第18話 罠
ホルメア国の軍編成は、他の国家とほぼ同じである。
すなわち、兵士6人を1個分隊とし、分隊4つに小隊長1人を加えた25人を1個小隊とする。さらに4個小隊で1個中隊。4~8個中隊で、1個大隊。2個大隊で1個連隊。連隊2個以上で、軍団と呼んでいる。
今回、派兵されたのは、ルグニアトス大隊長率いる1個大隊だ。
その編成は歩兵5個中隊500名、弓兵2個中隊200名、輜重兵1個中隊100名の合計およそ800名であった。
歩兵の装備は、金属製の頬当てつきの兜と、厚手の布に金属片をうろこ状に縫い付けた胴鎧に、足元は革のサンダルで脛まで革紐を巻きつけたものである。武器は手にした2~3mほどの金属製の穂先を持つ槍と、腰に吊るした両刃の剣だ。そして、背中には表面を金属で補強し、革で内貼りをした大型の丸盾を背負っていた。
この当時においては、標準的な歩兵装備であろう。
弓兵の装備は歩兵とあまり変わらないが、視界を広くとるためにお椀状の兜と、槍の代わりに弓を持ち、盾の代わりに矢筒を背負っているのが違う点だ。
最後尾にいる槍を持たない歩兵は、輜重隊の兵士である。水や糧食などを籠に入れて背負っている。また、輜重隊の中で糧食などを山と積んだ荷車を引いているのは、荷竜と呼ばれる巨大なトカゲだ。騎竜の亜種と言われているもので、その身体は騎竜よりも一回りは大きい。二本足で立つ騎竜に対し、荷竜は丸太のように太い四本の脚で歩行し、その動きは鈍いが代わりに力が強いため、こうした荷車を引かせるなど力仕事に用いられる動物である。
そして、大隊の先鋒に立つのはルグニアトス大隊長と、その直属の部下で構成された精鋭部隊である。一般兵の鎧よりも高価な、硬化処理を施した革鎧の上に金属板をリベットで打ち付けた鎧で、足も鋲を打った革のブーツに近いものを履いている。
その中で、ひとりだけ馬に乗り、兜に青い房をつけているのが大隊長のルグニアトスだ。それよりやや後ろから騎竜に乗る兜に赤い房をつけた3人は中隊長たちである。
「まったく、獣どもめ。山にこもりおって、余計な手間ばかり増やしおる」
山から吹き下ろす冷たい北風に顔をしかめ、そう言ったのはルグニアトス大隊長だった。
彼がホルメア国の国王より与えられた任務は、ソルビアント平原にいたゾアンの中でも今なお強硬に人間に抵抗する〈牙の氏族〉を名乗る一族を掃討し、春の種まきの前までに開拓民たちの安全を確保することだった。
ルグニアトス大隊長の愚痴に、中隊長たちが追従する。
「大隊長の申される通りですな」
「早いところ獣どもを片づけ、王都に戻りたいものです」
「左様、左様。あのミルダスとかいう神官のおかげで、無用な時間を食ってしまいましたからな」
予定では、もっと早く砦を出て山に向かうはずであった。
ところが、砦にいたミルダスという聖教の神官がゾアンの脱獄のどさくさに紛れて逃げ出した人間の子供の捜索をしろと騒いだため、出立が3日も遅れてしまったのだ。結局、その人間の子供は見つからず、どこかで野垂れ死んでいるだろうと言いくるめてきたが、まったく無駄足もいいところだった。
「そう思うなら、兵隊どもを急がせろ。昼前には、宿営地に入るぞ」
よほど機嫌が悪かったのか、追従にかえって不機嫌になった大隊長に、中隊長たちは顔を見合わせた。中隊長の中でも一番口がうまい者が、すかさずご機嫌取りをする。
「それはお許しください、ルグニアトス大隊長殿。何しろ、我らの乗っているのは、この騎竜」
そう言いながら、自分の乗っている騎竜の首筋をぴしゃりと叩く。
「こう寒くては、騎竜どもも動きが鈍くてかないませぬ。それに比べ、ルグニアトス大隊長殿のお乗りになられている見事な馬。まったく、うらやましい限りです」
中隊長が言うように、今朝などは寒さのせいで騎竜たちを動かすだけでも一苦労であった。たき火で温めた石を布で包んだ即席の懐炉で騎竜たちを温め、強い酒を飲ませて、やっと動けるようになったのだ。
その点、馬は騎竜たちよりも寒さに強い。そればかりではなく、馬力や持久力などを比べても、やはり馬の方が一段上である。価格や世話の手間を考えると騎竜の方が手頃だが、いつかは自分の騎馬を持ちたいというのが、この時代の将兵たちの夢であった。
そして、ルグニアトス大隊長の乗っている馬は、つい最近大金をはたいて手に入れたばかりで、今回が馬に乗っての初の戦いであることを中隊長たちは知っていた。
その馬を褒められたルグニアトス大隊長の機嫌は、ころりと良くなった。
「まあ、それは仕方ないな。なに、おまえたちも戦場での活躍次第で、すぐにでも手に入るぞ」
平静を装っているが、声が隠しきれない喜びに上ずっていることに、中隊長たちは苦笑を浮かべ合った。
それからしばらくしてから、山道の先に木の柵で囲われた宿営地が見えてきた。
「誰か! 大隊長殿の到着を先触れせよ!」
その命を受けて、ひとりの歩兵が一足先に宿営地に向かう。その兵士の姿が宿営地に入ってからしばらくすると、小柄な兵士が出てきて、門を大きく開いた。
熟練の兵士たちの部隊が先遣隊として派兵されていたと聞いていたのに、少年兵が混じっていたのかと中隊長のひとりは疑問に思った。
しかし、大したことではないと、すぐに意識の外に追いやる。
「なんだ? 出迎えもないのか!」
大隊の先鋒が宿営地の門に差しかかったというのに、宿営地の兵士たちがひとりとして出迎えに出ないことに、ルグニアトス大隊長は機嫌を損ねた。中隊長たちは、「厄介なことをしてくれる」と姿を見せない兵士たちを恨みながら、それでも大隊長をなだめる。
「大隊長殿、田舎者どもにいちいち目くじらを立てても仕方ありますまい」
しかし、大隊の先鋒が宿営地の真ん中まで来ても、誰一人として兵士が姿を見せないとなると、さすがに異常を感じずにはいられなかった。
「これは、どうしたことだ? なぜ、誰もいない?」
「確か、話では1個中隊ほどがいるはずなのだが……」
「先触れに出した兵と、先程門を開けた兵も見当たらないぞ」
中隊長たちが口々に言うのを背中で聞きながら、ルグニアトス大隊長は宿営地を見渡して、おかしなものに気づいた。宿営地のあちらこちらに、柴や枯草を束ねたものが積まれているのだ。
「あれは、何だ……?」
「おそらく、冬越しのための準備では? これから寒さも増し、たき火も必要でしょう」
「では、なぜ一か所に集めておかぬ?!」
ルグニアトス大隊長の指摘に、中隊長たちは慌てて周囲を見回した。
柴や枯草の束は建物の脇ばかりか、その屋根の上、さらには山側の出口の門をふさぐようにして山と積まれていた。
「待て、何か変な臭いはしないか?」
「言われてみれば……」
「この臭いは……?」
辺りに漂う臭気に、みなが鼻をひくつかせていると、突如ひとりの兵士が悲鳴を上げた。
素早く中隊長のひとりが悲鳴をあげた兵士のそばへ騎竜を寄せる。
「何事だっ?!」
「さ、先程、先触れに走った者が、そ、そこにっ!」
兵士が指さす先を見ると、積み上げられた柴や枯草の陰に咽喉元から赤い血を流して絶命している兵士の死体が横たわっていた。
「だ、大隊長殿! 先触れに出した兵が殺されておりますっ!」
その中隊長の叫び声を聞いたとき、ルグニアトス大隊長の脳裏に火花が散った。
「この臭い。まさか、油かっ?!」
ルグニアトス大隊長は自ら馬首を翻しながら叫んだ。
「撤退だっ! これは罠だ! 速やかに撤退しろっ!!」
しかし、すでに遅かった。
「ゾアンだっ! ゾアンが上にいるぞっ!」
兵士たちの叫びに宿営地の背後にある崖の上を見上げたルグニアトス大隊長は、絶望の悲鳴を上げた。
崖の上に姿を現したのは、老人や子供たちを含む十数人のゾアンたちであった。
そして、その前に立っている数人のゾアンの手には赤々と炎を上げる松明が握られている。
ゾアンたちの中から、遠目でもただならぬ雰囲気をまとわせる黒毛のゾアンが一歩前に出ると、咽喉を大きくそらし、大気をビリビリと震わせて遠吠えを上げた。
的確な指示が与えられぬまま、ただ撤退を命じられた兵士たちは、どうすればいいのか分からず右往左往する。撤退しようにも、山道は後続の部隊の兵士たちでいっぱいだ。
「どけっ! どかねば、踏みつぶすぞっ!」
ルグニアトス大隊長は、そうした目の前に立ちふさがる兵士たちに罵声を叩きつけ、自分だけでも宿営地から出ようとあがく。
崖の上では、遠吠えを上げる黒毛のゾアンの隣に進み出たゾアンが、ぎりりと音を立てて弓を引く。
そこにつがえられたのは、赤く燃える火矢である。
そして、黒毛のゾアンの遠吠えが終わるのとともに、松明が崖下へと落とされ、火矢が放たれる。
次の瞬間、轟っという音とともに、宿営地は紅蓮の炎に包まれた。
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