4日に中日退団が決定した井端弘和内野手(38)の周辺がキナ臭い。球団は今季年俸1億9000万円(推定)から80%以上ダウンの約3000万円を提示。これを井端が不服としたといわれるが、チーム内には別の見方も…。それは落合博満GM(59)との関係だ。
荒木と鉄壁の二遊間を築き“アライバコンビ”と呼ばれた井端が、通算2000安打まであと193安打に迫りながら、中日のユニホームを脱ぐことになった。
「交渉を重ねてきたが、本人の意志が固く、残念だが契約を結ばないこととなった」と西山球団代表。10月に右足と右ヒジを手術した井端は球団を通じ「今後のことは何も考えていない。この先、何をするにしても手術した手と足の治療が必要。いまは何も考えずにリハビリに専念する」とのコメントを発表した。
唐突な退団劇の本当の原因とチーム内でささやかれているのが、井端と落合GMの冷たい関係だ。話は落合監督時代にさかのぼる。井端が周りから“落合の息子”とやゆされるほど2人は蜜月関係だったが、2009年ごろから変わったそうだ。「何がきっかけかは分からない。井端本人も分からないらしい。でも、何かがあった。そこから、だんだんと2人の関係が悪くなった」とチーム関係者。そのころから井端に主力選手としての特別扱いはなくなったという。
その溝がさらに深まったのは11年に落合監督が指揮官の座から降ろされた時のこと。井端がフロント幹部の1人に「ありがとうございました」と感謝した、との噂がまことしやかに流れ、それがオレ流の耳にも入ったという。井端は落合監督時代に遊撃から二塁にコンバートされたが、12年に高木政権となると自らの希望で遊撃に復帰。これに関してもチーム内では「落合GMは(井端が)自分の方針に逆らったと感じたのかもしれない」といわれている。
井端と最後まで交渉を続けてきた西山球団代表も退団理由について「金額うんぬんかんぬんじゃないと思う」と話す。井端にしてみれば、もはや落合GMのもとではやっていけない、との判断だった? 功労者・井端の退団劇の波紋はまだまだ広がりそうだ。
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