生い立ちから引退まで…宇多田ヒカルが知らない「藤圭子28歳」の素顔
2013年10月16日 掲載
沢木耕太郎著「流星ひとつ」緊急刊行の衝撃
34年越しの出版/(C)日刊ゲンダイ
「二十八歳のときの藤圭子がどのように考え、どのような決断をしたのか。もしこの『流星ひとつ』を読むことがあったら、宇多田ヒカルは初めての藤圭子に出会うことができるかもしれない……。」
作家の沢木耕太郎氏が、8月に自殺した藤圭子(享年62)へのロングインタビューで構成した長編ノンフィクション「流星ひとつ」を緊急出版。その赤裸々かつ衝撃的な内容が話題になっている。
インタビューは1979年。藤は芸能界引退を発表した直後の28歳。沢木氏は31歳。ホテルニューオータニのバーを舞台に会話だけで構成されたこの本で藤は、自身の生い立ち、親子3人で錦糸町や浅草で流しをしながら日銭を稼いだ貧しき日々、下宿の2階からロープで脱出してまでデートした前川清との結婚と離婚。そして「あたしの、歌の、命まで切り取ることになっちゃったんだ」と、喉の手術が決定的な理由となり芸能界引退を決意したことまで、時に冗舌に、時に押し黙ったり、考え込んだりしながらも率直に語っている。
このインタビューは一度は「引退する藤圭子を利用しただけではないのか」という沢木氏の考えで刊行を断念しながら、34年越しに出版。その引き金になったのは藤の自殺だったことは明らかだ。ベテランの芸能記者はこういう。
「沢木氏は一時期、宇多田ヒカルの父親説が流れたほど藤圭子と親密な関係でした。晩年の藤はカジノ狂いなど奇行ばかりが報じられ、そのあげくの投身自殺。70年代を駆け抜けた歌姫という実像と乖離(かいり)した姿が世に流布されてしまった。宇多田は藤の死後に『彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました』『幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました』とコメントを発表した。今回の出版は宇多田の知らない藤のみずみずしい精神や素顔を伝えたいという沢木氏の気持ちからでしょう」
昭和歌謡界の裏面史としても読み応えのある同書は、藤自身による楽曲分析も興味深い。「十五、十六、十七と私の人生暗かった」に当時の人々は藤自身を投影していたという沢木の質問には、「暗くないよ。とりあえず、いまの人生が、幸せなんだから」「食べて、生きてこられたんだもん、それが暗いはずないよ」とアッケラカン。
宇多田は15日放送のラジオ番組で「私はもう大丈夫なので心配無用です」と気丈に語っていたが、本の中には宇多田の知らない母親の“素顔”があふれている。