第五十一話

 「面白くもない!マウリシア王国の使者ごときにペコペコしおって!」

 軍務卿であるサンタクルズ侯爵は、マウリシア王国大使の訪問から自分が締め出されたことに憤りを隠せなかった。
 うすうすではあるが、国王が強くなりすぎた軍部の力を削ぎにかかっていることを実感しているからサンタクルズの危機感は深刻である。
 このままでは重要な意思決定に軍部は何も関わることができないまま、衰弱の道を辿ることになるであろう。
 それはサンファン王国の安全保障上、決して容認することのできない事態であった。

 「………トリストヴィーの連中が海軍を再建しつつあるというのに……まったく、あの戦下手は何もわかっておらん!」

 戦下手とはもちろん、主君カルロスのことである。
 有能ではあるが海戦の能力は皆無であるカルロスは、内乱で疲弊したトリストヴィーの艦隊にすら連敗した。
 現在サンファン王国がマルマラ海で一定以上の影響力を行使できるのはマジョルカ王国との同盟と、王に代わって海戦の指揮をとった英雄ディエゴ・デ・モリアスがいたからこそだ。
 彼の英雄が早逝しなければ、今のこの体たらくはなかったかもしれない。
 ――――稀有な戦術指揮能力で幾たびもの海戦に勝ち続けてきた英雄は、船上で病を発し陸地の優秀な治癒師の治療を待つことなく彼が愛した船上で病死した。
 軍務卿への昇進を断り、現場にこだわった英雄に相応しい死というべきかもしれない。
 しかし望めば宰相にすら手が届いたであろう英雄の死は間違いなく軍部の求心力を失わせることとなった。
 そこにきてさらに軍出身の宰相の病死である。
 いかに軍と言えども実戦部隊だけで構成されているわけではない。
 むしろ軍という組織は、一般の行政組織以上に煩雑な事務系官僚と予算という政治的交渉能力を必要とする。
 もしかしたらディエゴはそうした第一線を離れた暗闘の醜さを嫌って現場にとどまっていたのかもしれなかった。
 しかし現実に軍を預かるものとして、サンタクルズはディエゴと同じ選択をするわけにはいかない。
 彼には部下の生活を守る責任があり、そのためには軍のポストや人員の削減を決して受け入れるわけにはいかなかった。
 往々にして組織の権益を守るために国益に反する行動を官僚はとるものであるが、戦場では勇猛で部下思いとして知られるサンタクルズでも、そうしたか官僚の宿唖とは無縁ではいられなかった。

 「……なんとしてもペードロ殿下にご即位いただかなければ……殿下自身が幼すぎて役に立たんのが困り者だが……」

 だからこそ傀儡として利用する価値もある。
 世の中は都合よく良いところだけというわけにはいかないものなのだ。
 すでにフランコ王子のもとに貴族と文官勢力が結集している以上、今更軍がフランコを支持しても得るものは何もない。
 軍の権益を守るためには何としてもペードロ王子にフランコ王子を出し抜いて王太子として即位してもらわなければならなかった。
 問題は、宮中の貴族と違い軍部の武官にそうした政治的工作を得手とする人材が非常に少ないということである。
 噂話から賄賂、ハニートラップに義理人情まで動員した面倒な裏工作は軍務卿として行政に携わるサンタクルズ自身も苦手とするところであった。
 軍という暴力装置を握っているため、迂遠な解決手段を弄するより、直接的な対処を好む傾向がサンタクルズにはある。

 「……バルトロメオを呼べ」

 サンタクルズは呼び鈴を鳴らして秘書に短く命ずる。
 その名が軍の秘密諜報部の長であることを知っていた秘書は、緊張に顔を強張らせて主のために深々と腰を折った。




 バルトロメオ・デ・セルバンテス
 もともとはサンファン王国の中堅貴族であった彼の家は何代か前に政争に巻き込まれて没落し、彼は庶民より貧しく生活は苦しいくせにプライドばかりが高い両親のもとに生まれた。
 幼くして空腹を満たすために盗みを覚え、いつしか街の少年たちのリーダー格となりより多くの犯罪に手を染めていった。
 そんな彼が本格的な裏社会の住人とならなかったのは両親が昔の伝手を辿り、彼を軍の士官学校に入学させたからである。
 しかし目的のためには手段を選ばない彼がまともな軍での活動が出来るわけもない。
 幾度も営倉入りした札付きであった彼だが、個人戦闘と小部隊の指揮官としては非常に優秀であったために退学はさせられずに無事卒業できたことは一種の奇跡を言ってよいのかもしれなかった。
 彼の配属先はサンファン王国海軍の渉外部、軍務卿直属の謀略機関――――通称アカシ機関である。
 情報収集からゲリラ戦、麻薬取引、暗殺や誘拐という非合法活動を担う非公然部門での任務はバルトロメオにとっては水を得た魚のようなものであった。
 たちまち頭角を現したバルトロメオは王都の下層民を構成員とした諜報網を作り上げ、麻薬と密貿易による裏資金の調達にも成功した。
 人柄は決して好かれる男ではなかったが、もはや彼の功績を誰も否定することはできなかった。
 異相である。
 酷薄そうな爬虫類を思わせる白目勝ちな瞳に広い額、痩身で手足が長く驚くほどの俊敏性を見せる。しかし変装の達人でもあり、いかにもお人よしそうな露天商にも化けるのだから性質が悪かった。
 
 「お呼びでございますか?軍務卿閣下」
 
 抑揚のない暗い男の声に、サンタクルズは何度聞いても慣れない不快さに軽く眉を顰めた。使い勝手のよい男ではあるが、生理的嫌悪感というものは理性でも制御できぬ何かであるのだ。

 「王都で何人動かせる?」
 「傀儡ならば二十ほどですな。人形師となると現在は……三人かと」

 サンタクルズは渋い顔を隠そうともせずバルトロメオを睨みつける。

 「―――――少ないな?」
 
 軍の中央に君臨するサンタクルズの視線を意に介した様子もなくバルトロメオはおかしそうに嗤った。

 「配下のほとんどは他国や国境で任務についておりますので」

 軍にとっての敵のほとんどは海外の勢力である。
 国内では治安維持と他国と通じていそうな売国貴族くらいにしか出番はありえない。
 王都で活動する要員が少ないのは当然の話なのである。
 同胞を敵としなければならない事態になったことを皮肉られたとわかってサンタクルズは怒りに顔を紅潮させた。

 「貴様は余計なことは考えなくともよい」
 「御意―――餌と仕事さえいただけるなら何なりと」

 まともな騎士では一生拝むことのできない大金と、己の手で物言わぬ肉袋と化していく獲物。
 それさえあればバルトロメオは誰が飼い主であっても構わない。
 任務がどれだけ過酷であっても、非人道的であってもなんら問題にも感じない。
 自分以外の他人が不幸になることが、自分以外に他人から富と人生を搾取することがバルトロメオにって何よりの愉悦なのである。

 「手練れを用意しろ。生きても死んでも決して足のつかぬものなら子飼いでなくとも構わぬ。資金にも一切の制限をせぬ。可及的速やかに第二王子フランコ・コルドバ・デ・サンファンを殺すのだ」
 「わが身の全身全霊をあげて」
 「失敗は許さぬ。万が一にも失敗したならば、貴様の居場所はこの王国のどこにもないと思え」
 「謹んでご命令を拝命いたします」

 能面のように無表情なバルトロメオが、まるで好々爺のようにニンマリと笑った。
 実に幸せそうな、悪意の欠片も感じさせぬ満ち足りた笑顔であった。
 バルトロメオにとって、殺害すべき獲物は出来る限り地位の高く恵まれた人間であることが望ましかった。
 次期王位を望む第二王子ならば、志半ばで果てることとなればその無念はいかほどのものか。
 極上の獲物を得て高揚する一方で、バルトロメオはいかにして要人を暗殺するか冷徹な思考をめぐらし始めていた。
 もちろん死に顔を拝む特等席を余人に譲るつもりは毛頭なかった。





 「明日のポンプの設置に私も同行させてもらえないか?バルド」
 「もちろんですとも!私が手取り足取りお教えして差し上げましょう!」
 「あ、ああ……よろしく頼む」

 バルドの答えを待つ暇もなく、テレサは勢いこんでフランコに答える。
 おとなしいフランコはテレサの好意を拒絶することが出来ずにいた。
 いや、むしろあけすけな好意が何とも気恥ずかしくもくすぐったく、それでいながら全く不快な気持ちにならない。
 心のどこかで喜んでいる自分がいる気がしてフランコはテレサを前にすると、なかなか思う通りに言葉を紡ぐことが出来なかった。

 「ほかにも我が国を見て思うところがあれば遠慮なく言ってもらいたい」

 王位継承者の死、そして数千に及ぶ伝染病の犠牲者とサンファン王国の暗い風潮を一掃するには藁にもすがりたい、というのが本音なのだろう。
 バルドとしても手を貸すことが出来るならば、ここで貸しを作っておくことに否やはない。

 「フランコ殿の頼みとあらばひと肌ぬぐに吝かではありませんよ」
 「殿はいらないというのに……」
 「いえいえ、それはさすがにご勘弁を」

 故国に帰ればウィリアムを容赦なく呼び捨てしているバルドだが、さすがに他国の王族を簡単に呼び捨てする度胸はない。

 「それではフランコと呼んでもよろしいか?」
 「あ、ああ……構わないよテレサ殿………」

 鼻息も荒く顔を近づけてきたテレサに押されるようにフランコは顔を赤らめて頷く。

 「私もどうかテレサと!」
 「わ、わかった……テレサ」

 もういい加減自重しろテレサ。
 鈍痛を覚えて胃を抑えるバルドをブルックスやオリヴァーが気の毒そうに見つめていた。





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