ。
「始まったな……」
シェムルの言葉に、同じように空を仰いだ蒼馬もうなずいた。
「うん。始まったね……」
ボルニスの街が興って以来、もっとも波乱に満ちた1日が幕を開けた。
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