第五十話

 テレサが己の性癖を自覚したのは7歳のころである。
 ちょうどバルドと知り合ったあとのことで、最初はテレサをバルドの嫁にと目論んでいた父に、バルドと遊んでどう思ったか、と聞かれて「なかなか面白いやつ」と漠然と答えた程度であった。
 親の期待とは裏腹に、バルドとは仲良くなったものの男女の感情が芽生えることはなく、むしろバルドにつけられた可愛らしい美少女のセイルーンへの想いが募った。
 小さくて愛らしいものが好きなのは自分が女であるからだと思っていたが、どうやらほかの女性の好きと自分の好きは違うらしい。
 テレサには幼馴染とも言えるリナという少女の友人がいた。
 くるくるとせわしく回る活発さが特徴的な美少女で、よくテレサを連れ出しては二人で川や湖でママゴトをして遊んだ。
 しかしいつしか二人は歳を経て、ある日リナは恋をする。
 相手は兄の紹介で知り合った隣町の商人の息子で二つ年上の少年だった。
 恋に目覚めたリナの美しく咲いた華のような、零れるような輝きにテレサの胸は騒いだ。
 生まれて初めて感じる猛烈な嫉妬が、親友を奪われるという理由ではないということにテレサは初めて気づいたのである。
 リナを愛している。
 あの小柄な身体を抱きしめたい。
 日焼けした健康的な小麦色の肌をペロペロしたい。
 具体的には女の子の秘密の大事な部分をああしてこうして………。
 なぜか蕩けるような微笑を浮かべて頬を染める怪しいテレサである。
 要するに自分が欲情を覚えるのは、どういう神のいたずらか同性の美しい少女だけであるらしい。
 のちにセイルーンをはじめとする数々の美少女を恐怖のどん底に追い込むセクハラ魔神テレサ爆誕の瞬間であった。
 もちろんその彼女の初恋が変態の名のもとにむなしく砕け散ったのは言うまでもない。
 


 そのテレサがフランコから一瞬たりとも視線をはずせなかった。
 先日12歳の誕生日を迎えたテレサにして、ここまで男に心を奪われるのは初めての経験であった。
 テレサには珍しい男の友人であるバルドに会ったときですら、これほどの心の衝撃を感じることはなかった。
 心臓を鷲掴みにされたかのように胸が苦しい。
 傲岸不遜を絵に描いたようなテレサともあろうものが息を殺してただ見つめているだけしかできないなど、バルドが知れば目を剥いて驚くだろう。

 「ああ………なんて美しい…………」

 そう、フランコはほかの誰よりも美しく妖艶だった。
 問題があるとすれば、その美しさが男性としてのものではなく、女性としてのもであるということであった。


 「ようこそサンファン王国へ。とりわけ我が国にあの恐るべき伝染病の治療法をもたらしてくれたバルド男爵にはどれだけ感謝しても足りません」

 これまた男性のものとしては甲高く細い声でフランコ王子は頭を垂れた。
 実際のところアブレーゴ王子という王族がもたらしたコレラは王室に深刻な危機をもたらしていた。
 フランコは発病こそしなかったものの、即座に病人を隔離して感染者の排泄物を適切に処理していなければどうなっていたことか。
 王室の名誉とその生命を守ったという点においてバルドはまさに救国の恩人と言っても差し支えはなかった。
 おそらく幼いバルドを大使として送り出した理由もそのあたりにあるのだろう。
 くつくつと悪人顔で嗤うウェルキンの顔が目に浮かぶようだ。

 「都合上表だって表彰することはできないが、私で力になれることなら出来うるかぎり力になろう。年齢も近いことだし友人として付き合ってもらえればありがたい」

 フランコは今年16歳の誕生日を迎えたばかりだが、バルドから受ける印象は11歳の半ばとは到底思われない。むしろ自分より年上なのではないかと思うほどだ。
 年齢に似合わぬ重責と、生まれ持った才能を持つもの同士フランコがバルドに親近感を覚えたのは当然のことなのかもしれなかった。
 それにしても―――――とフランコは思う。
 先ほどから自分を凝視している少年は何者なのだろう?
 あの熱に浮かされたような熱いまなざしに覚えがないではない。
 しかし男性からあの手の視線で見つめられたことがフランコにはなかった。
 見れば女たちを騒がせそうな美しい美丈夫である。
 ショートカットの淡い赤毛に好奇心の強そうな大きな瞳が特徴的で、しなやかな均整のとれた体格も艶のある白磁のような肌も男性にしておくのが惜しいと思えるほどだ。
 いつも視線を集めることには慣れているはずのフランコだが、なぜか心臓がドキリと跳ねたような気がしてフランコは笑顔を保つことに苦労した。

 「フランコには立場上ほとんど友らしい友がおらん。バルド卿も遠慮なく相手をしてやってくれ」
 「………それでは卑小の身ではございますがお言葉に甘えまして………バルドとお呼びいただければありがたい」

 これまで沈黙していたテレサが衝動に突き動かされるように叫んだのはそのときだった。

 「私の名はテレサ・ブラットフォードと申します。どうか私も殿下の友人の列にお加えくださいませ!」
 「え………?女性……なのですか?」

 これまでずっとテレサを少年だと思い込んでいたフランコは驚きの声をあげた。
 思わず絶望的に平坦なテレサの胸に目が向くが、凛々しい騎士服に身を包んだテレサの佇まいはまさに男装の麗人と呼ぶべきもので、彼女が女性と知って驚いたのはフランコばかりではなかった。

 「――――ブラットフォードというとマティス子爵のご息女か?」
 「はい。辺境の田舎領主でございますがよく御存じで」
 「マティス殿には蒼炎騎士団におられたときに一度な。あのときマティス殿は副騎士団長であったが、実力では騎士団随一と呼ばれていたものだ」
 
 母の尻に敷かれているあの父が他国まで勇名を轟かせていたとは。
 一言口を開けば女らしくしろ、嫁に行けとうるさい父だが、思ったより有能であったらしいとテレサはわずかだがマティスを見直した。
 だからといってマティスの言うことを聞くつもりは微塵もなかったが。
 テレサにマティスの面影を見たのか、カルロスは楽しそうに目を細めた。
 過ぎ去った懐かしい日々を思い起こして、多少ながら鬱屈した気分から浮上したらしかった。

 「ペードロも挨拶しなさい」
 「はい、父上」

 フランコに代わってもう一人の少年が進み出る。
 活発そうな覇気と浅黒い南国特有の肌は、どうやら母譲りの南国人の血が強くでたようであった。

 「ペードロ・マジョルカ・デ・サンファンです。お会いできてうれしく思います!」

 嘘のつけない正直そうな少年である。
 これで実はフランコと王位を争っているとは傍目からは想像もつかない。
 もしかしたら彼自身、そんな自覚は全くないのかもしれなかった。
  
 (やれやれ………すべて計算づくだとしたら後で追加料金を請求するべきだな…)

 フランコ16歳、ペードロ12歳、ともにバルドたちとは近しい年頃である。
 それぞれの派閥を抱えているとはいえ、王子の本音を聞き出すのにバルドほどの人材はいないだろう。
 すでに王子たちも警戒心より好意を抱いたように感じられる。
 年齢が幼いということはそれだけで相手の警戒心を削ぐことが出来るものだ。
 それはサンファン王国の王族といえど例外ではない。
 おそらくはウェルキン国王はそこまで想定していたように思われる。
 バルドが望むと望まざるとに関わらず、王族との接近はバルドに様々な情報と干渉をもたらすはずであった。
 そして得た情報を選択してマウリシア王国に国益をもたらす義務がバルドにはある。
 厄介すぎる状況に頭を抱えたいバルドの隣で、テレサは満面の笑みを浮かべたままフランコに熱い視線を送り続けていた。
 不思議なことだが、フランコ自身もそれを不快なものとは感じなかった。



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