第四十八話

 「ようこそ、我がサンファン王国へ。心より歓迎申しげます」

 一行を迎え入れたのはマラガの太守であるロドリゲス・デ・ベガであった。
 若々しい風貌だが、頭には白いものが混じった偉丈夫で、もともとは武官でいたらしく鍛え上げられた身体はまだ堂々たる筋肉の鎧を残していた。
 マラガと言えばサンファン王国にとっては王都に次ぐ巨大都市であり、サンファン王国では数少ない穀倉地帯で代々の太守は王国内で重い地位を担ってきた重鎮である。
 しかしそんな地位を全く鼻にかけないロドリゲスの態度にバルドら一行は好感を抱いた。
 
 「過分なお出迎え感謝いたします。私は大使バルド・セヴァーン・コルネリアス男爵と申す者、なにとぞよしなに」

 面食らったようにロドリゲスの表情がゆがむのがわかる。大方オリバーのほうが大使であると考えていたのだろう。
 確かに普通は11歳の子供が大使とは考えない。

 「………コルネリアス殿と申されましたか?」
 「はい、コルネリアス伯爵家の長子でもあります」

 おお、という言葉にならぬ声がロドリゲスの口から漏れる。
 どこか懐かしむような哀しむような……そんな複雑な表情をしたロドリゲスは改めてバルドを見た。
 見事な銀髪に意志の強そうな眼光、整った鼻筋と艶やかさを備えた口元はロドリゲスの知るとある女性を思い起こさせるには十分だった。

 「マゴット殿はご息災か?」
 「―――――母をご存じで?」

 意外な取り合わせにバルドは思わず目を見張った。
 目の前の偉丈夫とあの母の接点が全く思い当らなかったからである。

 「マゴット殿にはマルマラ海で海賊討伐の際、命を救われた恩があります。是非この国で士官して欲しいと頼んだのですが……まさか伯爵夫人になられるとは思いもよりませんでした」
 
 (何をやっているんですかお母様………)

 今更ながらに知らされる母の規格外ぶりであった。
 あの母のことだ。海で戦ったら面白そう、とかいう興味本位の理由で嬉々として参戦したに違いなかった。

 「…………本来水戦というものは不安定な船上で戦われるために、歴戦の傭兵でもなかなか使い物にならぬほうが多いものです。地の利を得た海賊に海流の流れを読まれた私は艦隊を分断され集中攻撃を受け、死を覚悟したものでした。マゴット殿が銀光の名とともに勝利の栄光を連れてきてくれるまでは」

 懐かしそうにロドリゲスは目を細めた。
 はたしてその瞳の色にあるのは憧憬か畏敬か、はたまた好意か。

 「私は生涯忘れることはないでしょう………あの人が辿りつくというにはあまりに美しく遠い光景を……」

 どうやらロドリゲスの話を総合すると、旗艦に乗船していたロドリゲスが集中攻撃を受け、海賊たちが船に乗り込んできて白兵戦になったらしい。衆寡敵せず乗組員の半数が戦死し、ロドリゲスも死を覚悟したところに、味方の船から乗り移ってきたマゴットがたった一人で海賊を殲滅してしまったようだ。
 周りを敵に囲まれグラグラと激しく揺れる船上で、マゴットはまるで宙を飛ぶように、いや、実際はほとんど宙を飛んでいたらしい。
 あまりの速さにロドリゲスにはマゴットが甲板を走るというより滑空しているようにしか見えなかったという。
 本気で母が人間なのか疑ってしまう薄情な息子であった。

 「マゴット殿のご子息とあらば私にとっても恩人の子息、我が力でお役に立てることなら何なりとおっしゃっていただきたい」

 「こうして出会ったのも何かの縁というものでしょう。よろしければ忌憚ないところをお聞きしたいのですが――――アブレーゴ王子の後継はいかな情勢でありましょうか?」

 ロドリゲスは楽しそうにニヤリと嗤った。
 目の前の少年がどの程度の知識があるものか興味を抱いたらしかった。

 「私の立場はご存じで?」
 「第二王妃とは従兄妹のご関係にあられるとか。縁からいって第二王子を支持すべき、とは存じ上げております。しかしそのことと第二王子が優勢であるかどうかは関係のないことでございましょう」
 「私が嘘を申し上げるとはお考えには?」
 「―――――簡単に見抜ける嘘をおつきになれば後で後悔することになる、とだけ申し上げておきましょう。それにサンファン王国人としては下手に他国に介入を許したくございますまい」

 バルド―――いやマウリシア王国としては次代の王位継承者と友好な関係を結ぶことが大切なのであって、決してマウリシアの主導で王位継承者を決めるようなことを望んでいるわけではない。
 また当然サンファン王国としてもあまりマウリシア王国に借りを作るようなことを望んではいないはずであった。

 「それでは私もバルド殿を見込んで忌憚のないところを申し上げましょう………第二王子フランコはその識見と能力において間違いなく第三王子ペードロに勝っております。しかし彼はそれを望まないでしょう」
 「フランコ殿下は王位を望んでいない、と?」
 「少なくとも母后セシリア殿ほどには。その理由までは存じませんが」

 おそらく血縁関係のあるロドリゲスだからこそ聞き出せた情報であろうことは想像に難くない。こんな話が一般に知られているならとっくに王太子レースには決着がついているはずだからである。
 そんな情報をあっさりと提示してくれたロドリゲスにバルドは感謝すると同時に戦慄と凄みを感じるのであった。
 下手をすればフランコは王位レースに敗れ、血縁のあるロドリゲス自身が冷や飯を食わされる可能性すらあるというのに。
 あるいは本心でフランコを王位から遠ざけてやりたいという気持ちがあるということなのか?
 どうやらこれから先ではよほどの情報収集と政治的判断が要求されそうな気配に、バルドは諦念に近い感情を抱いた。
 やはり自分が平穏無事に大使を務め終えることが出来るはずがなかったのだ。

 そうであるならばフランコではなくペードロを支援すべきなのか、とはバルドは聞かない。
 それを決定するべきは他国の人間ではないし、そもそも出来うる限り迂闊な介入は避けるべきであるからだ。
 ロドリゲスがこれだけの情報を教授してくれたのはたとえどんな思惑があるにせよ、好意の表明にほかならない。これ以上情報を求めることや余計な詮索は彼のバルドに対する評価を落とし、最悪の場合彼を敵に回すことすらあるだろう。

 「貴重な情報を感謝いたします。このご恩は忘れません」
 「いやいや、マゴット殿に救われた恩に比べればお恥ずかしい程度のもの。どうぞお気になさらずに」

 そう言いながらロドリゲスはにこやかな表情を保ちつつ内心では舌を巻いている。
 ロドリゲスを完全に信用するわけでもなく、かといって敬意を失うわけでもなく、情報と向き合い自らの立場を踏み外さない分別は到底少年のものとも思われない。
 見た目はまだ11歳の少年でもその中身はほとんど別物と考えるべきだろう。
 思えば彼の母のマゴットも規格外な人物であった。

 (………さて、行く先々で厄介を呼び込む体質も母上に似ていないとよいのだがな、彼自身のためにも……)

 もしバルドが聞いていたらわが身に流れる血の不幸に涙したかもしれないことをロドリゲスが考えているとも知らずに、バルドは乾いた喉に果実酒を流しこんでいた。







 サンファン王国の第二王妃であるエレーナはアブレーゴの横死に快哉を叫ばずにはいられなかった者の一人である。
 第一王妃の生んだ長子が存命であれば、長子相続の原則は動かしようもないが、長子が死ねば第二王子である息子フランコが王位に就くのは当然の順位である。
 家臣のなかには第一王妃の生んだ第三王子をこそ王位につけるべきであるという輩もいるが、サンファン王国とは比べるべくもないマジョルカという島国の王女である第一王妃にはサンファン王国に確固たる基盤がない。
 彼女の息子であるアブレーゴを支持する家臣は、エレーナが大貴族の令嬢であるだけに第三王子より多いというのが現状であった。
 三十路を迎えて少し衰えが目立ち始めた肌を興奮で赤らませてエレーナは嗤う。

 「思い知るがいい……たかが海賊の娘の分際で………!」

 国王カレロスと最初に婚約者として定められたのはエレーナのほうであった。
 少女時代のエレーナは自分こそが国王の后として、その隣に立つのだということを疑いもしなかった。
 しかし海外貿易を柱とするサンファン王国が度重なる海賊の被害にたまりかねて、南東部に位置する島国マジョルカ王国と同盟することを選択したことでエレーナの立場は暗転した。
 カレロスの妻としてマジョルカ王国の王女であるマリアが迎えられ、幼いころから誰からもかしずかれてきたエレーナは第二王妃の地位に甘んじなければならなかったのである。
 サンファン王国と比べれば吹けば飛ぶような小国であるマジョルカの王女ごときが自分よりも立場が高く、その子がこのサンファン王国の王位を継ぐのだということに、どれだけ絶望と憤怒を覚えてきたことか。
 ――――――もはや我慢せぬ。
 たとえどのような手を使ってでも、我が子フランコをこの王国の至尊の座に就かせてみせる。
 ただ気がかりなのは後ろ盾としてもっとも期待していた宰相が、あの流行病で亡くなってしまったことだ。
 そればかりか知り合いの貴族も幾人かが病死しており、宮廷にも混乱が見られる。
 危うく自分やかけがえのない息子まで流行病に感染する危険があったのである。
 全く忌々しい。あの女の血筋は余計なことしかしない。

 「待っているのですよ、フランコ。貴方の相応しい地位をこの母が用意して見せますからね」

 燃えるような赤毛をかきあげるようにして、エレーナは嫣然と微笑んだ。


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