第12話 暴走
「やはり人間どもは出てこないようだな」
隣に立つ若い戦士の言葉に、ガジェタはわざと大きな声を張り上げて答えた。
「ふんっ! 腰抜けの人間どもが! 大人たちは何だかんだと言ってはいたが、あのような腰抜けに怯える必要がどこにある?!」
周囲から、そのガジェタの言葉に同意する声が上がった。
シェムルの推察通り、ガジェタはなかなか戦いに踏み切らないガラムを臆病者と見限り、自分を支持する一部の若者たちを集めて独断で人間に戦を仕掛けたのである。
族長であるガラムの許しもなく、皆を引き連れて人間に戦いを挑むのは、むろん重大な背反行為だ。
こんなことをすれば、間違いなく戦士の資格を剥奪されるだろう。
勇敢な戦士を尊ぶゾアンにおいて、戦士の資格を剥奪されることは最大の恥辱である。命を取られることはなくても、周囲の白眼視に耐えられず、遠からず自ら村を捨て出て行くことになる。この厳しい環境において、村からひとりはぐれて生活できるわけもなく、事実上の死刑に等しい。
だが、とガジェタは考えた。
これまで何度となく大人たちが攻めても落とせなかった村を落とせば、大人たちもガジェタを罰することはできないはずだ。いや、そればかりか今まで若者と侮ってきた自分のことを一目も二目も置くことになるだろう。
これは、これまで二言目には自分たちのことを「若造が」と言ってきた大人たちの鼻を明かす絶好の機会なのだ。
「さあ、突撃の太鼓を叩け! 人間どもを蹴散らし、我らが村を取り戻すぞ!」
「「うおおぉぉぉぉー!!」」
山々に、どどどんっどどどんっと太鼓の拍子が響き渡る。
その太鼓の音とともに、二〇名ほどのゾアンたちが山の斜面を一気に四つ足で駆け下りていった。
◆◇◆◇◆
「誰が、戦の太鼓を叩いた?!」
戦の太鼓の音が鳴り響いたのに、隠れ里では大騒ぎになっていた。
人間たちが攻めてきたのかと戦士たちは武器を手にテントから飛び出し、女の戦士たちは老人や子供たちを連れてさらに山の奥へと避難しようとする。その混乱にテントが踏み倒され、子供たちが泣き声を上げ始める。
その蜂の巣をつついたような騒ぎに、ガラムが一喝した。
「静まれ、同胞たちよ!!」
その大音声にパニックになっていたゾアンたちは落ち着きを取り戻す。
「族長。太鼓の音は、隠れ里の近くではないぞ」
そう言ったのはガラムの右隣に立った赤毛のゾアンだ。先代の族長であるガラムの父ガルグズをその右腕となって補佐し、ガルグズの死後は真っ先にガラムが族長を引き継ぐことを支持した男で、名をグルカカという。
過酷な自然で生きるゾアンの族長には、血統よりその能力が求められる。グルカカはその武勇も先代族長を補佐してきた手腕も多くの同胞たちに認められ、本人が望めば彼自身が族長になることも可能だったのに、「族長より、それを支えているほうが性に合っている」と、今の地位に甘んじている変わった男だ。
「太鼓の音は、村のあたりか」
今は人間に支配されている村のあたりで太鼓を叩くような事態を考えたとき、まっさきにガラムの脳裏に浮かんだのは、ガジェタの顔だった。ガラムは辺りを見回して、ガジェタがいないことを確認する。
「ガジェタはどうした?!」
「今、探させている」
グルカカもすでにその可能性に思い至っていたようだ。
しばらくすると、大人の戦士に連れられて若い戦士がガラムたちのもとにやってきた。心にやましいことがあるのか挙動不審な若い戦士に、グルカカが怒鳴った。
「ガジェタはどうした!? 何か知っているのならば、包み隠さず、族長に申しあげよ!」
観念した若い戦士は、泣きそうな顔で答えた。
「村を取り返すと言って、みんなを連れて村に……。私は族長の断りもなくやるのはよくないと止めたんです。それについて行かなかった」
「なぜそれを黙っていた!? 黙っていれば、同じことだ!」
赤毛を逆立てて怒るグルカカに、その若い戦士は怯えて身体を小さくする。
「ガジェタが、誰にも言うなと……」
それだけ聞いたガラムは、駆け出した。慌ててガラムの背中を呼び止めるグルカカに、ガラムは足を止めることなく肩越しに叫び返す。
「グルカカ! おまえはラクラカとムジナ、女の戦士たちとともに隠れ家を守れ! 人間どもが攻めてくるかもしれん!」
「族長は、どうする?!」
「俺は、ガジェタを連れ戻してくる! 戦士たちよ、ついてこい!」
◆◇◆◇◆
ガジェタを先頭にしたゾアンの若い戦士たちが、四つ足で山を一気に駆け下りる。
もともと平原の民であったゾアンは山などの斜面を走るのは得意ではない。特にゾアンの走りがその本領を発揮するのは、四つ足で駆けるときである。だが、腕より足が長いため、どうしても斜面を駆け下りるのは苦手としていた。
しかし、若いとはいえ、さすがはゾアンの戦士である。切り倒された木やその切株を巧みに避けながら、一直線に村に向かって駆ける姿は、まるで獲物を見つけた猛禽類の急降下のようであった。
それを迎え撃つ人間の兵士たちは、指揮官の号令とともに弓を引き絞ると、矢を一斉に放った。
同時に放たれた数十本の弓矢が風を切る音が、ずざあっ!と響く。それはもはや風を切るというより、空気をぶち抜く音だ。
「散れっ!」
ガジェタの声に、ゾアンの戦士たちは横に跳ぶ。その直後、斜面に無数の矢が音を立てて突き刺さる。
「ぎゃぁー!」
よけきれずに肩や足に矢が突き立ったふたりのゾアンが、もんどりうって倒れる。石や土煙とともに斜面を転がり落ちる彼らを助けようとした仲間たちの目の前で、再び降り注いだ矢の雨を受けて、そのふたりはまるでピンで固定された虫の標本のようになった。
「おのれ、糞尿をあさる怪物め!」
怒りに燃えたゾアンの戦士たちが、斜面に設けられた木の柵に肩から体当たりを食らわせる。斜面を駆け下りた勢いが乗る体当たりに、さすがの木の柵もめきめきと音を立てて倒れた。
「今だ! 矢を放てーっ!!」
しかし、柵を倒して足が止まったゾアンに向けて、三度目の矢が放たれる。それを受けて、さらに3人が倒れた。それでも若い戦士たちは臆することなく、次の柵を倒そうと果敢に突っ込む。
だが、一度勢いが止まったガジェタたちは次の柵をなかなか倒せないばかりか、足が止まった彼らは良い的でしかなかった。
「ガジェタ! このままでは……!」
仲間たちと降り注ぐ矢の雨を山刀で切り払いながら、何とか次の柵を破ろうとするが、それもままならない。今も、何とか柵にたどり着いた戦士のひとりが、柵の支柱と横木をしばる縄を叩き斬ろうと山刀を振り上げたところで、全身に矢を受けて悲鳴も上げられぬまま仰向けに倒れた。
矢を振り払いながら、ガジェタは臍を噛んだ。
まともに戦えば、あんな人間どもは俺たちの敵ではないのだ! 剣を交えようともせず、柵の向こうから弓矢を使う卑怯者に、俺たちが負けるはずはないのだ!
しかし、現実にはガジェタと兵士の間には、まだ2枚もの柵が立ちふさがり、人間の兵士に届くほど彼の山刀は長くなかった。
「この卑怯者どもがぁー! 俺と戦えーっ!」
ガジェタは絶叫したが、それに対する人間の返答は矢の雨だった。
◆◇◆◇◆
「ガジェタの馬鹿めっ!」
次々と同胞たちが倒されていくのに、シェムルは怒りの声を上げた。
今すぐにでもあそこに駆けつけていきたいが、隣にいる蒼馬を山の中に置き去りにしていくわけにはいかない。それに、今さら駆けつけたからと言って、間に合うわけでもないし、どうにかなるわけでもない。
もし、この場にガジェタがいたら、その横面を殴り飛ばし、胸ぐらを掴んで族長の前に曳きたててやるのにと、怒りと悔しさでどうにかなってしまいそうだ。
そんなシェムルの隣で、一方的に虐殺されていくゾアンたちに蒼馬は顔をしかめさせた
「なんで、あんな無謀なことを……」
「まったくだ! 自分らの未熟さも知らずに、勝手に戦を仕掛けるとはっ!!」
蒼馬の呟きに、憤懣やるかたないといった様子のシェムルが同意した。
しかし、蒼馬はシェムルの言葉に違和感を覚えた。
何か自分とシェムルの間に、致命的なズレのようなものを感じる。
「くそっ! また同胞が……!」
シェムルの方がそんなことには気づかぬ様子で、食い入るように同胞たちの戦いを見つめている。
◆◇◆◇◆
駆けつけたガラムと戦士たちは、自分たちの予想を超えた最悪の状況に言葉を失った。眼下の山を切り開いた斜面には、若い戦士たちの死体がいくつも転がり、生き残っているのはわずかばかりだ。
それでも若い戦士たちは柵を打ち倒そうとしているが、その姿はガラムたちには無謀としか思えなかった。
「退却の太鼓を鳴らせ!」
ガラムに指示で、太鼓叩きが慌てて退却の太鼓を叩く。
どんどんどんっどどんっ! どんどんどんっどどんっ!
その太鼓の音に気づいた若い戦士のひとりが振り返る。
「ガジェタ! 族長たちが来てくれたぞ!」
喜色に声を上ずらせる仲間を無視して、ガジェタは遮二無二前に出ようとする。
「ガジェタ、ガジェタ! 退却の太鼓だぞ!」
すでに若い戦士たちの腰は退けていた。彼らもこのままでは柵を打ち倒すどころか、その前に自分らが全滅してしまうことはわかっていた。しかし、一向にガジェタが撤退を言い出さないため、退くに退けずにいたのだ。そんな時に届いた退却の太鼓は、彼らにとって福音に等しかった。
しかし、ガジェタはすがりつくような仲間の視線を振り払い、叫ぶ。
「こんなところで退きさがれるかぁ! あきらめるな! 柵を倒せっ! 人間を殺せっ!!」
もはやガジェタは我がままを言う子供と大差なかった。
ここで退けば、ガジェタに待っているのは戦士の資格のはく奪である。それどころか、これだけの犠牲を出してしまっては、両手を切り落とされて追放か、縛られたまま平原に放置されて狼の餌だ。
〈牙の氏族〉で最強の戦士になることを夢見てきたガジェタにとっては、それは決して受け入れられないことだった。
「あの馬鹿者たちめ! あのまま全滅する気か?!」
若い戦士たちがまったく退く様子がないのに、大人の戦士は怒りとともに吐き捨てた。
ガラムも同感だった。そんなに死にたければ勝手に死ね!と言ってやりたいが、今の自分は族長である。たとえこんな愚行をしでかす奴らでも同胞を見捨てるわけにはいかない。
「退却の太鼓を叩き続けろ! 残りの戦士は俺に続け! あの馬鹿どもを連れ戻す!」
ガラムを先頭にして大人の戦士たちが四つ足となって斜面を駆け下りて行った。
「声をあげろ!」
戦士たちが一斉に声を張り上げた。山を揺るがすような咆哮に、ゾアンの加勢に気づいた人間の兵士たちはガラムたちにも矢の雨を降らし始めた。
「おまえたちは、このまま人間どもの気を引きつけろ!」
そういうなり、ガラムは単身で駆け下りて行く。そのガラムに気づいた兵士が弓矢を向けるが、足場の悪い斜面を巧みなステップで左右へ身体を振りながら駆け下りるガラムに矢は届かない。
若い戦士たちのもとにたどり着いたガラムは、怒鳴り飛ばした。
「この馬鹿どもが! 退け、退くんだっ!」
族長自らの命令に、ガジェタを除いた全員が撤退を始める。ガジェタは仲間を引き留めようとするが、もはや誰も彼の言うことを聞こうとはしなかった。
「死にたければ勝手に死ね! 皆を巻き込むな!」
それでも退こうとしないガジェタに、ガラムは冷たく言い捨てると、退却する若い戦士たちの殿を自ら務めて、矢を切り払いながら山に下がっていく。ひとり残されたガジェタも、悔しさに咆哮をひとつあげると、ついには撤退した。
この戦いで人間側が失ったのは、矢と柵ひとつであった。しかし、ゾアンたちが撤収した後で大半の矢は回収され、柵も日暮れ前に修繕を終え、実質失ったものは何もなかった。
それに対してゾアンたちは、明日の氏族を担う若い戦士たちを数多く失い、その穴を補うにはこれから十数年という時間が必要であった。
もはや誰の目から見ても、ゾアンの大敗である。
多くの死傷者を出して隠れ家に退いていくゾアンたちは、後ろから聞こえる人間の兵士たちのあげる勝鬨に、誰もが顔を屈辱に歪ませるのだった。
◆◇◆◇◆
「おのれ、おのれ……」
退却する同胞たち同じように、人間の勝鬨にシェムルは全身を屈辱に震わせていた。
シェムルは戦士である。自分も同胞たちも、戦って殺されるのは覚悟の上だ。そのことで相手を恨む気はない。
だが、今あそこで繰り広げられているのは、勇敢に戦って死んだ戦士の死体に対する扱いではない。
彼女が見つめる先では、まるで狩りで射止めた獲物を自慢するかのように、残されたゾアンの死体を高々と掲げる人間の兵士たちの姿があった。吊り上げたゾアンの死体の腕を取って、操り人形のように動かして、その滑稽さを笑っている。中には死体を足蹴にするだけでは満足できず、小便をひっかける者までいる。
「地獄で糞尿をあさる怪物め! 怪物どもめ!」
同じ人間である蒼馬に、何が言えよう。ただ黙って怒りと悲しみに震えるシェムルの肩を眺めることしかできなかった。
どれほどの時間が経ったのか、ようやく激情を抑え込んだシェムルは、自分を黙って見守ってくれていた蒼馬に「すまない」と短く言った。
「もはや人間たちにとって、私たちゾアンは多少知恵が回る程度の獣でしかないのか」
シェムルの言うとおりだと思った。蒼馬から見ても、彼らのゾアンの死体の扱い方は、まるで狩りで射止めた獲物を扱っているようにしか見えない。
シェムルは蒼馬に向き直ると、まっすぐ彼の目を見て言った。
「蒼馬よ。私はおまえに大きな借りがあり、それを必ず返すことを誓った。だが、私は〈牙の氏族〉の戦士なのだ。同胞が総力をあげて戦おうとするのに背を向けるわけにはいかない。おまえへの誓いを果たせぬまま、この命を落とすやもしれん。そのときは、不甲斐ない私を恨んでもかまわない」
それに蒼馬は動揺しないわけにはいかなかった。まだ右も左もわからない世界で、シェムルの庇護を失ってしまえば、これからどう生活をすればいいのか?
しかし、シェムルの置かれた状況も理解しているだけに、ここで無様に取りすがるわけにもいかず、なけなしの矜持を振り絞って微笑む。
「これだけよくしてもらっているのに、恨めるわけないよ」
「……! すまない」
シェムルも無理に笑顔と明るい声を作って言う。
「なに、負けると決まったわけじゃない。今回は一部の者が先走ったが、次は氏族の戦士たちすべてが力を合わせて戦うのだ。最強の戦士《猛き牙》ならば、あのような柵など簡単に打ち破ってくれるだろう!」
そのシェムルの言葉に、蒼馬は「あれ?」と思った。
先程も感じたが、何かシェムルの考え方に、自分とのズレを感じる。
胸がざわつく。
なんだ、何かが変だ。
「シェムル、もしかして……」
そう言いかけて、蒼馬は言いよどんだ。
果たして、これは言っていいことなのか? まだこの世界のことをよく知らない蒼馬には、それが言っていいことなのかどうか判断がつかなかった。
それに、これを言ってしまえば、この世界のゾアンと人間の戦いにかかわることになる。
現代日本の子供である蒼馬にとって、戦争や殺人は、フィクションの世界のものでしかない。そんなものに直接かかわってしまうことに、とてつもない拒絶感を覚えた。
「どうした、蒼馬?」
だから、シェムルの問いに蒼馬は「なんでもない」と答えるしかなかった。
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